一般に一国の軍事に関する機能は,軍政(軍事行政),軍令,軍事司法に大別される。軍政は,国家の一般統治作用の一部としての軍事に関する行政をいい,軍備,国防政策,編制装備,予算,動員,人事,教育訓練,経理,衛生といった国軍の建設,維持,管理等を行う。軍政の作用には,軍の内部にのみ及ぼすものと,軍の目的のため軍外部に及ぼすもの(たとえば兵役,徴発など)があり,後者は国家行政と密接な関係を持つ。軍令は統帥ともいい,国軍の最高指揮官が,軍隊の戦闘力を発揮させるため,作戦計画を立て,部隊を編成し,命令を下達して,これを指揮運用する作用をいう。軍隊内の各級指揮官は,軍の諸法規により,指揮系統に従って,部下部隊を指揮する権限を持つ。軍事司法は,軍の秩序を維持する作用であり,刑罰,懲罰の法令を定め,犯罪の予防を行うことである。軍政,軍令,軍事司法の業務は,相互に密接な関連があり,明確な分界はなく,大半は混成(両属)事項と呼ばれる。
明治新制軍隊の建設にあたり,軍政,軍令,軍事司法は一元的処理形態がとられ,兵部省時代には兵部卿が,1872年(明治5)兵部省が陸・海軍省に分離したのちは陸・海軍卿が,ともに太政大臣に直隷した。78年になると,陸軍はドイツ軍制の影響を受け,軍令統轄機関としての参謀本部を,政府(太政官)の下にある陸軍省から独立させて天皇直属とした。これは陸軍軍令に政治が関与するのを避け,敏速に軍隊を運用するための措置で,〈統帥権の独立〉と呼ばれる。それ以降,陸軍では軍政事項は陸軍省,軍令事項は参謀本部という二元的処理形態となった。海軍はイギリス軍制に範をとり軍備をすすめていたが,86年陸軍にならい軍令統轄機関を独立させた。これが後の海軍軍令部(のちさらに軍令部と改称)である。89年制定の大日本帝国憲法では,この統帥権独立を承認した。これにより,陸・海軍の軍令統轄機関の長のほか陸・海軍大臣も,軍令・軍政混成事項について広義の統帥事項として,政府を経ることなく直接天皇を補佐した。さらに1907年〈軍令〉という法規が制定され,陸・海軍の統帥に関する規定は,陸・海軍大臣が政府を経る手続きによらず,直接に天皇の承認を受けることになって,統帥権の独立は事実上強化された。このため陸・海軍大臣の担当する統帥の範囲がしばしば政治問題となった。天皇の下に,このように多元的機構を有することは,これらを強力に統一することを必要とする。明治時代は,天皇側近の元老が政治と軍事の調整を図り,また元帥府や軍事参議院が陸・海軍間の問題解決に努め,天皇の指導力を補佐した。第1次世界大戦以降,国家総力戦時代になると,政治と軍事,軍政と統帥の緊密一体化がとくに必要となってきたが,日本はこれに応ずる体制がとれず,第2次世界大戦では,政略と戦略の調節を困難にした。
世界各国は,軍の中央機関として,軍政,軍令両系統を設けて,混同を避けつつ,しかも相互に協力させるよう各種の組織をとってきた。第2次世界大戦では,大統領あるいは首相などが国軍の最高統帥に当たるとともに,軍政も含め政治全般の指導に任じた。この間,空軍の独立をはじめ,軍事機構が複雑化し,陸・海・空軍の統合など多くの問題が処理された。戦後,アメリカはその経験にかんがみ,最高指揮官である大統領の下に国防総省を設けて軍政・軍令を統轄し,シビリアン・コントロールの効果的実施を図り,その下に陸・海・空軍省を置き,各省の中に参謀本部あるいは作戦部を置くほか,陸・海・空3軍の統合参謀本部を設けている。イギリスもほぼアメリカと同様の組織である。ソ連,西ドイツでは,国防大臣が直接3軍の各参謀長を指揮する組織系統であった。日本の自衛隊では,軍令,軍政の語は用いず,管理運営と呼び,だいたいアメリカにならった組織をとっている。
→軍事司法制度
執筆者:森松 俊夫
