江戸中期の読本作者,儒者,医者,書家。通称六蔵,字は公声,号は近路行者(きんろぎようじや),大江漁人,辛夷館。大坂に生まれ,10代の終りから医学を京都の古医方の大家香川修庵に学んだ。当時流行の中国白話小説に親しむようになる。大坂へ帰り20代後半に医者となり,多くの門下生を養成した。儒者・文学者としての活動を始めた彼は,前々から構想をめぐらしていたものを基礎にして,まず前編として1749年に,《古今奇談・英草紙(はなぶさそうし)》を出した。これは中国白話小説や《剪灯(せんとう)新話》などから材を取り,日本風な構成にしており,彼の学識がいたるところに見られる。今日この作品を読本(よみほん)の元祖とみなしている。66年に後編として《古今奇談・繁野話(しげしげやわ)》を出し,同様に中国白話小説を利用し,さらに晩年に続編として《古今奇談・莠句冊(ひつじぐさ)》を刊行し,初期読本の名作3編を残した。これらの作品は,上田秋成や建部綾足(たけべあやたり),山東京伝など,後の読本作者に創作方法の上で大きな影響を与えている。大坂天満に住し,儒医としての庭鐘は博学で有名であり,木村蒹葭堂や,香道の大枝流芳らとよく交わり,秋成の学問の師のみならず,医学の師とも考えられている。その他の著書に《通俗医王耆婆(ぎば)伝》《狂詩選》などがあり,中国の《康煕字典》の翻刻校刊もある。なお,浄瑠璃《呉服文服・時代三国志(くれはあやはじだいさんごくし)》を庭鐘の作品とみる説も出ている。
執筆者:浅野 三平
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江戸中期の小説家。通称は六蔵、庭鐘は名、字(あざな)は公声。十千閣、近路行者(きんろぎょうじゃ)、千里浪子、大江漁人、巣庵(そうあん)、辛夷館(しんいかん)、巣居、毛野村丹三郎、渡頭一舟子などの号をもつ。大坂の人。書と篆刻(てんこく)を新興蒙所(におうもうしょ)に、医を古医方の大家香川修庵に学び、また茶道家で香道の古法を興した大枝流芳と交わる。漢学は京都の徂徠(そらい)学派の者に学んだらしい。とくに当時流行の中国白話(はくわ)文学を愛好し、それを翻案して『英草紙(はなぶさそうし)』(1749刊)、『繁野話(しげしげやわ)』(1766刊)、『莠句冊(ひつじぐさ)』(1786刊)の三部の小説を著したが、これが読本(よみほん)の嚆矢(こうし)であって、読本史に占める位置は大きい。大坂・天満で医を開業し、その知識に基づいて『通俗医王耆婆(ぎば)伝』(1763刊)を著したが、かたわら篆刻の書『全唐名譜』(1741刊)、『漢季章譜』(1791刊)を著し、投壺(とうこ)、本草など広く中国の学芸を渉猟し、中国戯曲の知識に基づく『四鳴蝉(しめいぜん)』(1771刊)もある。なかでもっとも有意義の著作は『康煕(こうき)字典』を1778年(安永7)に校刊したもの。その博学と上田秋成(あきなり)に中国小説を指導した見識とは、当時の大坂の第一流の人物としてよい。
[徳田 武]
(樫澤葉子)
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…このころ,秋成は2人の知識人と出会い,それが決定的な人生の転機ともなった。ひとりは,大番与力を職とする国学者加藤美樹(宇万伎)(うまき)であり,もうひとりは大坂天満の医師,白話小説家都賀庭鐘(つがていしよう)である。前者から,日本の古典の美しさとその学問を,後者から,中国白話小説の斬新なおもしろさを教えられ,彼は大きく文学的に触発された。…
…読本。近路行者(きんろぎようじや)(本名都賀(つが)庭鐘)の2番目の作品。1766年(明和3)刊。5巻に9編の短編を収めている。題簽(だいせん)などに《古今奇談英草紙後編繁野話》とあり,16年前の《英(はなぶさ)草紙》の後編として刊行された。《英草紙》と同様に中国の資料を利用し,《任氏伝》や《白猿伝》,さらに《古今小説》や《今古奇観》などの白話小説を翻案している。また,日本の文献として,《日本書紀》や《太平記》,謡曲《唐船(とうせん)》,中世の野史《浪合記(なみあいき)》なども利用されていて,前作同様和漢の文献が使用されている。…
※「都賀庭鐘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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