日本歴史地名大系 「鎖塚」の解説
鎖塚
くさりづか
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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北海道オホーツク総合振興局管内の北見市端野(たんの)町緋牛内(ひうしない)に2基残っている囚人の墓。1891年(明治24)に完成した北見道路(旭川(あさひかわ)―網走間)の工事には約1500人の囚人が服役させられ、死者は200人以上に及んだ。死亡した囚人は鎖をつけたまま土をかぶせられたり、埋められた土饅頭(どまんじゅう)の上に鎖を置かれたりしたため、この名が生まれた。1970年(昭和45)前後より北海道各地で地域住民を主体として、明治以降の北海道開拓における囚人、タコ労働、朝鮮人・中国人強制労働、少数民族問題などの底辺民衆の歴史を掘り起こし、開拓功労者として再評価し、顕彰する民衆史掘り起こし運動が盛んになった。「鎖塚」はこの運動の象徴的な史跡として有名になる。その後地元住民によって地蔵尊や観音像、鎖塚供養碑が建てられた。
[船津 功]
『小池喜孝著『鎖塚』(1973・現代史出版会)』
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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