軍政には他に戦時・事変に際して軍隊がその占領地を統治することを意味する場合もある。これには占領下にある一定の地域において,軍の最高指揮官が占領地の長官となって直接軍政をしく場合と,占領した軍隊が被占領地の政府をコントロールする場合とがある。軍政は一般に被占領国の法に優越し,軍政権の承認のもとに法は効力を発揮する。太平洋戦争中,日本はフィリピン,ビルマ(現ミャンマー),タイ,インドネシアなど南方の占領諸地域で軍政をしいた。この場合,軍政を統轄するために,長官の下に軍政監部あるいは軍政部を置き,各地に軍人,官吏,民間人から抜擢された現地軍政機関の補佐職員(司政官)を置いて行政をつかさどった。日本の軍政は結果的には〈白人支配からアジアを解放する〉ことになり,各国の独立を助けることとなったが,それは決して日本政府の意図としてではなかった。日本の統治のあり方はすべてを〈日本流に〉ということであり,その目的と関心は〈日本国民の利害,利益〉にあった(太平洋戦争)。また,太平洋戦争後はアメリカ,ソ連,中国,イギリスを構成国とする連合国最高司令官(SCAP)が間接的な軍政を日本にしいた。SCAPは指令を日本政府に与え指導し,また郵便や出版物の検閲,追放,軍事裁判などを行った。1952年アメリカとの平和条約の発効により,占領軍による軍政は終わった。
執筆者:篠原 宏
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国家の軍事作用のうち、軍隊の組織・編制・維持・管理に関する行政作用をいう。軍政は、軍隊の作戦・用兵に関する軍令と区別されるが、軍政事項と軍令事項の区別はかならずしも明瞭(めいりょう)ではなく、それを「混成事項」ともいう。明治憲法下では、軍政は国務の一部として、陸・海軍各大臣が補弼(ほひつ)を行った。戦後の防衛法制においては、軍政・軍令の区別を設けず、防衛作用全体を、新たに導入された文民統制の原則の下に置いて総合的に調整している。
[古川 純]
(1)戦時での占領地の統治形態。太平洋戦争中の南方各地でみられた。南方軍政は,1941年(昭和16)11月大本営政府連絡会議の決定に基づいて実施され,占領地における治安回復,重要資源の獲得などを目的とした。(2)第2次大戦後のGHQによる日本占領の統治形態。沖縄などへの直接軍政を除き間接統治であったが,軍政の特質がうかがえる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…また,各省庁を横断するような業務を集中管理し,各省庁を調整している中枢的な省庁の活動のみが行政と呼ばれることもある。〈軍令は参謀部に属し,軍政は陸軍省に属する〉といったときの軍政という用語例にも,この種のニュアンスが含まれている。要するに,第3の用語法による行政の概念は,それが公私の別を問わず組織一般に適用されている点では第2の用語法より広い概念である反面,政府の行政機関の活動のうちのなんらかの部分のみが行政とされる点では第2の用語法より狭い概念なのである。…
…その目的は,日本の傀儡政権である同政権の維持費その他の財源確保と〈毒化〉による中国の抗戦力の麻痺にあり,39‐42年に同政権が販売したアヘンは714t,約50万~80万名のアヘン中毒者の年間吸飲量に相当する量であり,その他にヘロインなども販売した。 これに対し東南アジアの占領地に対する支配方針は,〈南方占領地行政実施要領〉(1941年11月20日大本営政府連絡会議決定)によって定められたが,それはさしあたり占領地に軍政を実施し,軍政実施の目的は重要国防資源の獲得,治安維持および作戦軍の自活確保の3点であり,その本質は帝国主義的なものであった。日本軍は,インドネシア,フィリピン,マレーシア,ビルマなどで軍政をしき,親日的な現地の有力者や官吏を軍政機関に登用したり,のちには現地住民による〈政権〉を認めたりしたが,それらはいずれも現地指導者を傀儡(かいらい)として操る方式であり,軍政は現地住民に日本への絶対服従を強要する軍事独裁体制であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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