精選版 日本国語大辞典 「酒井忠清」の意味・読み・例文・類語
さかい‐ただきよ【酒井忠清】
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江戸前期の譜代(ふだい)大名。上野(こうずけ)(群馬県)前橋城主。4代将軍徳川家綱(いえつな)時代の老中首座。大老とも称される。徳川将軍家と同祖とされる譜代の名門雅楽助(うたのすけ)酒井氏の忠行(ただゆき)の嫡男として生まれる。祖父忠世(ただよ)は2代秀忠(ひでただ)、3代家光(いえみつ)の老中として功績が大きかった。父忠行は1636年(寛永13)病没し、翌年忠清は14歳で前橋城主となった(10万石、のち15万石)。父祖以来重臣として主家を補佐する家格に従って忠清も奏者(そうじゃ)とされるなど要職についていった。また相続後、従(じゅ)五位下、河内守(かわちのかみ)に叙任され、ついで従四位下、侍従(じじゅう)となり、さらに少将に進み、雅楽頭(うたのかみ)と改めた。51年(慶安4)家綱が11歳で4代将軍の座につくと、忠清は重臣としてこれを補佐し、53年(承応2)老中首座にあった酒井忠勝(ただかつ)(小浜(おばま)藩主)と同列という格で老中に任ぜられ、座位は忠勝の上席とされた。家格による任命である。これ以後、とくに前代からの老中酒井忠勝、松平信綱(のぶつな)ら亡きあとは名実ともに幕閣の中心として将軍政治を支え、「寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)の治」ともいわれる安定した幕藩秩序をつくりあげていった。その屋敷が大手門下馬札(げばふだ)のあたりにあったことから「下馬将軍」と称せられたなどはその権勢の強さを示している。家綱没時に宮将軍を擁立しようとしたとか、越後(えちご)騒動の取扱いが不当であったなどの非難も受けているが、これは綱吉(つなよし)が5代将軍になるとまもなく忠清が失脚したことと関連していわれるものであろう。
[林 亮勝]
『林亮勝著「酒井忠清」(『江戸幕府 上』所収・1964・人物往来社)』
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(大森映子)
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1624~81.5.19
江戸前期の老中・大老。上野国前橋藩主。忠行の嫡男。忠世の孫。雅楽頭(うたのかみ)。1637年(寛永14)家督を継ぎ10万石を領した。翌年奏者を勤め,41年従四位下に叙任。51年(慶安4)少将,雅楽頭に改めた。53年(承応2)筆頭老中,66年(寛文6)奉書加判を免じられ大老。4代将軍徳川家綱のもと,老中阿部忠秋の引退後は独裁的な権力をふるい,屋敷が大手門下馬札の前にあったことから,下馬将軍と称されるほどであった。80年(延宝8)徳川綱吉の将軍就任後,失脚。
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…叔父伊達兵部少輔宗勝,庶兄田村右京宗良がそれぞれ3万石を分知され後見となり,幕府国目付の毎年派遣の下に藩政が行われた。奉行奥山大学常辰が当初権勢をふるったが,兵部(宗勝)は63年(寛文3)これを罷免,幕府老中酒井忠清と姻戚関係を結び,奉行原田甲斐や側近出頭人を重用して一門以下の反対勢力を弾圧,斬罪切腹17名を含む120名余を処分した。66年には亀千代毒殺未遂のうわさがたち医師河野道円父子が殺害され,68年にも同様の事件があって兵部らの陰謀とする非難が高まった。…
…幕府もこの事態に対応するため,全領主的支配を強化しようと努力したが,4代将軍家綱が病弱で政務の主導力に欠け,固定化した格式制度が政治刷新の障害をなした。当時幕政に専権をふるったのは譜代最高の門閥の権威を背景とした大老酒井忠清で,役宅が江戸城大手門下馬札前にあったところから〈下馬将軍〉の異名を受けたほどであったという。 1680年(延宝8)5月将軍家綱が死去し,将軍となった弟の綱吉は直ちに忠清を罷免した。…
…上野国(群馬県)前橋城に藩庁をおいた譜代中藩。城は戦国末期に上杉氏の関東進出の拠点であった。1590年(天正18)徳川家康の関東入国に伴い,その側近平岩親吉が甲斐御嶽衆を率いて入封,立藩した(3万3000石)。在城11年に及ぶが治績は不詳。ついで1601年(慶長6)武蔵川越から酒井重忠が封ぜられ(3万3000石),以後酒井氏の治政が9代150年間続いた。酒井氏は徳川氏と同祖と伝える名門である。重忠の子忠世,その孫忠清はともに老中,大老となって創業期の幕閣に重きをなしたが,とくに忠清は将軍家綱の治政に独裁的権勢を振るい,下馬将軍といわれた。…
※「酒井忠清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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