精選版 日本国語大辞典 「鉄」の意味・読み・例文・類語
てつ【鉄】

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周期表第Ⅷ族に属し、鉄族元素の一つ。元素記号のFeはラテン語のferrumからとられたものであるが、その由来は明らかでない。英名はラテン語のaes(鉱石)を語源とするといわれる。日本では古く黒金(くろがね)とよんで五色の金(かね)(黄金(こがね)=金、白金(しろがね)=銀、赤金(あかがね)=銅、黒金=鉄、青金(あおがね)=鉛)の一つであった。以前は「鐵」の字があてられていたが、これは「金(かね)の王なる哉(かな)」の意で、生活にもっとも役だっていたことを示している。
[鳥居泰男]
鉄は地殻中にもっとも多量に存在している元素の一つで、金属元素ではアルミニウムに次いで第二位である。しかし地球の内部は主として鉄からなると推定されるので、地球全体としてはその存在率はきわめて高い。化学的に活性であって、天然に単体として存在することはほとんどなく、酸化物や炭酸塩の形で鉱床をなして産出する。おもな鉱石は磁鉄鉱Fe3O4、赤鉄鉱Fe2O3、褐鉄鉱Fe2O3・xH2O、菱(りょう)鉄鉱FeCO3などである。砂鉄は岩石の風化によって生じた微粒子状の磁鉄鉱で、以前は重要な鉄資源であった。
近年、世界において多量に鉄鉱石を産出するのは中国で、ついでブラジル、オーストラリア、インド、ロシア、ウクライナなどである。日本の産出量はきわめて少なく、大部分を輸入し、精錬したものを国内の需要にあてるとともに海外に輸出している。
[鳥居泰男]
純粋な鉄は特殊な用途にしか用いられないので、実用に供せられる鉄は鉄と炭素の合金ともいうべき鋼として製造される。その工業的な製造は、通常二つの工程に分けて行われる。まず、焙焼(ばいしょう)した鉄鉱石をコークスおよび融剤(石灰石、粘土など)とともに溶鉱炉(高炉)に入れ、熱風を吹き込む。炉内の反応は複雑である。遊離した鉄は融解状態となって炉底に集まり、鉱石中のケイ酸成分や不純物などは融剤と反応し、スラグとなって鉄の上にたまる。この段階の鉄が銑鉄であって、数%の炭素のほか、少量のケイ素、リン、硫黄(いおう)などを含んでいる(溶鉱工程あるいは製銑工程)。この銑鉄は、不純物が含まれているためもろくて圧延、鍛造ができないので、次に石灰などを加え、平炉(へいろ)、転炉、電気炉などの中で1500℃以上に加熱、融解し、空気を吹き込むと、炭素や不純成分は酸化物となって除去される。この製鋼工程で炭素含有量が1.7%から0.03%の鋼が得られる。
さらに炭素含有量の少ない、いわゆる純鉄を製造する方法としては、鉄(Ⅱ)塩水溶液の電気分解(炭素含有量0.01~0.02%)、ペンタカルボニル鉄の熱分解(0.005~0.0007%)、硝酸鉄やシュウ酸鉄を熱分解して得た高純度酸化鉄の水素還元(0.0045%)などがある。
[鳥居泰男]
純鉄は銀白色の金属で、比較的軟らかく、常温で強磁性を示す。α(アルファ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ)の三つの結晶変態があり、α鉄からγ鉄への転移温度は906℃(γ→αは898℃、A3変態点という)、γ鉄からδ鉄への転移温度は1401℃(A4変態点)である。α鉄は体心立方構造をとり、強磁性を示す。769℃(A2変態点)にキュリー点をもち、これ以上の温度では常磁性に変わるのでβ(ベータ)鉄とよぶことがあるが、これは結晶変態ではない。γ鉄は面心立方構造、δ鉄は体心立方構造で、いずれも常磁性である。
