精選版 日本国語大辞典 「野球」の意味・読み・例文・類語
や‐きゅう ‥キウ【野球】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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団体運動競技で、球技の一つ。アメリカ発祥のベースボールbaseballの訳。アメリカ、日本を中心に、中米、東アジア、オーストラリアで盛んに行われ、近年ではヨーロッパ、アフリカでも競技人口が拡大している。1チーム9人ずつの2チームに分かれ、攻撃と守備を交互に繰り返すのが特徴。まず、守備側の投手が投げた球を、攻撃側の打者がバットで打ち、一塁、二塁、三塁、本塁の順に回ると得点となる。攻撃はアウト三つで終了する。先攻チームと後攻チームが交互に9回ずつ攻撃をして、その得点の多さを競うゲームである。
起源については諸説あるが、1845年にアメリカで現在の形の基礎がつくられ、1869年には最初のプロチームが生まれるなどアメリカ有数の人気スポーツとなり、国民的娯楽となった。日本には1872年(明治5)に伝えられ、大学野球が盛んになったところから全国的な人気スポーツとなり、多くのスポーツのなかでも群を抜いて親しまれ、普及した。
世界的には普及に偏りがあり、競技人口もそれほど多くない。アメリカ、日本以外では、台湾や韓国、オーストラリアには1980年代からプロリーグがあり、人気スポーツの一つである。中米諸国ではキューバ、ドミニカ、プエルトリコなどが強豪国として知られている。ヨーロッパではあまり盛んではないものの、20世紀後半には各国でアマチュア連盟が創設されており、20世紀末ごろから人気の高まりをみせている。南アジアやアフリカではまだ発展途上だが、野球先進国による普及活動が継続的に行われている。
[粟村哲志 2020年12月11日]
野球の起源は明確に特定されていないが、イギリス発祥のクリケットやラウンダーズが発展して成立したものと考えられている。投げられた球を木の棒で打つところや攻守交代制はクリケットに、塁を回って得点するところはラウンダーズに似ている。クリケットではバットを持って球を打つ者をバッツマンとよぶが、野球用語にもその名残(なごり)がみられることなどはその証左である。ラウンダーズは19世紀なかばにアメリカにもたらされ、南北戦争を通じて各地に広まったとされる。
当時のラウンダーズは参加人数も塁の位置も定まっていない牧歌的な遊びであったが、アメリカ各地で開かれた「タウン・ミーティング」とよばれる政治集会の際のレクリエーションとして好まれるようになり、タウン・ボールともよばれるようになる。町ごとの名前が冠されてフィラデルフィア・ボールとかニューヨーク・ボールなどとよばれた遊びの総称である。このころ四つの塁を回って得点する特徴が生まれたものの、ルールはまちまちで、走者をアウトにするためにボールを投げ当てるなど、現在のルールと決定的に違う点も数多くあった。
1845年、ニューヨークの実業家アレキサンダー・カートライトAlexander Cartwright(1820―1892)が、このタウン・ボールのルールを統一してベースボールの原型を考案し、自ら「ニッカーボッカーズ」というチームを結成して対戦相手を募り、実際に試合も行った。初めての対外試合の相手は「ニューヨーク・ナイン」であり、このことをもって近代野球の創始とする説が一般的である。この原型のルールをとくに「ニッカーボッカー・ルール」とよび、塁間が42ペイス(90フィート、約27メートル)、1チーム9人、ファウル・ラインの設定、アウト三つで攻守交代、走者をアウトにするためにボールを投げ当てるのではなく塁にボールを送ることとするなど、現在のルールの基礎がつくられた。
なお、ある時期まで「ベースボールは1839年にニューヨーク州のクーパーズタウンで、将軍アブナー・ダブルデイAbner Doubleday(1819―1893)によって考案された」という説が流布しており、そのためクーパーズタウンには野球殿堂博物館も建設されて広く知られている。しかし、ダブルデイ将軍が生前ベースボールにかかわっていた形跡はなく、現在では誤りとされている。
