辛亥革命(読み)しんがいかくめい

精選版 日本国語大辞典 「辛亥革命」の意味・読み・例文・類語

しんがい‐かくめい【辛亥革命】

一九一一年、清朝を倒し中華民国樹立した中国の共和主義革命。この年が干支辛亥の年にあたるところからいう。四川暴動契機武昌で革命軍が蜂起(武昌起事)、中南部一六省が独立を宣言。一二年一月、孫文大統領南京臨時政府をつくり、中華民国成立を宣言した。二月袁世凱宣統帝退位させ、孫文に代わりみずから大統領に就任し、清朝は滅亡した。第一革命。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「辛亥革命」の意味・読み・例文・類語

しんがい‐かくめい【辛亥革命】

1911年、辛亥の年に中国に起こった革命。10月10日の武昌蜂起をきっかけに各地で革命派が蜂起、翌12年1月、南京孫文大総統とする臨時政府を樹立、2月の清帝退位によって中国史上初の共和国である中華民国が成立した。しかし、この革命は社会変革を伴わず、保守派との妥協を強いられ、間もなく清朝軍閥袁世凱えんせいがいが大総統に就任した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「辛亥革命」の意味・わかりやすい解説

辛亥革命
しんがいかくめい

1911年(辛亥(かのとい)の年)に起こされた中国のブルジョア民主主義革命。この革命により、300年ほど続いた清(しん)朝が滅び、2000年来の専制政治が終わりを告げて、中華民国が生まれ、民主共和政治の基礎がつくられた。民国革命、第一革命ともよばれる。

[野澤 豊]

革命前史

辛亥革命は、少数民族である満洲族のつくった清朝の衰退と、漢民族を中心とした中国民衆の離反に由来する。白蓮(びゃくれん)教の乱に始まり、清末の諸事件を経て、義和団事件が起こされ、列強の侵略が強まり、中国の植民地化の危機が一段と深まるなかで、清朝は対外従属を強めつつ、自らの存続のためには、中央集権体制の立て直しを図らねばならなかった。制度改正、立憲準備、実業奨励、軍備強化などを内容とする新政運動が起こされたが、財源難のため、旧税の増徴と、新税の増設が不可避となり、社会的矛盾を激化させることとなって、新政反対、税金不払い、米よこせ、利権の回収などといった大衆闘争の全国的な展開をもたらすに至った。それに伴い、一方で、地方の有力者(郷紳(きょうしん))や商工界を基盤に立憲派が形成されて、立憲君主制を目ざした国会速開の運動が起こされた。他方では、華僑(かきょう)のほか、商工界の一部、留日学生や、国内の知識青年層を基盤として、孫文(そんぶん/スンウェン)ら革命派が1905年に中国同盟会を結成し、民主共和の実現を目ざして、会党(秘密結社)などと組み、反清武装闘争を華中・華南地方を中心に繰り広げていったが、失敗の繰り返しに終わっていた。

[野澤 豊]

革命の経過

1911年5月、財政難に陥った清朝は鉄道国有令を出し、民営であった鉄道を国有化して、これを担保に列強金融資本の連合体である四国借款団から多額の金を借り受けようとした。これに対して、湖南(こなん/フーナン)、湖北(こほく/フーペイ)、広東(カントン)などで広範な反対運動が起こされ、四川(しせん/スーチョワン)では大規模な武装闘争に発展した(四川暴動)。10月初め、四川討伐に湖北新軍が動員されるに及び、武漢地区で文学社や共進会などを組織し、軍隊に対して革命工作を行い、湖北新軍内に大きな勢力を張っていた革命派は、ついに10月10日武昌(ぶしょう/ウーチャン)に蜂起(ほうき)し、中華民国軍政府を設けて、辛亥革命の口火をきった(武昌蜂起)。革命の波はたちまち全国を巻き込み、1か月内にほとんどの省が呼応して、独立を宣言するに至った。

 革命派は、武漢(ぶかん/ウーハン)地区で清軍の反撃を受けて苦戦したが、南京(ナンキン)地区を攻略し、各省代表を集め、海外で軍資金の募集にあたっていた孫文を迎えて、1912年1月1日に孫文を臨時大総統とする南京臨時政府をたて、中華民国を発足させた。孫文は、「革命時代の政府」の課題は民族、領土、軍政、内治、財政の統一にあるとしたが、外からは日本、イギリスなど列強が、内では臨時政府の要職を占めた立憲派などが策動し、革命派の内部対立もあって、「北伐(ほくばつ)」による革命の徹底化は困難となり、南北和議が図られることになった。これより先、清朝は北洋軍閥の袁世凱(えんせいがい)を起用し、革命軍の討伐を命じたが、内閣を組織して軍政両権を掌握した袁世凱は、イギリスの仲介で和平を画策し、清朝の宣統帝の退位と引き換えに、孫文から臨時大総統の地位を奪い、3月10日正式に大総統に就任して、北京(ペキン)政府を発足させた。革命派は、袁世凱に法制的な拘束を加えようと、その翌日、南京で「中華民国臨時約法」を公布した。これは憲法草案ともいうべきものであるが、主権在民と、人民の自由・平等の権利を規定した点において、画期的意義をもつものであった。また、責任内閣制を取り入れて、国務総理に大きな権限を付与することで、大総統の専断を予防しようとした。4月1日、孫文は正式に辞任し、5日に臨時政府の北京移転が決定され、「革命時代」は終わりを告げた。

