ちんじゅ‐ふ【鎮守府】
〘名〙
※三代格‐五・弘仁三年(812)四月二日「定
二鎮守府官員
一事
将軍一員
軍監一員
軍曹二員 医師
弩師各一員」
※建武年間記(南北朝頃)「請レ被レ加二大将軍号一状〈略〉爰顕家官昇二八座一。位至二二品一。依二別勅一莅二当州一。剰以二勲功賞一兼二鎮守府一」
③ 旧日本
海軍で、各海軍区の
警備や所属部隊の監督などを担当した機関。明治九年(
一八七六)横浜・
長崎に置かれた東海・
西海両鎮守府に始まり、昭和二〇年(
一九四五)の敗戦時には
横須賀・呉・
佐世保・
舞鶴の四鎮守府があった。
※
東京日日新聞‐明治二一年(1888)一月五日「佐世保鎮守府建築起工式を行ひ」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「鎮守府」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
鎮守府
ちんじゅふ
1奈良・平安時代に陸奥国におかれた軍事機構。蝦夷(えみし)と軍事的緊張をはらむ陸奥国では,720年(養老4)の征夷戦後に現地軍事力の整備が図られ,724年(神亀元)頃までには陸奥国に常駐して軍事指導を担当する鎮守将軍がおかれ,その下の機構が整備されて鎮守府となった。官員は鎮守将軍の下に判官(のち将監(しょうげん),さらに軍監(ぐんげん))・主典(さかん)(のち将曹,さらに軍曹)がおり,しばしば副将軍もおかれた。陰陽師(おんみょうじ)・医師・弩師(どし)もおかれた。所在地ははじめは陸奥国府の地である多賀城であったが,802年(延暦21)に胆沢(いさわ)城が築かれると国府と離れて移転した。
2明治~昭和期に海岸と近海の防衛などを担当した海軍官庁。各軍港におかれ,所管海軍区の防御・警備・出師準備をつかさどり,司令長官は天皇に直属して部下の艦船部隊を統率した。1876年(明治9)東海鎮守府が横浜に仮設され,84年横須賀に移転して横須賀鎮守府となり,89年呉(くれ)・佐世保,1901年舞鶴の順に設置。日露戦争にともない旅順に一時期設置される。ワシントン海軍軍縮条約にともない,舞鶴は23~39年(大正12~昭和14)の間廃止。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
鎮守府
ちんじゅふ
(1) 奈良,平安時代に,蝦夷鎮圧のため,朝廷が陸奥国に設置した軍事機関をいう。初め陸奥国鎮所といい,のち鎮守府と改称されて多賀城 (→多賀城跡 ) ,次いで延暦 21 (802) 年胆沢城 (→胆沢城跡 ) を本拠とした。将軍,軍監,軍曹などの職がおかれた。鎌倉幕府のとき廃止され,建武中興で一時復活,足利尊氏,北畠顕家らが将軍に任じられた。 (2) 明治以後はもっぱら海軍の用兵機関をさし,初め明治4 (1871) 年7月兵部省に設置された海軍提督府がその前身。諸港の防備を司り,1876年8月 31日東海・西海鎮守府と改名された。 84年 12月 15日鎮守府条例に基づき横須賀に中枢が移され,のち呉,佐世保,日露戦争後は旅順にもおかれた。所轄機構には参謀,造船,屯営,軍医,兵器,監獄,武庫,軍法会議などの各部があり,軍港司令部を管下においた。第2次世界大戦終戦に伴って廃止。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ちんじゅふ【鎮守府】
古代の陸奥国に置かれた軍政をつかさどる役所。その長官である将軍の名が729年(天平1)に初めて見えることから,奈良時代前半には鎮守府が設置されたと思われる。鎮守府の前身を《続日本紀》に見える〈鎮所(ちんじよ)〉とする考え方が根強い。しかし〈鎮所〉は鎮守府の存在と密接に関連した呼称であるが,本来正式な機関名としての鎮守府とは同列に置いて比較すべき用語ではない。鎮守府ははじめ,多賀城に置かれた。759年(天平宝字3)には将軍以下の俸料(ほうりよう)と付人の給付が陸奥の国司と同じと決められた。
ちんじゅふ【鎮守府】
旧海軍の機関で,海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した。その前身は1871年(明治4)兵部省内に設置された海軍提督府である。75年日本周辺を東西の2海面に分け,東西両指揮官の指揮下に置くことになり,76年東海,西海の両鎮守府を設置することになった。東海鎮守府はまず横浜に仮設され(西海鎮守府は開設されず),84年には横須賀に移転され,横須賀鎮守府と改称された。86年海軍条例の制定により,日本の沿岸,海面を5海軍区に分け,各海軍区に鎮守府と軍港が設置されることになり,横須賀のほかに,89年には呉と佐世保に,1901年に舞鶴に鎮守府が開庁した。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
鎮守府
ちんじゅふ
①古代,東北地方の蝦夷 (えみし) 征討のため陸奥国に置かれた軍政府
②明治時代以後の海軍根拠地
初め多賀城,のち胆沢城 (いさわじよう) ,さらに平泉に移された。鎮守府将軍としては大野東人 (あずまひと) を最初とし,源頼義・清原武則 (たけのり) ・藤原秀衡らが有名。平安中期以後衰え消滅したが,建武の新政で一時復活した。
1876年,横浜と長崎に置かれたのが最初。'89年,横須賀・呉・佐世保・舞鶴の4鎮守府となった。各管区を定めて海上警備を分担した。第二次世界大戦後廃止。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典内の鎮守府の言及
【鎮守府将軍】より
…古代・中世の陸奥国におかれた軍政府たる鎮守府の長官。もともとは鎮守将軍といった。…
※「鎮守府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報