ベースボールはたちまち人気スポーツとなり、アマチュアクラブが盛んにつくられて各地で試合が行われ、1858年には初のアマチュア組織NABBP(ナショナル・アソシエーション・オブ・ベースボール・プレイヤーズ)が発足した。人気が過熱するにつれ、ひそかに報酬を得てプレーする者も現れ、1866年には初めて正式に金銭契約を結ぶプロ選手が登場する。さらに1869年には全員がプロ選手の「シンシナティ・レッドストッキングス」も誕生し、金銭がらみのプロ球団を好まないアマチュア主義者との分裂を招いた。
1871年に初のプロ組織「ナショナル・アソシエーション」が発足するも運営が破綻(はたん)して5年で解散したが、1876年に「ナショナル・リーグ」が結成され、これが現在まで続くメジャー・リーグのはじめである。その後いくつかのプロリーグがおこるがいずれも短命に終わり、1901年にメジャー・リーグ宣言をした「アメリカン・リーグ」と最古参のナショナル・リーグとの二大リーグ制が確立されて現在に至っている。そしてアメリカ国内に数多く存在したマイナーリーグは「ナショナル・アソシエーション」として統合され、メジャー・リーグに選手を供給する傘下組織としての「マイナー・リーグ・ベースボール」へと発展した。
メジャー・リーグは1960年までナショナル8球団、アメリカン8球団の計16球団で運営されたが、1961年にアメリカン・リーグに2球団が新加入し18球団、1962年にナショナル・リーグに2球団が新加入し20球団となる。その後も何度かリーグの拡張が実施され、1998年に30球団制となって現在に至る。
[粟村哲志 2020年12月11日]
日本に野球が伝わったのは、1872年に現在の東京大学の前身である第一大学区第一番中学に教師として赴任したアメリカ人のホーレス・ウィルソンHorace Wilson(1843―1927)が生徒たちに教えたことによるものであるというのが定説である。ただし、それ以前にも野球を伝えたアメリカ人がいたという説がいくつかある。いずれにしてもお雇い外国人として来日したアメリカ人が学生たちに伝え、楽しまれたのが始まりであることは間違いない。これによって学生スポーツとして全国に広まり、競技スポーツとしても観戦スポーツとしても別格の人気を博した。
また、アメリカ留学から帰国した平岡煕(ひらおかひろし)(1856―1934)が新橋の工部省官舎に住み、1878年に仲間と結成した「新橋アスレチック倶楽部(くらぶ)」は日本初のクラブチームとして知られており、1882年に駒場農学校野球部との間に行われた試合が、日本初の対抗試合とされる。
第一大学区第一番中学はのちに第一高等学校と改称され、一高野球部は無類の強さを誇った。その後、他大学の野球部も力をつけ、1903年(明治36)に初めて「早慶戦」(早稲田(わせだ)大学と慶応義塾大学の対抗戦)が行われて大きな話題となったり、1905年に早大野球部が日本初とされるアメリカ遠征で最新知識を得て帰国したりと、発展の一途をたどった。
さらに大学生の指導のもとで中等学校でも野球が盛んに行われるようになり、1915年(大正4)に大阪の豊中グラウンドで行われた全国中等学校優勝野球大会は、のちに阪神甲子園球場に会場を移し、現在まで続く高校野球人気の原点となった。
また、学生野球の選手が卒業したのちは各地のクラブチームで散発的に活動するのみだった状況をみた東京日日新聞の橋戸信(はしどまこと)(1879―1936)が「都市対抗野球大会」を発案。1927年(昭和2)に明治神宮野球場で第1回大会を開催し、現在でも社会人野球最高峰の大会と位置づけられている。
学生野球中心の発展が続くなか、1936年には日本初のプロリーグ「日本職業野球連盟」(1939年に「日本野球連盟」と改称)が設立され、プロ野球も始まった。当初は金銭を得て野球をすることを嫌う風潮も強かったが、しだいに人気を博した。太平洋戦争の激化により1944年シーズンをもってリーグ戦は一時休止され、戦後の1946年(昭和21)に復活してからプロ野球人気はさらに高まった。プロ野球は1949年末2リーグに分裂し、「セントラル・リーグ」と「パシフィック・リーグ」が発足した。同時に日本野球連盟も解散し、日本野球機構(NPB)が設立された。運営初年度の1950年はセ・リーグ8球団、パ・リーグ7球団だったが統廃合があり、1958年には両リーグ6球団ずつとなって現在に至っている。
21世紀に入ってからは、独立リーグの隆盛と女子野球人口の拡大が大きな変化である。2005年(平成17)に発足した「四国アイランドリーグ」と2007年に発足した「北信越BC(ベースボール・チャレンジ)リーグ」を中心とした独立リーグがNPBを目ざす若者たちの受け皿となり、NPBに進むプレーヤーも増加している。女子野球は戦後すぐにプロ球団が興行を行ったものの10年ほどで下火になり、2000年ごろからふたたびアマチュア野球で盛んとなって競技人口も増加している。女子野球ワールドカップでは2008年の第3回大会から2018年の第8回大会まで6連覇を達成し、2010年には女子プロ野球リーグも始まって一定の人気を博している。