鉄の化学的特徴の一つは酸素に対する化合力が大きい点であって、微粉状の鉄は自然発火性を示す。塊状や板状の鉄は常温で乾燥した空気中では変化しないが、湿気があればしだいにさび、水和酸化鉄Fe2O3・xH2Oに変わる。乾いた空気中でも150℃以上に熱すれば酸化がおこるが、この場合に生ずるのは酸化鉄(Ⅲ)鉄(Ⅱ)(四酸化三鉄Fe3O4)であって、これは鉄の表面を不動態にする。空気を含まない水には常温ではほとんど侵されないが、赤熱状態で水蒸気と反応し四酸化三鉄を生ずる。希酸には水素を発して溶け、鉄(Ⅱ)塩を与える。濃硝酸により不動態となる。希アルカリには溶けないが、濃水酸化ナトリウムには高温でかなり侵される。鉄は化合物中で通常ⅡもしくはⅢの酸化数をとるが、有機金属化合物などでは-Ⅱ、-Ⅰ、0、+Ⅰなどもみられる。また鉄酸塩などではⅥの状態も現れる。
[鳥居泰男]
銑鉄は融点が1100~1200℃と比較的低く、加熱すると軟化せずに溶けてしまうので鋳物の製作に適している。また安価なので、大きな力の作用を受けない物品、たとえば車両、農機具などに用いられる。炭素含有量が0.6~1.7%の鋼は弾性、強度ともに大きく、鍛錬も可能で焼き入れによって硬化し、工具などの製作に用いられる。炭素含有量が0.6%以下の鋼は錬鉄とよばれ、軟らかく強靭(きょうじん)で容易に鍛錬できる。焼き入れによって硬化しない。機械器具の製作、建築、土木用の鋼材その他広い用途がある。ニッケル、クロム、マンガン、コバルト、タングステンなどの金属を加えると、いろいろと特徴ある性質をもった特殊鋼が生まれる。ステンレス鋼、耐熱鋼、工具鋼、ばね鋼、磁石鋼などはその例である。炭素含有量の非常に少ない純鉄はトランスの鉄心などに用いられる。
[鳥居泰男]
人体には2~4グラムの鉄が含まれ、重要な生理作用をもっている。人体の鉄の約70%は血中のヘモグロビンに含まれる。0.3~1.0グラムは貯蔵鉄として肝臓、脾臓(ひぞう)、骨髄に存在し、残りの鉄には血漿(けっしょう)鉄として回転するものと、チトクロムなど各種の酵素成分として全身に存在するものとがある。
[河野友美・山口米子]
鉄の吸収は十二指腸と小腸上部で行われる。食物からとる鉄には二価鉄(Fe2+)と三価鉄(Fe3+)があり、Fe2+のほうがFe3+より吸収されやすい。Fe3+として摂取した鉄は胃内の塩酸によって還元されFe2+に一部変えられる。また、アスコルビン酸(ビタミンC)などの還元作用のある物質によってもFe2+に変化する。鉄の吸収を阻害する物質としてフィチンやタンニン、過剰のリンなどがある。これらの物質は鉄と結合して吸収を低下させる。鉄の吸収の特徴として体の要求度によって変わる点がある。つまり、鉄が不足状態のときには鉄の吸収率がよくなる。一方、人体に鉄が十分あったり、食事中に多量の鉄分が含まれているときには吸収率が下がる。多くの栄養素は排泄(はいせつ)機構によって体内の量が調節されているが、鉄の場合には吸収と排泄の両者が調節役をしている。
[河野友美・山口米子]
鉄のおもな生理作用は酸化還元作用である。鉄は体内でFe3+からFe2+へ、また逆へと変化する。このときの酸化や還元が生理作用となっている。たとえば血中のヘモグロビンは酸素を体の隅々まで運ぶが、このとき、ヘモグロビンの鉄と酸素が結合した形(鉄が酸化された状態)となっている。
[河野友美・山口米子]
鉄の摂取基準は成人で1日5.5~6.5ミリグラムである。生理のある女性では、男性や、生理のない女性より1日3.0~3.5ミリグラムほど多く必要とする。鉄の排泄量は1~2ミリグラムと少ないが、吸収率の低さや、日本人の食事での鉄含量から安全率が考慮されている。妊娠、授乳婦はさらに11ミリグラム多くとる必要がある。鉄の欠乏症には貧血、体温調節機能障害、免疫力の低下などがある。過剰症は細胞内への鉄の沈着がみられる。日常の食事で過剰症はおこらないが、健康障害のリスクを下げるために厚生労働省は「日本人の食事摂取基準」を設定し、食事からとるべき必要量や推奨量とともに上限量を示している。