[野澤 豊]

袁世凱の登場と革命の終焉

袁世凱への政権委譲にあたって、孫文ら革命派の急進分子は、在野の立場にたって実業振興と社会改革を目ざそうとし、宋教仁(そうきょうじん/ソンチャンレン)ら穏健分子は積極的に政治に関与し、多数政党の樹立と責任内閣制の実現を望んだが、民国初期の中央政局は政党政治をめぐる抗争として展開されていった。立憲共和制をたてまえとした中華民国の発足に伴う政党乱立のなかで、宋教仁らは中国同盟会を改組して公開政党とし、ついで小党派をあわせて国民党をつくり、政党政治の実現を目ざした。1913年1~2月施行された国会選挙で国民党が勝利するに及び、袁世凱は列強や立憲派の支持の下に、これに武力弾圧を加え、宋教仁暗殺事件を引き起こし、4月末に五国借款団との間に2500万ポンドに上る善後大借款を結び、第二革命に勝利した。革命派を押さえた袁世凱は、帝制運動を進める一方で、日本の対華二十一か条要求を受諾したことから、第三革命が起こされた。これは袁の死で終わったものの、これより中国は軍閥混戦状態に陥り、辛亥革命は不徹底なまま終わりを告げ、反帝反封建の課題はこれ以後の闘争に引き継がれていった。

[野澤 豊]

『野澤豊著『辛亥革命』(岩波新書)』『菊池貴晴著『現代中国革命の起源』(1970・巌南堂書店)』『呉玉章著『辛亥革命』(1960・外文出版社)』『宮崎滔天著『支那革命軍談』(1967・法政大学出版局)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「辛亥革命」の意味・わかりやすい解説

辛亥革命【しんがいかくめい】

民国革命,第1革命とも。1911年(宣統3年,辛亥の年)10月10日に中国で勃発(ぼつぱつ)した革命。翌年朝は滅亡,中華民国が成立した。10月10日の武昌軍隊の蜂起(ほうき)(武昌起義)を契機に,各省軍隊はたちまちこれに呼応して,独立・革命の動きは全中国に広まり,翌1912年1月1日孫文を臨時大総統とする中華民国臨時政府が南京で成立した。これに対し清朝が起用した袁世凱(えんせいがい)は,自己の足場を固めつつ革命政権と妥協,2月には清帝を退位させ,続いて孫文に代わって臨時大総統に就任した。しかし袁は独裁化への歩みを強め続けたので,1913年,九江,南京などで国民党側は武装蜂起(第2革命)したが,失敗して孫文らは亡命し,袁が正式の大総統に就任するにいたった。
→関連項目阿Q正伝殷汝耕内田良平王国維王克敏慶親王奕【きょう】呉玉章五族共和粛親王朱徳蒋介石章士【しょう】仁学宋教仁双十節段祺瑞チベット中華人民共和国中国同盟会日露協約ファン・ボイ・チャウ溥儀北洋軍閥宮崎滔天山中峯太郎劉師培黎元洪

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「辛亥革命」の解説

辛亥革命(しんがいかくめい)

清朝を倒し,中華民国を樹立した共和主義革命。1911年(辛亥)10月10日の武昌蜂起が発端になったので辛亥革命という。日清戦争義和団事件による外国の侵略と,内乱によって動揺した支配体制を再建するため,清朝はみずから新政運動を起こし,立憲君主制の採用をはじめとする諸制度の改革に着手した。09年には地方議会(諮議局(しぎきょく))を設置し,翌年には国会(資政院)を開設した。これまで地方で新政運動を推進してきた郷紳(きょうしん)層や民族資本家などを中心とする立憲派は,諮議局によって勢力を結集し,清朝に対抗する傾向を強めた。また孫文黄興(こうこう)などの革命派は,新軍会党に対する工作を進めていた。清朝が外国から借款を得るために,11年5月川漢(せんかん),粤漢(えつかん)両鉄道の建設を外国借款団に委ねると,湖南,湖北,広東,四川で,これに対する反対運動が起こった。四川の暴動についで,武昌で革命派が蜂起し,新軍の旅団長黎元洪(れいげんこう)を擁して独立した。これに呼応して各省の革命派が蜂起し,1カ月のうちにほとんどの省が独立した。各省代表は南京に集まり,12年1月,孫文を臨時大総統に臨時政府をつくり,中華民国を成立させた。清朝は袁世凱(えんせいがい)を起用して革命の弾圧を図ったが,袁世凱は革命政府と通じて清帝を退位させ(2月12日),孫文に代わって中華民国大総統に就任した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「辛亥革命」の解説