[粟村哲志 2020年12月11日]
軟式野球は、ゴム製で中空の「軟式ボール」を使用して行われる、日本独自の競技である。
明治、大正期の野球人気の高まりとともに、子どもたちはテニスボールやスポンジ製のボールを用いて野球遊びをするようになった。しかし、これらのボールは競技性の点で本来のボール(硬式球)に劣ったため、京都の糸井浅次郎と鈴鹿栄(すずかさかえ)(1888―1957)が、成長期の子どもに適したゴム製のボールを考案し、1919年に神戸市の会社が完成させた。これによって少年野球人口が増加し、軟式野球とよばれて広く普及した。また、子どもたちだけでなく大人のレクリエーションとしても広く人気を博し、競技人口が大きく拡大した。軟式球を用いて行う楽しみのための野球は俗に「草野球」とも称され、全年代的な趣味として認知されている。
[粟村哲志 2020年12月11日]
20世紀においては、国際野球連盟(IBAF)主催の「ワールドカップ」および「インターコンチネンタル・カップ」と、夏季オリンピック大会で実施される野球競技が主要な国際大会だった。IBAFワールドカップは1938年から2011年まで計39回実施され、IBAFインターコンチネンタル・カップは1973年から2010年まで計17回実施された。夏季オリンピックでは1904年以降、公開競技として計7回行われた後、1992年のバルセロナオリンピックで正式競技となり、5大会連続で実施された。しかし2012年のロンドンオリンピックで正式競技から除外されて実施されなくなった。2020年に開催予定であった東京オリンピックで開催都市提案の追加競技となったが、その後の大会で実施される予定はない。
これらの国際大会は当初、アマチュア野球の最高峰として位置づけられ、プロ選手は参加しなかった。2000年のシドニーオリンピックからプロ選手の参加も認められたが、メジャー・リーグの主力選手は参加しなかった。
このような状況のなかで、メジャー・リーグ機構とメジャー・リーグ選手会が、世界に野球を普及させる戦略の一環として、2006年に「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」という大会を立ち上げた。この大会は「野球の世界一決定戦」と銘打たれ、メジャー・リーグや日本プロ野球からもトップ選手が参加していることが特徴である。WBCは第2回大会を2009年に実施した後、4年に一度ずつ開催されている。
野球のオリンピック除外に危機感を募らせたIBAFは、国際ソフトボール連盟(ISF)と協力して、両組織を統括する世界野球ソフトボール連盟(WBSC)を2013年に設立し、従来のワールドカップやインターコンチネンタル・カップを廃止してWBCを公認大会とした。さらにWBSCはU-23、U-18、U-15、U-12の年代別ワールドカップおよび女子ワールドカップを整備するとともに、2015年には「WBSCプレミア12」という大会を創設し、WBCが開催される中間の年に、WBSCが定める世界野球ランキング上位の12か国が世界一を競うこととした。
[粟村哲志 2020年12月11日]
囲いがある競技場で、監督が指揮する9人のプレーヤーからなる二つのチームに分かれて、1人ないし数人の審判員の権限で進行する。先発プレーヤーが控えプレーヤーと交代することはボールデッドのときならいつでも可能だが、一度退くとふたたびプレーすることはできない。
試合は片方のチームが守備につき、審判員が「プレー」の宣告をし、投手(ピッチャー)が攻撃側の打者(バッター)に投球して始まる。守備側のプレーヤーは(1)投手、(2)捕手(キャッチャー)、(3)一塁手(ファースト・ベースマン)、(4)二塁手(セカンド・ベースマン)、(5)三塁手(サード・ベースマン)、(6)遊撃手(ショート・ストップ)、(7)左翼手(レフト・フィールダー)、(8)中堅手(センター・フィールダー)、(9)右翼手(ライト・フィールダー)の九つのポジションに分かれて守る。守備の際はフェア・グラウンドであればどこに位置しても差し支えないが、あらかじめ届け出た守備位置から他のポジションへ恒常的に入れ替わる際は審判員に申し出る必要がある。