[河野友美・山口米子]
食品中に含まれる鉄はヘム鉄(ヘモグロビンやミオグロビンなどのヘムタンパク質の形のもの)と非ヘム鉄がある。ヘム鉄は肝臓や肉類、魚類に含まれ、吸収率がよい。ホウレンソウ、ブロッコリーなどの緑黄色野菜、卵黄、乳製品にも多く鉄が含まれるが、非ヘム鉄で吸収率は劣る。ビタミンCや肉類を組み合わせ、吸収面で効率のよい食べ方がたいせつである。
[河野友美・山口米子]
鉄は人類の技術史上、銅よりもはるかに遅れて出現したとされており、有力な一説は次のように説いている。「銅の製錬はアナトリア(現在のトルコ)あるいはイランで紀元前六千年紀に発展し、そこから東西に広がり、イギリスおよび中国に紀元前二千年紀に到達した。一方、鉄の時代は紀元前1500~1000年の間に同じアナトリアで開始され、紀元前800年にヨーロッパに伝わり、ハルシュタット文化(鉄の文化)をつくった。中国には紀元前400年ごろ達した」(タイルコート『冶金(やきん)の歴史』)。これによると、青銅時代に遅れること約4000年で鉄の時代が始まるということになる。なぜこのような遅延が生じたか。種々の理由があげられているが、説得的な根拠はまだ提起されていない。
鉄は小アジア以西、ことにヨーロッパでは中世まで長く錬鉄、すなわち半溶融の粘い鉄として製造され、溶融銑鉄(鋳鉄)は知られなかった。しかるに中国ではすでに紀元前から溶融銑鉄が製造され、農具その他に鋳造された。ヨーロッパでは14、15世紀に水車送風による高炉法の出現で初めて溶融銑鉄が製造されるようになったのである。中国でなぜ早く鋳鉄が製造できたのか、ヨーロッパでなぜそのように遅れたのか。高度の製陶技術、効率の高い送風装置、石炭の使用などが理由にあげられているが、まだ十分に解明されていない。
ところで、製鉄において錬鉄と銑鉄の相違はどのようにして生ずるのか。製鉄炉の炉内温度が高くないと、鉄鉱石が還元されてできた鉄が炭素をすこししか吸収できず、こうした炭素の少ない鉄は融点が高く、そのため、軟化して粘い鉄になることはできても、溶融状態にはならない。この鉄から鉄鉱石の脈石部分が溶けて分離したものが錬鉄である。炉内温度が高いと、還元鉄の炭素の吸収が促進される。炭素の高い鉄は融点が低く、溶融状態になることができ、炉から流れ出る。これが銑鉄である。水車送風による高炉はこのような高い炉内温度を可能にしたのである。高炉法が出現するまでは中国をはじめ東アジアを除いて錬鉄だけが使用されてきた。
錬鉄のなかの比較的炭素の高いものは鋼とよばれ、他は単に鉄とよばれ、鉄と鋼の二つの種類の呼び方が長く行われてきた。鉄は軟らかく、鍛造性がよく、広い用途に加工された。鋼は硬くて強く、刀剣や道具に威力を発揮した。古代の冶金師は、鉄に炭素を吸収させて鋼に変えるセメンテーション(浸炭)の技術をも発明して活用した。
ヨーロッパのライン川中流地域に高炉法が出現し、16世紀にイギリス・フランス・スイスその他各国に伝えられるとともに、様相が一変し、以後は製鉄技術はもっぱら欧米で発展し、その世界支配と軌を一にした。鉄の鋳造業が新たに大規模に発展し、鋳鉄砲が海戦に、植民地侵略に一役を演じ、芸術的に聖書物語を浮き出した暖炉板が部屋を飾り、大邸宅や墓所を囲む鉄柵が街の風景に新しい景観を添え、鉄の塩釜(しおがま)その他が製造場を活気づけた。一方、それまで鉄鉱石から直接つくっていた錬鉄と同じ可錬性の鉄が、高炉の銑鉄を精錬炉で溶解し脱炭してつくられるようになり、こうして直接法から間接法へ、1段階法から2段階法へ製鉄は移行した。