辛亥革命
しんがいかくめい

清朝を倒し,中華民国を成立させた革命。1911年(辛亥)10月10日の武昌での蜂起 (ほうき) が発端になったことから,この名がある。第1革命ともいう。広義には,1911年10月の第1革命から1915年末の第3革命までをさす。
【第1革命】1911年,清朝が鉄道国有化の名目で外国からの借款を進めようとしたため,民衆の反対運動が激化して四川暴動が勃発。これを機に10月10日武昌の新軍が蜂起(武昌挙兵)し,これを契機に革命は各地に広がり,多くの省が独立を宣言した。翌年1月アメリカから帰国した孫文は南京で中華民国臨時大総統に推された。清朝は袁世凱 (えんせいがい) を起用し,革命軍を討たせたが,袁は革命軍と講和交渉を進めた。軍事的・財政的基盤の弱い孫文は袁と妥協して密約を結び,1912年2月,袁は宣統帝溥儀 (ふぎ) を退位させてみずから臨時大総統に就任し,北京に政府を移した。清朝滅亡後も革命派は弱体で,列強や国内封建勢力を背景に軍閥が割拠し,中国革命は以後に多くの課題を残した。
【第2革命】1913年,袁世凱 (えんせいがい) は外国資本と結んで武断政治を行い,革命派を弾圧したので,江西省では李烈鈞 (りれつきん) ・黄興 (こうこう) らによって反乱が起こり,一時は南京も占領したが,結局は袁の軍隊によって鎮圧された。孫文 (そんぶん) らは日本へ亡命し,北洋軍閥は強化された。
【第3革命】1915年,袁はますます反動化して日本の二十一か条要求を受諾し,自ら皇帝になろうとした。このため雲南省で唐継堯 (とうけいぎよう) ・蔡鍔 (さいがく) の反乱が起こり,梁啓超ら立憲派の支援を受けて南方各地に広がったため,袁は帝政を取り消し,1916年死亡。その後,黎元洪 (れいげんこう) が大総統,段祺瑞 (だんきずい) が国務総理となり,この後,北洋その他大小の地方軍閥の割拠と合議の時代が続いた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辛亥革命」の意味・わかりやすい解説

辛亥革命
しんがいかくめい
Xin-hai ge-ming; Hsin-hai kê-ming

宣統3 (1911,辛亥) 年に勃発した中国の革命。民国革命ともいう。清朝を打倒するとともに,2000年来の専制政体を倒し,アジアで最初の共和国を建設した。アヘン戦争以後の半植民地化の進展のなかで,「洋人の朝廷」と化した清朝を倒し,独立富強の中国の建設を目指したもので,孫文三民主義をその指導理念とした。8月 19日 (太陽暦 10月 10日) の武漢での新軍蜂起後,主として南方に波及し,1912年1月1日中華民国が発足,孫文が臨時大総統となったが,やがて軍閥の巨頭袁世凱に革命の成果を横取りされた。以上を第一革命という。その後第二 (13年7月) ,第三 (15年 12月) の革命が起ったが,袁世凱の死とともに軍閥の混戦となり,民生の困窮はさらに増大した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版 「辛亥革命」の意味・わかりやすい解説

しんがいかくめい【辛亥革命 Xīn hài gé mìng】

1911年(宣統3)辛亥の年に勃発し,清朝を打倒して中華民国を樹立した中国の革命。孫文はつとに1894年(光緒20),興中会を組織して革命を唱えたが,革命風潮が高揚をみせるのは20世紀に入ってからのことである。1903年には100万部も出回ったろうと推定される鄒容(すうよう)の《革命軍》の刊行,清朝の権威失墜に終わった《蘇報》事件の発生など,世の耳目を聳動(しようどう)する大事件がつぎつぎと起こった。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「辛亥革命」の解説

辛亥革命
しんがいかくめい

1911〜12年にかけて清朝を滅ぼし,中華民国を成立させた革命
1911年が辛亥の年にあたるためこの名がある。同年10月10日の武昌蜂起を糸口として各地に波及,'12年1月,孫文が南京で臨時大総統に就任し,中華民国が成立。ついで宣統帝を退位させ,清朝は滅亡した。その後政府の権力は,諸外国に動かされる袁世凱 (えんせいがい) らの軍閥の手に奪われた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

推し

他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...

推しの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android