投手の投球を打つか打たないかは打者が選択できる。打者は投球を打ったら一塁(ファースト・ベース)、二塁(セカンド・ベース)、三塁(サード・ベース)と進み、本塁(ホーム・ベースまたはホーム・プレート)に戻ると1点が記録される。得点の多いほうが勝ちとなるので、攻撃側はより多くの得点をあげるよう努め、守備側は失点を少なくするように努める。
攻撃側の打者が打つ順番はあらかじめ決められており、9人が順番に打つことを繰り返す。投手が打つ番のときにかわりに打つ指名打者を用いる制度もある。打順の間違いには罰則があるが、だれも気づかず指摘されなければ試合はそのまま進む。
打者が投球を見送った場合、審判員はその投球がストライクかボールかを判定する。ストライクとは本塁上に設定されたストライク・ゾーンを通過したものをいい、打者が打たなかった投球が、ボールの一部分でもストライク・ゾーンを通過すればストライクと判定される。ストライク・ゾーンを通過しなければボールとなる。打者が打とうとして空振りしたものもストライクに数えられる。ストライクを3回宣告されると打者はアウト(三振)になり、ボールが4回宣告されると打者に一塁への出塁が与えられる(フォア・ボール、四球)。投球がストライク・ゾーン以外で打者の身体に当たった場合も、原則として一塁へ行ける(デッド・ボール、死球)。
競技場はフェア地域とファウル地域に区分されており、本塁を基点として中心角90度の扇形を描いた部分がフェア地域である。フェア地域とファウル地域はファウル・ラインによって区切られる。フェア地域の外側がファウル地域となる。打者の打った打球がフェア地域に飛べばプレーが続けられ、ファウル地域に飛べばプレーは停止されて打ち直しとなる。打球がフェアかファウルかを判断する基準はファウル・ラインであり、飛球がフェア地域に落ちればフェア、ファウル地域に落ちればファウルとなる。ファウル・ラインはフェア地域の一部であるため、打球がファウル・ラインに少しでもかかっていればフェアとなる。地面を転がるゴロの打球については一塁ベース、三塁ベースが基準となり、ベースを通過する際にフェア地域を通ればフェア、ファウル地域を通ればファウルとなる。
打者は投球を打ち返したら一塁に向かって走る。その後、プレーが継続されている限り二塁、三塁、本塁と進むよう努める。進めなければ塁に触れてとどまる。打球がファウルとなれば打者も走者も元の位置に戻ってやり直す。ファウルで打ち直しの際は、打者にストライクが一つ加算される。ただし、ツー・ストライク以降のファウルはストライクに加算しない。
打ち返された打球を、地面に触れる前に野手が直接捕球すれば、その打者はアウトになる。打球がゴロの場合は、打者が一塁に到達する前に打者の身体にボールをタッグするか、ボールを保持して一塁ベースに触れれば打者はアウトになる。ボールをタッグする際は、ボールを直接走者の身体に触れさせてもよいし、ボールを保持したグラブを触れさせてもよい。
塁に触れていない走者の身体にボールをタッグすれば、その走者はアウトになる。これを「タッグ・アウト」とよぶ。また、打者が走者となったために押し出されて進塁の義務が生じた走者に対しては、走者がその進塁先の塁に到達する前に、その塁にボールまたはボールを保持した野手の身体を触れさせるだけでアウトにすることができる。このような走者の状態を「フォースの状態」といい、このようなアウトを「フォース・アウト(封殺)」とよぶ。
このようにして投手が打者と1人ずつ対戦し、その打撃結果によって試合が進行する。そして守備側が三つのアウトを得ると攻撃は終了し、攻守を交代する。先攻チームと後攻チームがそれぞれ攻撃を完了すると1イニング(1回)終了となる。先攻チームが攻撃する時間を「表」、後攻チームが攻撃する時間を「裏」とよぶ。正式な試合は9イニングをもって決する。後攻チームがリードを奪っている場合には9回裏は実施せず、試合を終了する。また、同点で迎えた9回裏に後攻チームが勝ち越し点をあげれば、その時点で試合は打ち切られる(さよならゲーム)。
正式試合がなんらかの理由で9イニングを完了せず打ち切られた場合、少なくとも5回を完了しており、得点差による勝敗が決していれば、コールド・ゲームとして正式試合となる。勝敗が決していない場合はサスペンデッド・ゲーム(一時停止試合)として後日継続試合を行う。正式試合の条件を満たしていなければノー・ゲームとして試合は無効となる。
