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皇嗣(こうし)が天皇の位を継承すること。中国の古典には、新天子が宗廟(そうびょう)の阼階(そかい)(東方の階、主人が昇る)を践(ふ)んで昇り、祭りをつかさどったことがみえるが、そこから阼は天子の位をさすようになり、さらに祚とも書かれるようになった。先帝譲位と崩御の両方を含むのが本来の意味であり、古くは即位とも同義に用いられた。その段階での儀式は、神祇令(じんぎりょう)にみえるように、中臣(なかとみ)が天神寿詞(あまつかみのよごと)を奏し、忌部(いんべ)が神璽(しんじ)の鏡剣を奉ることが中心だったと思われる。桓武(かんむ)天皇(在位781~806)以後、皇位継承を天下に告知するための即位の礼が分離し、寿詞の奏上も大嘗祭(だいじょうさい)で行われるようになってからは、践祚は、皇位の象徴たる神器の伝授(剣璽渡御(とぎょ))を核としたいわゆる譲国の儀となった。旧皇室典範では、「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承(う)ク」と規定されたが、現在の皇室典範には践祚の語は用いられていない。
[杉本一樹]
皇位につくこと。神祇令は践祚にあたり,中臣(なかとみ)氏が天神の寿詞(あまつかみのよごと)を奏上し,忌部(いんべ)氏が神璽(しんじ)の鏡と剣を奉呈すると規定している。史料上,その儀式がはじめて具体的に確認されるのは持統天皇の践祚(即位)のときである。本来は即位と同義で,奈良時代までは前天皇の死没にともなう践祚は通常,直後には行われなかったが,桓武天皇の没後ただちに剣璽が平城天皇に伝えられ,その後高御座(たかみくら)に登っての即位の儀が行われた。以後,践祚と即位が分離して,前天皇の没後ただちに行われる剣璽渡御(けんじとぎょ)をともなう皇位継承を践祚とよぶようになった。しかし,その後も明治期以前では没時から践祚までに時日を要する例がみられる。
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[皇位継承の原因]
上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。…
…君主の即位については〈王〉の項を参照されたい。天皇の即位は,践祚(せんそ)と同義であるが,平安時代の初め,践祚(譲位)の儀と即位の礼が分離してからは,皇位継承の実質は践祚に移り,即位は皇位についた天皇がそれを天下に宣布する儀礼となった。
[儀制の変遷]
践祚=即位の儀についてやや具体的な内容を伝える最初は,690年の持統天皇即位の《日本書紀》の記述である。…
※「践祚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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