この高炉―精錬―炉―ハンマーという新製鉄は鉄の安価大量生産に道を開いた。ついで18世紀に入ると、木炭を燃料とする製鉄から、石炭を燃料とする製鉄に大きく転換することになった。この転換は産業革命のイギリスで行われた。前半期にはダービー家の努力により、石炭を蒸し焼きしたコークスを高炉で燃料とし、いわゆるコークス銑が製造されるようになり、中ごろにはB・ハンツマンの発明により石炭を燃料とするるつぼ溶解法でいわゆるるつぼ鋳鋼が製造されるようになり、さらに後半期にはH・コートの発明したパドル法により石炭焚(だ)きの反射炉でいわゆるパドル鉄(元どおり半溶融状の粘い錬鉄で、溶融状態にはならなかった)が製造されるようになった。さらに石炭を燃料とする蒸気機関が送風と加工に変革をもたらした。石と木材にかわる「鉄の時代」が始まったのである。
19世紀に入って、石炭製鉄が他の国々へ波及しつつあったとき、その後半期、イギリスを起点としてヨーロッパで製鉄の大革命が行われる。1855年のベッセマーの転炉法、1864年シーメンズとマルタンの平炉法、1878年トーマスの塩基性製鋼法などによって、るつぼ法の単なる再溶解のような小規模なものでなく、溶融鋼を銑鉄から大量生産できるようになった。溶けない錬鉄、溶ける鋼の区別がなくなり、いわゆる溶鋼時代、略して「鋼の時代」が始まった。それ以来製銑(高炉)・製鋼(鋳炉および平炉)・圧延の近代製鉄所方式が確立し、20世紀に入り鉄の生産は飛躍的に増大していった。電気炉による合金鋼の製造も登場し、重要性を増していった。
第二次世界大戦後、それまで100年安定していた製鉄法はまた大きく動きだした。1951年オーストリアで発表されたLD法とよばれる純酸素転炉法が世界に急速に普及し、空気による転炉法と平炉法は衰退した。高炉出現以来姿を消した直接法を復活させ、錬鉄を製造してこれを電気炉で溶解し、こうして高炉を必要としない製鉄法の試みも活発化している。すでに工業化された連続鋳造をはじめとする作業の連結化、コンピュータによる自動制御など製鉄技術は面目を一新し、あらゆる鉄鋼需要を満たしつつある。
[中沢護人]
鉄は世界各地の文化の重要な要素である。ただし、近代的大量製鉄開始前の鉄流通量は小さく、鉄の使用開始期にはどの地域でもきわめて少量の利器に用いただけであったから、鉄の出現そのものが文化水準を短期間で飛躍的に向上させたとみるのは文化史的に不正確である。
[佐々木明]
鍛冶屋(かじや)が存在すれば、その文化に鉄が一要素として複合していると定義すると、「鉄の文化」(鉄のある文化)が15世紀中までに全東半球に及んでいたと指摘できる。ただし、コイサン系採集狩猟民居住地域のアフリカ南西部には鉄の文化がなく、アフリカ東部、北部ユーラシア大陸、インド半島部、東南アジアには鉄の文化のない民族がいくつか分布した。鉄の文化のない東半球諸民族でも、隣接民族に少量鉄製品の供給、修理などを頼ることが多かった。地域内に鍛冶屋がいても、異民族とみなす事例も多い。紀元前後からエチオピア系諸王国を中心とし、鉄文化が拡散した東アフリカのいくつかの民族はその例である。西欧との接触以降の西半球の状況はこれらの東半球周辺地域と類似する。南西部以外のアフリカの大部分に鉄の文化が広がったのは、赤道以南に広く現住するバントゥー語族の拡散の結果である。北アフリカから伝播(でんぱ)した鉄器技術を受容したサハラ南接草原地帯の農耕民の一部が紀元前後から、一方ではギニア湾北側のサバナ森林を小開拓して拡散し、他方では赤道付近の熱帯雨林を避けてビクトリア湖周辺を二次的中心として赤道以南の東・南アフリカに拡散した。東・南アフリカ諸地域では、鉄の文化を有するバントゥーが金属器のないそれまでの採集狩猟類コイサン系住民と交流・置換して、現在の民族分布を形成するのに伴い、鉄の文化の前線がアフリカ大陸を南下した。バントゥー諸語で漁労・牧畜用語と並び冶金用語の共通性が高いことはアフリカ文化史上での鉄の重要性を物語っている。
