日本大百科全書(ニッポニカ) 「鉄筋コンクリート構造」の意味・わかりやすい解説
鉄筋コンクリート構造
てっきんこんくりーとこうぞう
コンクリートは圧縮応力に対する抵抗力(圧縮強度)に比べて引張り応力に対する抵抗力(引張り強度)が弱く、わずかな引張り応力でひび割れが発生して破壊する。このようなコンクリートの弱点を補うために、コンクリートの引張り応力の働く部分に鉄筋を配置し、外力が働いた場合にコンクリートには圧縮応力を、鉄筋には引張り応力をそれぞれ負担させ、互いに協力して外力に抵抗する仕組みの構造である。英語ではreinforced concrete structure(補強されたコンクリート構造)という。
[六車 煕]
歴史
鉄筋コンクリートの考案は1850年にフランス人ランボーJ. L. Lambot(1814―1887)が鉄網を入れたコンクリートボードをつくったのが最初とされている。その後、フランス人庭園師モニエJoseph Monnie(1823―1906)が鉄線で補強したコンクリート植木鉢をつくり、1867年に特許をとっている。以来、フランス、アメリカ、ドイツで鉄筋コンクリートの理論的および実験的研究が盛んに行われ、ドイツのワイスGustav Adolf Wayss(1851―1917)らによって応力計算方法の基礎が確立されて、橋梁(きょうりょう)や工場建物などが鉄筋コンクリート構造で建設されるようになった。とくに、19世紀末にヨーロッパ諸国でおこったアール・ヌーボー(新芸術運動)によって、建築家は好んで新しい構造材料を取り入れようとし、鉄筋コンクリート構造も注目され、れんが造や石造にはみられない広くて軽快な室内空間をもつ新しい建築様式を生み出した。
日本における鉄筋コンクリート構造技術は19世紀末ごろから広井勇(いさみ)、日比(ひび)忠彦(1873―1921)、柴田畦作(しばたけいさく)(1873―1925)、佐野利器(としかた)らの土木工学者、建築学者によって導入された。最初に使われたのは、1890年(明治23)に建設された横浜港岸壁のケーソンといわれている。その後、1904年(明治37)に真島(ましま)健三郎(1873―1941)によって佐世保(させぼ)ドックポンプ室および機関室が、1905年には京都市の技師井上秀二(1876―1943)の設計により同市高瀬川に仏光寺橋および綾小路(あやこうじ)橋が建設された。1906年には白石直治(なおじ)(1857―1919)によって神戸和田岬に東京倉庫会社の二階建倉庫が設計・施工され、1908年には佐野利器により東京日本橋丸善本店床スラブが、1910年には武田五一(ごいち)(1872―1938)、日比忠彦による京都市商品陳列館床スラブが、それぞれ鉄筋コンクリートで竣工(しゅんこう)している。
一方、1906年に起こったサンフランシスコ大地震被害を契機に、構造物の耐震設計法の研究が盛んとなり、鉄筋コンクリート構造物も耐震設計を行ったものが建設されるようになった。1923年(大正12)の関東大震災で鉄筋コンクリート構造物は一つの試練にたたされたが、当時の東京市内にあった589棟の鉄筋コンクリート建物のうち、倒壊、傾斜、大ひび割れなどの大きな被害を受けたものは67棟で、全棟数の11.4%にとどまった。これによって鉄筋コンクリート構造の優れた耐震性と耐震設計の重要性、さらには優れた耐火性が実証され、以来、この構造が近代技術の中心となって普及発達し、今日ではもっともポピュラーな構造として広く用いられている。
[六車 煕]
分類
鉄筋コンクリート構造を生産方式から分類すると、現場でつくられる一体式構造と、工場で生産されたプレキャスト部材を現場で組み立てて一体とする組立式構造とに分けられる。
