保護を必要とする状態にある人に対して,現に援助を与えうる状態にある人,あるいは援助を与えるべき位置にある人が,当該者をそのまま放置し,あるいは保護を与えることを拒むことを指す。民法上問題とされる遺棄は,親族関係の存在を前提とする。具体的には,養子縁組当事者間,配偶者間における悪意の遺棄は,それぞれ離縁原因・離婚原因となる(民法814条,817条の10,770条)。ただし,悪意の遺棄の意味は,離縁原因の場合と,離婚原因の場合で異なっている。前者の場合には扶養義務の違反を意味する(ただし,特別養子(〈養子〉の項目参照)の場合については事情が異なる)のに対して,後者の場合には,扶養義務を履行していても,相当の理由なく同居義務に違背していれば,それだけで離婚原因となる。またいずれの場合にも,扶養義務の不履行が問題とされるのは,近代市民家族法が,基本的には資本主義的財産制度の一環に位置づけられている結果といえよう。
また近時,要扶養者に最低限の金銭的保護を与えながら,身体的な介護や精神的な結びつきを拒否するという〈遺棄状態〉のケースが顕在化している。このような〈遺棄状態〉は,夫婦間だけでなく,老親と子,未成熟子とその親の間にもひろがっており,それらのなかには,刑法上の遺棄罪に該当する事例も少なくないと考えられる。こうした〈遺棄状態〉を生み出す社会的背景として,貧困と人間関係のこじれの2要素があげられる。とくに後者の原因から発生する片親家庭や老人置去りなどの事例に対しては,〈遺棄状態〉への懲罰的・事後的・消極的な対応ではなく,正常な家族関係を支えうる社会的条件の確立が急務である。また特定の個人が意識的に他者を〈遺棄状態〉に追い込んだというのではないが,父子家庭の子ども,1人暮しの老人の場合のように,社会的な福祉制度が十分でないために,結果的に社会から遺棄されたに等しい状態が生み出されてきていることも,検討すべき課題である。
執筆者:橋本 宏子
刑法は,精神・身体上の発達が不十分ないしそれらに障害があるため扶助を必要とする者を遺棄する行為を遺棄罪として処罰する旨規定している(217条,218条)。親族関係の存する場合には限らない点で民法と異なる。遺棄行為は,常に犯罪視されてきたわけではないし,どの範囲の者にどの程度の扶助を要求するかは時代や社会によって異なる。棄老・捨児が黙認される状態は長く続くが,中世ヨーロッパにおいて,ようやく遺棄罪の萌芽が登場する(カロリーナ刑事法典132条)。日本でも,1880年の旧刑法が初めて遺棄罪についての定めを置いた(336条等)。また,現代においても,家族に対する扶養義務に反する場合に限って処罰する国も多い。日本の刑法における遺棄罪は,単純遺棄罪(217条。刑は1年以下の懲役)と保護責任加重遺棄罪(218条。刑は3月以上5年以下の懲役)から成り,通説によれば,両者は主体および行為態様により区別される。すなわち,まず後者は,法令・契約・条理等に基づく保護責任のある者,例えば親権者,雇い主,過失により歩行者をひいた運転手等のみが主体となりうるとされ,重い刑が科される。さらに,218条の遺棄行為のうちには,被遺棄者を危険な場所に置去りにするという不作為をも含む点で,処罰範囲が広いとされる。これに対し,単純遺棄罪における遺棄行為は,被害者を危険な場所に移転させる作為(移置)が必要とされるのである。客体については両者に差異はなく,老年者,幼年者,身体障害者または病者が含まれる。解釈上最も問題となるのが病者で,精神病者,泥酔者,負傷者,飢餓者なども状況によっては含まれうるが,妊婦や熟睡中の人を放置しても遺棄罪は成立しえない。遺棄した結果,被遺棄者が死傷した場合には,傷害罪と比較して刑の重い方に従って処断される(219条)。
執筆者:前田 雅英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
遺棄とは、要保護者(老年者、幼年者、身体障害者、病者など保護を必要とする者)の生命や身体の安全を危険にさらして監護義務を放棄している状態をさす。刑法上では、遺棄罪(217条~219条)として処罰の対象となる。また乳幼児や児童に対する遺棄は、児童虐待におけるネグレクト(育児放棄)に該当する。
戦前は、遺棄の一種として堕胎や嬰児(えいじ)の間引きに加えて捨て子や人身売買が、とくに飢饉(ききん)後の農村で横行し、身売り奉公先で遊女(娼婦)が病にかかり放置されて亡くなることも多かった。
遺棄には、扶養義務者の家出(蒸発)も含まれる。家出の原因として借金や愛人宅へ生活の場を移すなどがあげられるが、これらの扶助義務や同居義務に不当に違反する家出は「悪意の遺棄」(民法770条)として離婚事由の一つに該当する。またコインロッカーに子どもを捨てる事件(1973)など、要保護者のなかでも乳幼児を対象とした置き去り(捨て子)は保護責任者遺棄罪(刑法218条)として処罰対象となる。その他、熊本市の私立病院に「赤ちゃんポスト」(2007)が設置されて以降、保護責任者の乳幼児の遺棄に対する社会的な関心が高まっている。
遺棄には、家族間の葛藤(かっとう)や扶養意識の希薄化などとともに、非正規雇用の増加や就職難などの生活の困窮化も密接にかかわっている。今後は、扶養義務者の遺棄に対する責任の追及だけではなく、要保護者に加えて扶養義務者をいかに社会全体で見守り支えていくかが課題となる。
[作田誠一郎]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新