百科事典マイペディア 「遊佐幸平」の意味・わかりやすい解説
遊佐幸平【ゆさこうへい】
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「昭和の曲垣(まがき)平九郎」といわれた馬術の名手。宮城県鳴子(なるこ)村湯元(大崎(おおさき)市鳴子温泉湯元)生まれ。馬産地育ちの影響もあって軍隊に入り、1917年(大正6)陸軍騎兵学校馬術教官、35年(昭和10)陸軍少将となった。オリンピックには1928年のアムステルダム大会から5回、選手、監督、団長として参加している。軍人育ちだけに体はたくましく、声は大きい。姿勢はよく、ぴんと張ったカイゼルひげは別名「遊佐ひげ」といわれていた。馬に関しての造詣(ぞうけい)は深く、日曜を除く毎日風雨をいとわず乗馬の練習をしていた。また後進の育成にも力を注ぎ、オリンピック・ロサンゼルス大会(1932)で、弟子の西竹一(たけいち)中尉が愛馬ウラヌス号で優勝している。1955年(昭和30)紫綬(しじゅ)褒章受章。
[石井恒男]
『遊佐幸平著『遊佐馬術』(1983・第一出版)』
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