百科事典マイペディア 「鍋山貞親」の意味・わかりやすい解説
鍋山貞親【なべやまさだちか】
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1901.9.1~79.8.18
昭和期の社会運動家。福岡県出身。小学校卒。職工となり,労働運動に開眼,友愛会から荒畑寒村のL・L会(労働運動研究会)に加入。結党まもない共産党に入党,評議会中央委員となり,日本楽器の争議を指導。27年テーゼ作成に参加,党中央委員として活躍中,4・16事件で逮捕。無期懲役の判決をうけたが,佐野学と転向声明を発表,内外に多大の影響を与え,1940年(昭和15)恩赦で出獄。妻と中国に渡り,敗戦を迎える。戦後世界民主研究所を設立,反共運動を推進。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…京都赤旗事件ともいう。高山の短期志願兵(1年志願兵)の満期退営に際し,出迎えに行った鍋山貞親ら有志50余名は,〈祝高山義三君出獄〉などと書かれた赤旗数本を押し立て,それを阻止しようとした警官と衝突した。その場は一応収拾したが,同日夕方警察は関係者を逮捕し,止め役の荒畑寒村をはじめ,鍋山,三野啓逸ら7名が公務執行妨害,傷害,治安警察法違反で起訴され,2~6月の禁錮に処された。…
…翌年上海で逮捕され,共産党の中央統一公判では裁判闘争を指導した。33年鍋山貞親と共同で天皇制下の一国社会主義を主張する転向声明を発表し,センセーションをまきおこした。敗戦後46年早大に復帰,一方,日本政治経済研究所を創設し,反共的な一国社会主義の運動をつづけた。…
…広くは,ある個人の信念・行動が圧迫強制によって方向転換することを指すが,一般には,共産主義思想を放棄すること。その個別的事例はしばしばみられるところであるが,歴史的事件としての転向は,1933年6月,当局に拘束されていた日本共産党幹部佐野学と鍋山貞親が,コミンテルンの方針を拒否し,民族主義と天皇制に立脚する〈一国社会主義〉の建設を説く〈獄中からの転向声明〉を発するに及んで,多くの共産党員が引き続き集団的に転向した事例を指す。この事件は当時の共産主義運動にきわめて大きな打撃を与え,社会的にも反響を呼んだ。…
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