両チームが9回の攻撃を完了してなお得点が等しいときは、勝敗が決するまで回数を重ねる。延長回の表裏を終わった時点で先攻チームが勝ち越しているか、延長回の裏の攻撃中に後攻チームが決勝点をあげれば試合は終了する。ただし、本来の規則では決着がつくまで延長戦を行うこととされているが、アメリカのプロ野球以外では無制限の延長戦を実施することは困難な場合がほとんどで、引き分けや再試合の規定を設けているリーグや大会が多い。21世紀に入ってからは「延長タイブレーク方式」という、あらかじめ走者が塁にいる状態からイニングを始めることで決着をつけやすくする方式が、アマチュア野球で広く採用されている。
どちらかのチームのプレーヤーが9人そろわなくなったり、試合進行に対する審判員の指示に反したりした場合はフォーフィッテッド・ゲーム(没収試合)となり、9対0で違反チームの負けとなる。また、審判員の裁定が規則に違反していると異議を申し立て、監督が審議を請求するときはプロテスティング・ゲーム(提訴試合)としてリーグ会長の判断を仰ぐ。ただし、審判員の裁定が規則に反していたと結論づけられた場合でも、その違反のために提訴チームが勝つ機会を失ったものと判断されなければ、試合のやり直しが命ぜられることはない。
投手は打者に投球するに際して「ワインドアップ・ポジション」か「セット・ポジション」のどちらかの投球姿勢をとらなければならない。どちらの投球姿勢も軸足が投手板(ピッチャース・プレート)に触れなければならないところは共通である。ワインドアップ・ポジションの場合は軸足でないほうの足の置き場所が自由で、投球前に両手を振りかぶるか身体の前方で軽くあわせてから投げる。セット・ポジションの場合は軸足でないほうの足を投手板の前方に置くことと、投球前にボールを両手で身体の前方に保持して完全に静止するという制限がある。セット・ポジションのほうが投球動作をすばやく行えるので、塁に走者がいるときに多く用いられる。
投手は打者に打たせまいと、あるいは走者を次の塁に進ませまいとくふうするが、そうした動作が打者や走者をだますようなことになる場合は「ボーク」という反則が宣告され、走者に1個の進塁が与えられる。ボークの規定は13項目あるが、そのなかでもとくにセット・ポジションでの静止を怠って投球する違反と、塁に送球する際に正しく足を踏み出さない違反をする例が多い。また、反則投球として、(1)投手板に触れないで打者に投球すること、(2)打者の虚をついて突然投球するクイック・リターン・ピッチ、の二つが禁止されている。
打者と投手はお互いにスピードアップに努める必要があり、走者なしの場合、投手はボールを受け取ってから12秒以内に投球しなければならない。またリーグや連盟の内規で、走者ありの場合も20秒以内に投球する規則が設けられていることが多い。また、打者も自分の打撃時間には速やかにバッタースボックスに入って打撃姿勢をとる義務があり、打撃時間中みだりにバッタースボックスを出ることも許されない。
妨害は攻撃側によるもの、守備側によるもの、審判員によるもの、観衆によるものの4種類に大別される。
攻撃側が相手の守備行為を妨げた場合は、原則としてそのプレーヤーがアウトになり、他の走者の進塁も許されない。ただし、妨害したプレーヤーがすでにアウトになっている場合や、悪質な故意の妨害の場合には他のプレーヤーもアウトになる場合がある。
守備側が相手の打撃や走塁を妨げた場合は、不利益が取り除かれるよう打者や走者に進塁が与えられたり、妨害行為がなかった場合の状態を審判員が判断して適宜な処置をとる。
審判員による妨害は、捕手の送球動作を妨げる場合と、野手を通過する前の打球に触れる場合の二つに限られる。この場合はプレーヤーの不利益を取り除くよう、プレーを無効としてやり直させたり、適宜な進塁を与えたりする。
観衆による妨害は、観衆が競技場内に入り込んだり、スタンドから身を乗り出したり、競技場内に物を投げ込んだりして守備の邪魔をしたりする場合に起こる。観衆による妨害があった場合は試合が停止され、審判の判断によって攻撃側のプレーヤーをアウトにしたり、妨害行為がなかった場合の状態を想定して適宜な進塁を与えたりする。
試合は審判員によって主宰され、審判員は試合を進行するために一つ一つのプレーに対して適切な裁定を下す。審判員の判断に基づく裁定には異議を申し立てることができない。プレーヤー、監督、コーチ、または控えのプレーヤーがその裁定に異議を唱えることは許されず、審判員の警告にもかかわらず異議を続けたときや、審判員に暴言を吐いたり暴力をふるったりした場合は退場処分が下されて試合から除かれる。ただし、審判員の裁定が規則に反している疑いがある場合は、監督だけが正しい裁定に変更するよう要請することができる。
