精選版 日本国語大辞典 「軍役」の意味・読み・例文・類語
ぐん‐やく【軍役・軍
】
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「ぐんえき」ともいう。武士が主君に対して提供する軍事上の負担。鎌倉時代には、御家人(ごけにん)が鎌倉幕府に対して、平時の番役や非常時における軍役を負担した。その負担は御家人という身分に義務づけられているものであって、御家人は家子郎党(いえのころうとう)の一族を率いて軍役を勤めた。室町幕府もほぼそれを継承したが、戦国時代になると、戦国大名は寄親(よりおや)・寄子(よりこ)制によって家臣から軍役を徴し、強大な軍事力を編成した。
しかし、武士が主君から与えられる知行(ちぎょう)に対する代償、すなわち御恩に対する奉公のなかでもっとも重要なものとして、軍役が確立するのは、安土(あづち)桃山時代以後のことである。豊臣(とよとみ)秀吉の「朝鮮陣軍役立」に始まり、江戸幕府の1616年(元和2)、33年(寛永10)、49年(慶安2)の軍役令によって改定され確定された軍役制度は、石高(こくだか)制に基づく知行石高を基準として軍役負担を定めたものである。なお、この幕府の軍役規定のうち、49年の規定は、私案にとどまっていたものであるとする意見もある。これら幕府の軍役規定は、幕府に対する大名、旗本、御家人の軍役を定めているが、それはたとえば、知行高1万石については、人数235人、馬上10騎、鉄砲20挺(ちょう)、弓10張、槍(やり)30本、旗3本というものであった。そして、このような負担の量は、戦時だけではなく、参勤交代をも含む平時の幕府に対する奉公の際の基準ともされていた。
藩主である大名もまた、この幕府の規定にのっとって、それぞれの藩の軍役規定を定めた。たとえば1637年、津(藤堂(とうどう))藩は、知行高1000石に対し、若党5人、弓者1人、鉄砲者1人、薬持1人、道具持4人、具足持2人、馬取5人、甲立1人、指物竿(さしものさお)1人、挟箱2人、弁当2人、草履(ぞうり)取2人、人足3人、合計30人という細かな規定を定めている。大名は、これらの藩士から軍役として徴した軍事力を藩単位に編成して、幕府への軍役奉公を行ったのである。
幕末に至って軍事力の再編が必要となると、幕府は1862年(文久2)、66年(慶応2)の二度にわたって軍役規定の改定を行った。それは、洋式軍隊の編成や軍役の一部を金納化することなどを定めたものであった。しかし幕府倒壊に伴い、70年(明治3)の鎮台兵設置、翌年の陸海軍省の設置および徴兵令の発布によって、軍役は全廃された。
[佐々木潤之介]
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武士が将軍や大名に対して負う軍事的役負担。鎌倉時代からあるが,負担が量的に規定されるのは戦国期から。統一基準の貫高などで国内を把握した戦国大名は,その量に応じて戦闘員を出させた。豊臣秀吉は日本全国に石高に応じた統一的な軍役を課し,戦闘員のみではなく陣夫までの総数を規定し,兵粮支給の原則を確立した。これは江戸幕府に引き継がれ,秀吉が無役とした大名蔵入地にも役を課すなど,より厳密になった。1616年(元和2)・33年(寛永10)に軍役規定が出され,武士はこの規定に従って常時武器と人数を用意しておくことを要求された。参勤交代,幕府の城郭普請や河川改修の手伝い,改易大名の城地受取りなども軍役と意識された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…受けた侮辱は切腹を覚悟して晴らさないとひきょうと非難されたのであり,〈武士道とは死ぬことと見つけたり〉という《葉隠》の有名な言葉は,江戸時代の武士が置かれたこのジレンマに関連している。
[役による編成]
兵農分離は,このように庶民と武士との政治的能力を峻別したうえで,すべての集団を〈天下惣無事〉を強制する軍隊に〈軍役(ぐんやく)〉を通じて奉仕させるシステムを作るものであった。端的にいえば戦国大名の軍隊は,農村の所領から下人や農民を引きつれて出陣してくる兵粮・武器自弁の武士の寄せ集めであったが,石高制を規準に編成された近世大名の軍隊は,騎馬で戦う武士のほかに,蔵入地から給養される鉄砲・弓・槍の足軽隊,農民・水夫(かこ)や職人から成る補給部隊から構成されていた。…
…戦国大名または近世大名が,家臣の1人ごとにその提供すべき軍役の内容と量を割り当てるために作成した帳面。単に役帳ともいう。…
…一藩内において旧族郷士と取立郷士が混在している場合も少なくない。薩摩藩や土佐藩の郷士は,若干の給地(無年貢地)を受け,それに百姓地(年貢地)を加えて農業経営を営み,かつ軍役を負担するものが多いが,こうした性格の郷士を郷士の基準型とすることができよう。このような郷士のほか,給地がごく少なく身分的にもあまり高いとは思われないもの(延岡藩の小侍や郷足軽),給地・給米のないもの(無足人),軍役を負担しないもの(十津川郷士)など,その性格はさまざまである。…
…土地の標準収穫量である石高を基準にして組み立てられた近世封建社会の体制原理をいう。
[貫高制との相違]
戦国大名も貫高制に基づいた検地を行い,軍役基準を定めたが,土地面積に応じた年貢賦課が原則で,どれだけの収穫量があるかについては無関心であった。田畠をそれぞれ上中下に分け,それに応じて年貢額が算出される例もあるが,たとえば後北条氏の場合のように,田1反=500文,畠1反=165文と,年貢額は固定されていた。…
…その中核には織豊取立大名が配置され,旧族大名である外様を実際に動員できるような体制がとられている。諸大名に賦課された軍役は,たとえば九州大名は知行高100石について5人役(本役)のように,石高制に依拠した形をとっている。豊臣政権の軍役体系は,外様大名を含めた全領主階級を包摂して成立しており,ここに封建的ヒエラルヒーの完成した姿を見い出すことができよう。…
…日本近世において,大名以下に賦課される軍役,普請役の量は石高を規準として定められたが,これを役高という。領知・知行高がすなわち役高である場合と,これとは別に設定される場合とがあった。…
※「軍役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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