一体式構造は、現場に組み立てられた型枠の中に鉄筋を配置し、コンクリートを打ち込むもので、コンクリートが固まって構造物の重量を負担できる強さになると、パイプサポートなどの支えを取って型枠を外し、型枠どおりの形状の構造ができあがる。もっとも普及している生産方式で、その架構の形式によって、ラーメン構造(柱と梁(はり)だけで骨組が構成され壁がない架構)、壁式構造(柱・梁を使わず、壁と床スラブだけでつくった箱形の構造)、壁付きラーメン式構造(柱と梁でつくった骨組に壁が一体に打ち込まれている架構)、型枠コンクリートブロック構造(「コンクリートブロック構造」の項を参照)、フラットスラブ構造(床スラブに梁の役目をもたせ、梁を使わない構造)などに分けられる。また、円筒形や半球形などの種々の曲面形をもつ曲面板構造(シェル構造ともいう)、平面の板を折り曲げた形の折板構造も一体式構造でつくられる。
組立式構造では、あらかじめ工場でつくられた各部材の現場での接合方法に種々のくふうがなされている。各部材の接合面に凹凸を設け、コンクリートを充填(じゅうてん)するコッター接合、接合金物を互いに溶接し、接合目地にコンクリートを充填する溶接接合、部材接合面から接合用鉄筋を突き出しておき、これを接合部に充填されるコンクリート中に埋め込み定着する鉄筋コンクリート軽接合、接合部目地にコンクリートを充填したのちにプレストレスを導入して一体とする剛接合(「プレストレストコンクリート構造」の項を参照)などが代表的なものである。部材の工場生産による品質の向上、現場でのコンクリート打設などの作業量の大幅な減少による工期の短縮、部材の標準化による工事の簡易化、量産による工費の低減など、組立式構造には数多くの利点がある一方、接合部は気密性、水密性などの点で欠点となりやすく、入念な施工がたいせつである。
[六車 煕・西岡思郎]
長所と短所
鉄筋コンクリート構造の長所は、自由な形の構造物を一体につくることができること、耐火性、耐久性に富むこと、工費が安く経済的であることなどである。耐火性については、コンクリートが唯一の耐火構造材料であり、鉄筋が直接炎にさらされてその性質に極度の劣化がおこることのないようコンクリートによって十分被覆されているので、火災で鉄筋コンクリート構造物が崩壊することはまずない。
耐久性については、コンクリートの中性化と鉄筋の発錆が劣化要因の一つとなる。コンクリートはアルカリ性であり、鉄筋がコンクリート中に完全に被覆されていれば錆(さび)を発生することはない。コンクリートそのものは大気中で長年月経過すると風化作用のためにアルカリ性が失われ中性化するが、中性化が進むと鉄筋に錆が発生し始め、錆発生による鉄筋の容積膨張によって被覆コンクリートのひび割れや剥落(はくらく)がおこり、構造体としての寿命が尽きることになる。塩分のコンクリート中への浸透によっても鉄筋の発錆は促進され、耐久性は著しく損なわれるので、骨材事情の関係で海砂を使用する場合はいっそうの注意が必要である。また、砕石の使用によりコンクリートのアルカリと骨材とが反応して膨張し、表面ひび割れが発生して耐久性を損なう例も散見されるようになった。
鉄筋コンクリート構造の短所としては、重量が重く、かつ、破壊時のねばりが少ないことなど、耐震性の見地から不利となる性質があげられる。しかし、高強度または超高強度コンクリートが実用化されて構造耐力が増加し、部材寸法が小さくなって重量軽減に役だったり、また、コンクリートを鉄筋で横方向に拘束してコンクリートに著しいねばりをもたせる技術なども開発されている。これらを鉄筋コンクリート耐震壁の著しく大きい地震耐荷力とうまく組み合わせることにより、地上100メートルにも及ぶ鉄筋コンクリート高層建築物も建設されるようになった。
[六車 煕・西岡思郎]
『坂静雄著『鉄筋コンクリート学教程』(1948・産業図書)』▽『日本建築学会編・刊『構造用教材』第2版(1995・丸善発売)』▽『渡邉史夫・窪田敏行・岡本晴彦・倉本洋・金尾伊織著『鉄筋コンクリート構造 新版』(2012・朝倉書店)』