1人の審判員が下した裁定に、他の審判員が批評を加えたり、変更を求めたり、異議を唱えたりすることは許されない。しかし、その裁定に対して監督からアピールを受けた場合には、他の審判員の助言を求めることができる。審判員の協議によって下された裁定は最終のものとなるので、それ以上異議を唱えることはできない。
しかしながら、上記の原則にもかかわらず、21世紀に入ってから、プロ野球を中心に映像を利用して審判員の裁定を検証するシステムが導入されている。ビデオ・リプレイの制度がある場合には、審判員の判断に基づく裁定に対しても、一定の条件のもとで監督が映像による検証を求めることができる。この場合には検証によって下された裁定が最終のものとなる。
規則では審判員は1名以上必要とされているが、通常は複数人が配置される。役割は、捕手の後ろに位置して投球に対してストライク・ボールの裁定を下す球審、塁の近くにいて各塁での裁定を下す塁審、外野に位置しておもに外野飛球に対する裁定を下す外審の3種類に分かれる。球審1人・塁審1人の2人制審判、球審1人・塁審2人の3人制審判、球審1人・塁審3人の4人制審判、球審1人・塁審3人・外審2人の6人制審判がシステムとして確立されている。
[粟村哲志 2020年12月11日]
コルク、ゴムまたはこれに類する材料の小さい芯(しん)に糸を巻きつけ、白色の馬革または牛革2片でこれを包み、糸で頑丈に縫い合わせてつくる。日本では牛革を用いると定められている。重量は5~5オンス4分の1(141.7グラム~148.8グラム)、周囲は9~9インチ4分の1(22.9~23.5センチメートル)とされている。プロ野球から少年野球まで、日本で硬式野球とよばれる種類の野球ではすべて同じ規格のボールを用いる。
軟式野球用のボールの周りはゴム製で、M号(成人~中学生向け)、J号(小学高学年向け)、D号(小学低学年向け)、H号(準硬式球)の4種類があり、直径や重量、反発係数がそれぞれ異なる。
ボールを故意に汚したり傷つけたりすると投手にとって有利な変化が起きるため、規則で禁じられている。違反すると退場処分や出場停止処分などの重いペナルティーが科せられることもある。
[粟村哲志 2020年12月11日]
1本の木材でつくられた、なめらかな円い棒であり、太さはそのもっとも太い部分の直径が2.61インチ(6.6センチメートル)以下、長さは42インチ(106.7センチメートル)以下であることが必要である。アマチュア野球では金属製バットや木片や竹片の接合バットなどが認められる場合もある。各連盟の定めにより白木(しらき)のバットを着色することもできる。
先端をえぐったバットをカップバットとよび、えぐるときは深さ1インチ4分の1(3.2センチメートル)以内、直径1インチ(2.5センチメートル)以上2インチ(5.1センチメートル)以内で椀(わん)状にカーブさせる必要がある。
バットの握りの部分(端から18インチ〈45.7センチメートル〉)になんらかの物質を付着させたり、ざらざらにしたりして握りやすくすることは認められているが、18インチの制限を超えて細工したバットを試合に使用することは禁じられている。この場合はバットを交換させられるだけでペナルティーはない。
ボールの飛距離を伸ばしたり、異常な反発力を生じさせるように加工・改造したバットを使用したり、使用しようとすることはできない。具体的な例としては、詰め物をしたり、表面を平らにしたり、釘を打ちつけたり、中をうつろにしたり、溝をつけたり、パラフィン、ワックスなどで覆ったりしたものがあげられる。このようなバットを使用したために生じた進塁は認められないし、その打者はアウトを宣告され、試合から除かれる。
[粟村哲志 2020年12月11日]
守備をするプレーヤーはグラブとよばれる厚い革製の手袋を着用することができる。捕手と一塁手に限って通常のグラブではなく、ミットとよばれる特殊な形をしたグラブを着用することができる。ミットは、通常のグラブに比べて捕球に特化した形状をしている。
グラブとミットの重量には制限がない。寸法は、野手用グラブと一塁手のミットでは先端から下端まで13インチ(33.0センチメートル)以下、捕手用のミットは15インチ2分の1(39.4センチメートル)以下と定められている。グラブやミットの親指と人差し指の間の叉状(さじょう)の部分には網(ウェブ)が取り付けられている。