前記のユーラシア大陸北部、インド半島部、東南アジアには鉄の文化のない民族が存在し続けた。北部ユーラシア大陸の東部(東シベリア、中国東北部、沿海州)では紀元前後に鉄生産が開始し、青銅器文化の発達をみた中部(南シベリア)でもやや遅れて5世紀ごろから鉄製品が普及し、北欧では前5世紀前後にすでに鉄の文化の前線が北上していたが、ユーラシア大陸の北極圏地域には鉄の文化が浸透しなかった。インド半島部では紀元前後から鉄使用が始まり、中世には原料鉄の輸出地帯でもあったが、部分的に鉄の文化のない民族が残存した。東南アジアでも、前5世紀ごろから、まず東アジア、ついで南アジアの鉄器が知られたが、鉄の本格的な流通が遅れ、少なからぬ民族が鉄の文化をもたないままに終わった。
南北アメリカでは、メキシコのアステカ人が隕鉄(いんてつ)から極少量の鉄製品をつくったが、それ以外の鉄利用はインカなどの高文化でもみいだされない。
[佐々木明]
鉄の文化の浸透過程がどこかで阻害されると鉄の普及が遅れ、鉄の文化のない民族を部分的に残存させがちであった。開拓前線での鉄斧(てっぷ)などの使用で形成過程が始まったが、隣接文化中心が青銅利器を供給し続けた地域では鉄斧が遅れやすかった。鉄斧などを用いて森林を大量伐採すれば、耕地を拡大するとともに、製鉄に要する大量の燃料を確保できた。適当な森林がなければ燃料を確保できなかった。耕地の急拡大はやや劣悪な環境での粗放農耕でも一定規模の人口維持を可能にした。この条件が満たされれば地表に一定濃度の鉄資源が存在するので、氷雪などが採取を妨げない限り、他の文化要素は貧弱だが極小規模の移動的人口が開拓前線で原料鉄を生産し、鉄器生産中心地に原料を供給する構造が形成された。森林開拓前線が遠ざかるのに並行して、かつての原料鉄供給地の耕地・農業生産と人口が増大すれば鉄器生産中心でもある都市が成立し、鉄の高文化が長期間を経て成立した。
鉄の高文化の諸側面に、特徴的傾向を帯びさせたのは、鉄器生産の中心と原料鉄産地が離れがちだったことである。原料鉄生産には大量の薪炭つまり森林伐採を要したから、一面に耕地の広がる安定した農村地帯内の鉄製農具の原料自給は不可能であり、原料鉄供給地は中心的農村地帯から離れた開拓前線に立地した。農村地帯の中心に位置してそこから大量の食糧供給を受けた都市まで半製品原料鉄を長距離輸送し、高度な技術・施設を集中させた都市手工業が最小量の薪炭を用いて原料鉄を二次加工して、農具や武器などの鉄製品を製造する構造が出現しやすかった。鉄製品は定期市などの小市場を経て周辺農村に売却され、鉄流通量の多少により定住的もしくは移動的な鍛冶屋が農村内鉄製品を供給修理して、入手困難な有用材料を最大限に活用するシステムが、鉄の高文化の経済的構造の基調となる傾向が強かった。
[佐々木明]
鉄の高文化の政治的傾向はこの経済的傾向と関連する。この経済構造では、都市加工業者の社会的上昇を制限しなければ、農具生産による巨大な富の蓄積と武器供給の独占により加工業者の政治力が増大し、支配確立過程でやはり鉄流通に関与した既存政体を脅かす可能性が高い。この事態を避け、かつ財政的基盤をも確保する目的で、鉄の高文化の政治権力が鉄流通の独占を図ることが多かった。西アジアでは鉄器時代冒頭のヒッタイトが鉄流通を独占し、首都の遺跡から約150トンの原料鉄が出土したアッシリアのサルゴン2世時代には各都市の国営倉庫を経由して指定製品を製造した指定手工業者に国家購入した原料鉄を供給する体制をとった。東アジアでは中国で何回か鉄専売制が採用され、とりわけ前漢武帝の政策(前119)が有名である。