出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長野県北佐久郡軽井沢町の大字。中山道と北国街道の分れ目の追分は近世の宿名として有名になった。古代には《延喜式》の長倉駅,長倉牧,長倉神社があった地域と考えられ,現地の諏訪神社にある大般若経には1169年(嘉応1)の〈佐久郡長倉郷逐分大明神〉とあるのをはじめ,逐分諏訪大明神,追分諏訪神社と記したものが数多く,古くからの地名であったことが知られる。近世には中山道の沓掛(くつかけ),小田井両宿の中間の宿で,軽井沢,沓掛とともに浅間三宿といわれた。北国街道の基点としては小諸宿へ継ぎ立てた。1838年(天保9)には荷物貫目改所が置かれた。43年には家数103軒,人別712人うち女449人で,食売女(飯盛女)が多かったことを示している。耕地がほとんどなく宿場稼ぎの村で,72年(明治5)の宿駅制度廃止で大打撃を受けた。89年町村制実施によって近村と合併して西長倉村となり,1942年軽井沢町(もと東長倉村)に併合。いまは避暑地となる。
執筆者:児玉 幸多
街道の分岐点をいう。そこまでは一本であった道が二つに分かれ,それぞれ異なる方向に進みはじめるところである。追ってきた牛や馬を,どちらか一方の道に〈追い分ける〉ことから生じた名称と言われている。〈追分〉という地名は今も各地に残されている。その代表例として著名なのは長野県北佐久郡軽井沢町の追分で,中山道と北国街道の分岐点であった。江戸時代,ここには宿駅が設置され,多くの旅人でにぎわった。なお,追分の地名は,目的地を異にする分岐点にのみあるわけではなく,新道が旧道から分かれるところ,あるいは同じ目的地へ向かう幾筋かの道が分かれるところにも残されている。たとえば越中富山から飛驒高山へ向かう飛驒街道の笹津の追分(現富山市,旧大沢野町)はその例で,神通川東岸経由の道と西岸経由の道とが分かれるところであった。
→追分節
執筆者:胡桃沢 勘司
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化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...
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