グラブやミットの本体色は革の天然色でも着色を施したものでもよいが、薄すぎる色(パントンPANTONEの色基準14番より薄い色)を用いることはできない。また、打者を幻惑するという理由から投手用のグラブは色の制限が厳しい。投手用のグラブは縁取りを除き白色、灰色以外の色でなければならず、そのグラブと異なった色のものをつけることもできない。
[粟村哲志 2020年12月11日]
同一チームの各プレーヤーは、同色、同形、同意匠のユニフォームを着用し、6インチ(15.2センチメートル)以上の背番号をつけなければならない。ユニフォームは野球帽と半袖の上衣に長ズボンが一般的で、上衣の下にはアンダーシャツを着用し、ソックスは2枚重ねにする。ソックスの2枚重ねは昔のゲートルの名残であり、通常は白の長靴下を履いた上に、色物のストッキングを履く。アンダーシャツの外から見える部分は同一チームの各プレーヤー全員が同じ色でなければならない。自チームの他のプレーヤーと異なるユニフォームを着たプレーヤーは試合に参加できない。
プロ野球ではホーム用とビジター用でユニフォームの意匠を変える必要があり、ホーム用は白を基調としたもの、ビジター用は色物とする。アマチュア野球ではその必要はない。
[粟村哲志 2020年12月11日]
まず本塁を決め、その地点から127フィート3インチ8分の3(38.795メートル)の距離を測って二塁の位置を決める。次に本塁と二塁を基点としてそれぞれ90フィート(27.431メートル)を測り、本塁から向かって右側の交点を一塁とし、本塁から向かって左側の交点を三塁とする。これによって一塁と三塁の間の距離も127フィート3インチ8分の3となる。このようにして区画した、一塁、二塁、三塁、本塁を頂点とする90フィート平方の正方形を内野(イン・フィールド)とよぶ。
内野の各塁と塁を結ぶ線(ベースライン)は同一平面上に設け、内野の中央付近に投手板を設ける。投手板は本塁より10インチ(25.4センチメートル)高いところに設け、投手板の前方6インチ(15.2センチメートル)の地点から本塁に向かって6フィート(182.9センチメートル)の地点まで、1フィート(30.5センチメートル)につき1インチ(2.5センチメートル)の傾斜をつけ、その傾斜は各競技場とも同一でなければならない。
本塁から投手板を経て二塁へ向かう線は、東北東に向かっていることを理想とする。
本塁からバックストップまでの距離、塁線からファウル・グラウンドにあるフェンス、スタンド、またはプレーの妨げになる施設までの距離は60フィート(18.288メートル)以上を必要とする。
外野(アウト・フィールド)は、一塁線および三塁線を延長したファウル・ラインの間の地域である。本塁から、フェア・グラウンドにある外野フェンス、スタンドまたはプレーの妨げになる施設までの距離は250フィート(76.199メートル)以上を必要とするが、両翼は320フィート(97.534メートル以上)、中堅は400フィート(121.918メートル)以上あることが優先して望まれる。プロ野球の球団が建造する競技場では、両翼の最短距離は325フィート(99.058メートル)を必要とする。
本塁から一塁、および本塁から三塁を通って外野へ向かって引かれたファウル・ライン(その延長としてのファウル・ポールを含む)を境界線とし、この中にある内野および外野をフェア・グラウンドとする。境界線はフェア・グラウンドに含まれる。その他の地域はファウル・グラウンドとなる。
その他、規定の位置にバッタースボックス、キャッチャースボックス、ネクスト・バッタースボックス、コーチスボックス、スリーフット・ライン(正式にはスリーフット・ファースト・ベースライン)を描く。ファウル・ラインを含むこれらの諸線は幅3インチ(7.6センチメートル)とし、塗料または不燃性のチョークなどの白い材料で描く。
外野には芝を敷き詰めるのが普通だが、規則で定められているものではない。芝生の有無や形状は各球場で任意に定めることができる。野球の発祥国アメリカをはじめ、世界的には内外野ともに塁線以外の部分をすべて芝で覆う形状のものが多い。日本では内野が土で外野が芝という形状が大多数である。また、人工芝が用いられることもあり、この場合は塁周辺だけが土になっていることが多い。