日本でも、5世紀の畿内(きない)古墳から朝鮮半島南部で入手したとみられる原料鉄の副葬例が知られ、律令(りつりょう)制下での禄、賞、賻(ふ)として鍬(くわ)、鉄、かなえが下賜された例があり、両時代の政治権力と鉄独占との関係が想定される。東半球の周辺的地域にみられる鍛冶屋の高い社会的地位は鉄の高文化の形成過程での製鉄手工業者の地位の高さと関連する。これとは逆に鍛冶屋を社会的に差別する、より一般的な傾向は、鉄流通量が十分大きい鉄の高文化では製鉄業者の権利制限傾向と関連するとみることができるが、鉄流通量が十分大きくない鉄の文化では、少ない仕事を求めて移動し、社会的に不安定で経済的にも恵まれぬ状況への軽蔑(けいべつ)の結果とみるべきだろう。
[佐々木明]
鉄の高文化の宗教的傾向はこの政治的傾向と関連する。高文化の文芸的伝統では鉄を堅固さの象徴とするが、宗教的には鉄の象徴的地位を低く設定する傾向が強い。ユダヤ教でのエルサレム神殿への鉄持ち込みの禁止、ローマ時代聖職者の鉄製かみそりの使用禁止はこの例である。東アジアの仏教でも鉄機地獄などに死との象徴的関連を指摘できる。これに対して、都市支配の確立していない鉄の文化、または鉄の高文化の被支配層では、鉄の有用性と高価格性の認識と並行した特殊な霊力を鉄に認める傾向が強い。除魔に鉄の利器を用いる東南アジアなどの事例、蹄鉄(ていてつ)を除魔招福に用いる各地の風習などがこの例である。日本では鉄針で蛇神から身を守る蛇婿入り説話があり、関連する民間信仰が中部地方から報告されている。ただし、東地中海での製鉄開始期を除けば、鉄の呪術(じゅじゅつ)的・宗教的用途は世界的に青銅に比して顕著でなく、鉄の象徴主義もやや貧弱である。
[佐々木明]
『ルードヴィッヒ・ベック著、中沢護人訳『鉄の歴史』全5巻17冊(1968~1981・たたら書房・米子市)』▽『東京工業大学製鉄史研究会編『古代日本の鉄と社会』(1982・平凡社選書)』▽『森浩一編『日本民俗文化大系3 稲と鉄』(1984・小学館)』▽『朝日新聞社編『シリーズ金属の文化2 鉄の博物誌 もっとも身近な金属』(1985・朝日新聞社)』▽『田口勇著『ポピュラーサイエンス 鉄の歴史と化学』(1988・裳華房)』▽『女子栄養大学出版部編・刊『食事で鉄分をとる――貧血を防ぐために』(1991)』▽『奥野正男著『鉄の古代史』1~3(1991~2000・白水社)』▽『真弓常忠著『古代の鉄と神々』改訂新版(1997・学生社)』▽『井上勝也著『鉄は活きた元素』(2001・研成社)』▽『佐々木稔編著、赤沼英男・神崎勝・五十川伸矢・古瀬清秀著『鉄と銅の生産の歴史――古代から近世初頭にいたる』(2002・雄山閣)』▽『新日本製鉄編著『カラー図解 鉄と鉄鋼がわかる本』(2004・日本実業出版社)』▽『菱田明・佐々木敏監修『日本人の食事摂取基準2015年版――厚生労働省「日本人の食事摂取基準」策定検討会報告書』(2014・第一出版)』▽『窪田蔵郎著『鉄から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)』
Fe.原子番号26の元素.電子配置[Ar]3d64s2の周期表8族遷移金属元素.原子量55.845(2).天然に存在する同位体存在比は質量数54(5.845(35)%),56(91.754(36)%),57(2.1191(10)%),58(0.282(4)%).質量数45~72の放射性同位体核種が知られている.59Fe(半減期44.5 d,β- 崩壊)は医学,生化学,合金学でトレーサーとして利用される.元素記号は鉄のラテン語名ferrumから.宇田川榕菴は天保8年(1837年)に出版した「舎密開宗」で勿爾律母(フェルリュム)鐵としている.
