百科事典マイペディア 「郭煕」の意味・わかりやすい解説
郭煕【かくき】
→関連項目安堅|院体画|三遠|朱徳潤|曹知白|李在|林泉高致
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生没年不詳。中国、北宋(ほくそう)後期の山水画家。河南省温県の人。字(あざな)は淳夫。神宗の煕寧(きねい)年間(1068~1077)を中心に、仁宗、英宗の芸学、待詔として宮廷画院の指導的地位にあって活躍した。宮殿、寺院などに多くの大画面壁屏(へきへい)画の制作を行い、李成の後を受けて華北系山水画の画風を総合し、その画風は李成とともに「李郭」とよばれ、画院に追随者を出した。鹿角(ろくかく)の寒林、荒涼とした平野、断崖(だんがい)、重畳する山々などの大観を特徴とする。また優れた論画家でもあり、その画論「林泉高致」では、中国山水画の基本である高遠、深遠、平遠の三遠の法則を定位している。彼の70歳前後の作品である『早春図』(台北・故宮博物院)には、この三遠法すべてが駆使されている。
[星山晋也]
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