本塁は五角形の白色のゴム板で表示する。この五角形は次のようにつくる。まず1辺が17インチ(43.2センチメートル)の正方形を描き、17インチの一辺を決めてこれに隣り合った両辺を8インチ2分の1(21.6センチメートル)とする。そして、それぞれの点から各12インチ(30.5センチメートル)の2辺をつくる。この12インチの2辺が交わったところを本塁の基点に置き、17インチの辺が投手板に面し、二つの12インチの辺が一塁線と三塁線に一致するようにする。本塁の表面は地面と水平になるように置く。
一塁、二塁、三塁の各ベースは白色のキャンバス地またはゴムで覆われたバッグで表示する。このバッグは中に柔らかい材料を詰めてつくり、大きさは15インチ(38.1センチメートル)平方、高さは3インチ(7.6センチメートル)ないし5インチ(12.7センチメートル)とする。1塁と3塁のバッグは完全に内野の中に入るよう設置する。そのためにはファウル・ラインにぴったり重なるように置き、本塁から遠いほうの角を一塁、三塁の基準点とあわせるようにする。二塁のバッグはその中心が二塁の基準点と一致するように置く。
投手板は横24インチ(61.0センチメートル)、縦6インチ(15.2センチメートル)の長方形の白色ゴムの平板でつくる。投手板の前縁の中央から本塁の五角形の先端までの距離は60フィート6インチ(18.44メートル)とする。
プレーヤーが待機するためのベンチは、各ベース・ラインから最短25フィート(7.62メートル)の地点に設ける。ベンチの左右後方には囲いをめぐらし、屋根を設けることが必要である。客席スタンドが設けられているような大きな野球場では、ベンチが構造物の中に掘り下げ式でつくられていることが多く、このような形状のものはダッグアウトとよぶ。
プロ野球ではこのほかに、固定フェンスに危険防止のための緩衝材を張ること、中堅後方にバックスクリーン(打者から投手の投球が見えにくくならないようにするための背景板)を設置すること、得点や打順を表示するためのスコアボードを設置すること、投球練習用のブルペンを設置すること、ファウル・ポールの高さは16メートル以上を必要とすることなどが定められている。
野球の競技場の最大の特徴は、90フィート平方のダイヤモンド部分以外はかなり自由度が高く、外野やファウル・グラウンドの広さ、形状がかなりまちまちだということである。メジャー・リーグの球場では、外野の左右が非対称な形状だったり、短い距離を補うために巨大なフェンスを設置したりするなど個性的なつくりで知られるものが多い。日本にはそれほど特異な形状の野球場はみられないが、やはり球場ごとに外野やファウル・グラウンドの広さは異なる。
[粟村哲志 2020年12月11日]
『島秀之助著『白球とともに生きて――ある審判員の野球昭和史』(1988・ベースボール・マガジン社)』▽『鈴木美嶺・郷司裕編『わかりやすい公認野球規則1993』(1993・ベースボール・マガジン社)』▽『佐山和夫著『ベースボールと日本野球』(1998・中央公論社)』▽『全日本軟式野球連盟編・刊『競技者必携』(2019)』▽『日本プロフェッショナル野球組織・全日本野球協会編・刊『公認野球規則2020 Official Baseball Rules』(2020・ベースボール・マガジン社発売)』▽『全日本野球協会・アマチュア野球規則委員会編『野球規則を正しく理解するための野球審判員マニュアル 第4版』(2020・ベースボール・マガジン社)』▽『粟村哲志監修『わかりやすい野球のルール』(2020・成美堂出版)』
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…野球の先駆者。鹿児島に漢学者の子として生まれ,中馬家の養子となる。…
…東明節の創始は2世稀音家浄観(きねやじようかん),2世清元寿兵衛(3世清元梅吉),大和楽(やまとがく)の清元栄寿郎などに影響を与えた。また,アメリカから帰国後,日本最初の野球チーム〈新橋アスレチック・クラブ〉をつくって日本の初期野球の基礎をつくったのをはじめ,ローラースケートの道具を持ち帰って普及に努めるなど,その多彩な活動で築いた財を一代で散じ,〈平岡大尽〉などとも呼ばれた。東明節【舘野 善二】。…
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冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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