地球上に広くかつ多量に存在し,金属としてはアルミニウムについで多い.有史以前から利用されている.地殻中の存在度7.07%.宇宙でも存在度順位10位.ロシア,オーストラリア,ウクライナ,中国,ブラジルが主要鉄資源国である.世界の粗鋼生産量年間13億 t(2007年).1位中国4.8億 t,2位日本1.2億 t,3位アメリカ1億 t(2007年).おもな鉱石は赤鉄鉱,磁鉄鉱,黄鉄鉱,りょう鉄鉱,褐鉄鉱で,これらを焼いて得られた酸化鉄を高炉(約1800 ℃)で,コークスの燃焼で発生する一酸化炭素で還元してまず銑鉄(炭素含有量2~5%)とし,これを転炉で酸素を吹き込んで炭素やリンなどを除いて粗鋼をつくる(転炉法).わが国では,スクラップを原料とし,電気炉で精錬する電気炉法によって,鋼材の約1/4を生産している.炭素含有量が少ないほど柔らかくなり,0.15% 以下は極軟鋼とよばれる.99.999% 以上の高純度になると酸に侵されにくく,さびにくくなる,可塑性が増す,など化学的性質,機械的性質の向上がみられる.鉄の純度に応じて純鉄,電解鉄,炭素鋼,合金鋼などという.用途に応じて微量成分を調整して出荷する.生物圏ではヘモグロビン中に0.43% 含まれ,生物体にとってもっとも重要な元素である.純鉄は光沢のある白色で,展延性に富む.密度7.874 g cm-3(20 ℃),7.035 g cm-3(液体,1535 ℃).融点1535 ℃,沸点2750 ℃.原子半径0.126 nm.同素体は3種類あり,普通に用いられるα鉄は体心立方格子,910 ℃ 以上でγ鉄は面心立方格子,1390 ℃ 以上でδ鉄は体心立方格子である.α鉄は強磁性であるが,キュリー点770 ℃ 以上で常磁性となる.γ,δ鉄は常磁性.酸化数-2~6であるが,2と3が主である.酸素気流中で燃え,また熱すると水蒸気と反応して,ともにFe3O4を生じる.非酸化性の希酸には水素を発生して溶け,鉄(Ⅱ)塩となる.濃硝酸では不動態を生じる.希アルカリに不溶,濃アルカリには酸素の存在で加熱すると溶ける.高温・高圧の一酸化炭素と化合してカルボニルをつくる.産業の根幹を担うもっとも重要な金属である.微粉状純鉄は磁気記録用媒体として利用される.[CAS 7439-89-6][別用語参照]鋳鉄,はがね(鋼)
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
鉱石としての鉄ではなく,金属鉄として使用可能であったのは隕鉄(いんてつ)である。ニッケルを含む良質の金属であるが堅い。前4千年紀のエジプトのゲルゼー前王朝期の墓から,隕鉄製小玉,また,第4王朝のクフ王のピラミッドからは彫刻用の鑿(のみ)が知られている。しかし,最古の錬鉄の例は,北シリアのチャガール・バザール(前3000~前2700年)とバグダード近くのアスマール(前2800~前2700年)出土の短剣である。これは西南アジアに,前3千年紀の前半に鉄の製錬技術の存在したことを示す例である。鉄に関する記録の現れるのは前1400年頃で,アナトリアの支配権を掌握していたヒッタイトにおいてである。この精錬技術は,オリエントからキプロス島,クレタ島,ヨーロッパへと伝わった。インドではアーリヤ人侵入(前2千年紀)以後,初めて鉄を知るに至ったが,マヤ文明,インカ文明はついに知るところがなかった。前1千年紀ともなると,西南アジアにおける鉄利器の生産には著しいものがあり,バビロニアの鉄文化はやがてカフカース,ペルシア方面経由で,北方の遊牧民スキタイにまで伝播するところとなった。ヨーロッパでは,カフカース鉄器文化の流れをくむ初期鉄器時代文化であるハルシュタット文化とラ・テーヌ文化もその頃興っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…古くは春秋,戦国時代,山東の斉は管仲の手により,塩を国家統制下にいれ,富強をもたらしたといわれる。鉄とともに中国全土に塩の専売が実施されたのは漢の武帝の前119年(元狩4)である。農具を中心とした鉄器の普及と商品化は生産力を飛躍的に増加させ,同時に食生活を豊かに分化させる。…
…材質と鋳物の種類によって,適切な鋳込み温度が定まっており,溶湯を測温して確かめる。ねずみ鋳鉄の場合には,湯面模様によって溶湯の温度を判断することも広く行われている。注湯する場合には,取鍋をクレーンで吊って運ぶか,小物では,湯汲みを使って行われる。…
…鉄鋼業はしばしば〈産業の米〉といわれる基礎素材としての鉄鋼材を諸産業に供給する基幹産業である。鉄鋼材には純鉄,銑鉄,鋼,フェロアロイ(合金鉄)などがあるが,最も広範に使用されるのは銑鉄と鋼である。…
※「鉄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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