福島県中部,中通り地方の中央にある市。1924年市制。人口33万8712(2010)。市域は標高250m前後の郡山盆地を中心に,東は阿武隈高地西部の丘陵地,南東端は蓬田岳(952m),西は奥羽山脈の山地から猪苗代湖畔,北端は安達太良山頂(1700m)に及ぶ。中心市街地の郡山は阿武隈川左岸の段丘上に位置する集落から発展したもので,地名は古代安積(あさか)郡の郡衙(ぐんが)があったことに由来する。近世初期は会津領であったが,1643年(寛永20)から二本松藩領となってその代官所が置かれ,奥州街道の宿場町として,また市場町として栄えた。1767年(明和4)以降しばしば火災にあい,戊辰戦争の被害も大きかった。1873年(明治6)に地元の商人阿部茂兵衛らが開成社を組織し,市街西方にある台地の開拓を始め,桑野村が新設された。これが契機となり,国営事業として猪苗代湖より水を引く安積疎水(1882完成)の開削と,久留米藩士その他の旧士族の入植により,盆地内の諸台地が開拓された。87年には現在の東北本線が開通した。98年紡績工場が設立され,翌年には同工場によって疎水の落差を利用した沼上発電所が建設されて,その余剰電力を使用する化学工業などの工場もできて急速に発展し,いわき市に次いで県下2位(1995)の工業出荷額をあげている。鉄道(東北新幹線,東北本線,磐越東線,磐越西線,水郡線)や道路(東北自動車道,磐越自動車道,国道4号線など)が集中し,県南地区の商工業の中心となった郡山は1964年新産業都市に指定され,従来の繊維,化学部門のほかに精密工業なども加わり,翌年周辺12町村と合体して,現市域となった。市街地は現在盆地床の半ば近くまで占める勢いであり,実質的には福島県第一の都市となっている。
執筆者:大澤 貞一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…奈良県北西部の市。1953年郡山町に平和,矢田,治道(はるみち),昭和の4村が編入,翌54年大和郡山町と改称して市制。人口9万5165(1995)。…
… 大和国は倭国,大倭国,大養徳国,山門国,日本国,大日本国などと表記されるほか,《万葉集》には,山常,山跡,和,大和などともみえている。藤原宮跡出土の木簡に〈倭国所布評〉と記すものがあり,707年(慶雲4)11月の威名大村骨蔵器銘文には,〈大倭国葛木下郡山君里〉の表記がみえている。一方,《続日本紀》では,大倭国,大養徳国,大和国などの表記がみえ,737年12月27日に,大倭国を改めて大養徳国としたが,747年3月16日に再び大倭国としたという。…
…福島県のほぼ中央,阿武隈川中流部にある盆地。東は阿武隈高地,西は奥羽山脈に属する川桁(かわげた)・額取(ひたいどり)両山地に限られるが,北部は青田原付近で本宮(もとみや)盆地に続き,南部は郡山市と岩瀬村,須賀川市との境界付近で須賀川盆地に移行する。広義には本宮盆地から須賀川盆地までを含めることがある。…
※「郡山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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