精選版 日本国語大辞典 「軍団」の意味・読み・例文・類語
ぐん‐だん【軍団】

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日本古代、律令制(りつりょうせい)下の兵制。中国唐代の府兵制に倣ったもので、7世紀末の持統(じとう)朝ごろ成立、701年(大宝1)の大宝(たいほう)令の制定により整備されたと考えられる。大宝・養老(ようろう)の軍防(ぐんぼう)令の規定では、1戸のうちから正丁(せいてい)(21歳以上60歳以下の男子)3丁ごとに1丁をとって兵士とし、付近の軍団に配属する。軍団は全国にほぼ平均に置かれたと考えられる。軍団は通常、兵士1000人をもって構成され、軍毅(ぐんき)(大毅・少毅)がこれを統率し、その下に校尉(こうい)、旅帥(りょそつ)、隊正(たいせい)があって、それぞれ兵士200人、100人、50人を指揮した。兵士には歩兵・騎兵の別があり、交替で軍団に勤務して武術の教練を行うほか、衛士(えじ)として京に1年、防人(さきもり)として九州の防衛に3年の勤務が規定され、また兵器・城塞(じょうさい)・堤防の修理や、外国使臣・囚徒・兵器の護送などにも使役された。兵事にあたっては征討軍が編成され、天皇の命を受けた将軍の指揮下に出征した。
軍団制の模範となった唐の府兵制では、地方の折衝府(せっしょうふ)は中央の衛府の統轄下にあったが、日本の軍団は衛府とは直接の統属関係がなく、地方行政官としての国司の管理下にあった。8世紀後半以降、農民の階層分化の進行に伴って兵士は弱体化し、唐の衰退に伴う東アジアの政治的緊張の緩和とも関連して、792年(延暦11)、陸奥(むつ)、出羽(でわ)、佐渡(さど)、大宰(だざい)管内諸国を除いて軍団・兵士は廃止、かわりに国衙(こくが)守備兵としての健児(こんでい)が設置された。
[笹山晴生]
『笹山晴生著『古代国家と軍隊』(中公新書)』
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律令制下,地方におかれた兵団。大宝令で成立したとみられる。国ごとに1団ないし数団があり,各団には最大1000人までの兵士が所属した。自弁の武具・食料を納め,部隊に編成されて訓練をうけ,諸種の任務に派遣された。軍団の長を大毅(だいき),副官を少毅といい,以下兵士200人を領する校尉(こうい),100人を領する旅帥(りょすい),50人を領する隊正(たいせい),また事務官の主帳(しゅちょう)がいた。このうち大・少毅は考課をうけて叙位の対象となった。これらは現地採用だが,軍団は全体として国司の支配下にあった。792年(延暦11)陸奥・出羽・佐渡・西海道等の辺要諸国を除き,兵士制とともに廃止され,西海道諸国は826年(天長3)に廃止,残る諸国の軍団もやがて衰退した。
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…このような駅伝制による律令交通制度の整備は国郡制による律令国家の全国統治を支えるもので,中央の命令が迅速に諸国に伝達されるとともに,諸国の政務内容もまた四度使(よどのつかい)(朝集使,大帳使,貢調使,税帳使)などのもたらす多数の公文によって,たえず中央に報告された。 軍制についてはまず諸国には律令制軍事組織の基本をなす軍団が置かれていた。軍団はふつう1000人の兵士(ひようじ)をもって構成され,国司の監督下にあったが,指揮官である大毅・少毅には一般に地方豪族が任命された。…
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