鎮護国家(読み)チンゴコッカ

デジタル大辞泉 「鎮護国家」の意味・読み・例文・類語

ちんご‐こっか〔‐コクカ〕【鎮護国家】

仏教によって国家をしずめまもること。また、そのために「法華経」「仁王般若にんのうはんにゃ経」「金光明経」などの経典読誦や修法を行うこと。

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精選版 日本国語大辞典 「鎮護国家」の意味・読み・例文・類語

ちんご‐こっか‥コクカ【鎮護国家】

  1. 〘 名詞 〙 国家のわざわいをしずめ、安泰にすること。また、そのために法華経・仁王般若経金光明最勝王経などの護国経典を読誦し、あるいは息災増益などの修法を行なうこと。鎮国。護国。
    1. [初出の実例]「東寺是桓武天皇草創、鎮護国家砌也」(出典:東寺文書‐礼・承和一二年(845)九月一〇日・民部省符案)

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改訂新版 世界大百科事典 「鎮護国家」の意味・わかりやすい解説

鎮護国家 (ちんごこっか)

天変地異内乱,外敵の侵入にあたって,仏教経典を講読祈願したり,真言密教による秘法を行って国家を守護することをいい,広く仏法によって国家を護(まも)る意味に使用される。鎮国ともいう。多くの仏典のなかにあって護国思想の顕著な《仁王般若(にんのうはんにや)経》《金光明(こんこうみよう)最勝王経》《法華経》の護国三部経のほかに,《大般若経》などが用いられた。もともと出世間の教えを説く仏教が,中国に伝来し教団勢力が形成されると,国家権力によって保護され統制され,利用されるようになる。とくに南朝末の陳の文帝は,三宝に帰依することによって衆生を護念し国土を扶助したいと,《金光明経》四天王品に基づく鎮護国家思想を表明した。そして,仏は正法の興隆を仁王に付嘱したと説く《仁王般若経》に基づき,仁王大斎や仁王講経が,陳代を通じて宮中で行われ,智顗ちぎ)も講じた。隋・唐時代には,大興国寺とか大安国寺あるいは鎮国寺といった名称の寺院が各地に造建され,鎮国道場が開かれたが,とくに新しく《仁王護国般若経》を漢訳し密教に立脚した不空が国のために灌頂道場をおくにいたって,仏教の鎮護国家化は頂点に達した。

 日本においてはこれらの動向をうけて660年(斉明6)5月に仁王会が行われ,677年(天武6)11月には諸国で《金光明経》《仁王経》の講説が行われ,宮中においても《金光明経》が講説されるにいたり,以後律令国家成立に密接な関係をもつようになった。741年(天平13)2月の国分二寺(国分寺)の創建は,中国にその範を求めた制度とはいいながら,前年における天然痘の流行や藤原広嗣の乱による国情不安にも起因する。僧寺は〈金光明四天王護国之寺〉といい,《金光明最勝王経》によった寺として,尼寺は〈法華滅罪之寺〉と称して,《法華経》に基づいた寺として創建された。東大・西大2寺をはじめ,平安時代の延暦寺や東・西両寺もまた鎮護国家を標榜したもので,僧尼も〈護国を修するは僧尼の道〉とさえ称せられた。摂関政治・院政期には鎮護国家の概念に代わって,むしろ王法仏法(王法)の観念が強まってくるが,鎌倉時代には禅宗,日蓮宗の勃興とともに仏法による護国論が提起された。栄西は《興禅護国論》を著して禅院の建立は国家を守護し民衆を利するものとし,道元は永平寺を建立してこれを実践したし,日蓮は《立正安国論》《守護国家論》を著した。1338年(延元3・暦応1)から足利氏が諸国に設けた安国寺は,〈安国利生〉に基づく創建で,これも南北朝動乱の終焉を祈るとともに国家の安寧平和を目的としたものであった。
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百科事典マイペディア 「鎮護国家」の意味・わかりやすい解説

鎮護国家【ちんごこっか】

仏法によって国家を鎮め護ること。《仁王経(にんのうきょう)》や《金光明経(こんこうみょうきょう)》が護国の経典として尊ばれ,660年に仁王会が創始されて仏教の護国化が開始。天武・持統朝には国家的規模での仏教儀礼・造寺が行われた。国分寺は《金光明王経》を安置する寺である。平安時代には《法華経》を加えて〈鎮護国家三部経〉とし,また空海らによる密教の鎮護国家の修法なども行われた。
→関連項目国家仏教平安仏教

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎮護国家」の意味・わかりやすい解説

鎮護国家
ちんごこっか

仏教の教義に基づき、仏・菩薩や諸王が国家を鎮め護るという思想と、それによってもたらされる効果。7世紀、日本の律令体制構築に際し、朝廷は中国の王朝に倣って護国の思想を受容し、国家の中心に位置する国王(天皇)の擁護や、国情・社会の安定、他国からの防衛といった効果を祈念すると同時に、仏教の教義を通じて諸地域住民の感情・思想面での統制を図ろうとした。具体的には、7世紀後半の天武朝より諸国に仏教経典が頒布されるとともに、金光明経(こんこうみょうきょう)・仁王般若経といった護国経典が積極的に利用され、8世紀中葉の天平期には、金光明最勝王経・法華経の思想を基盤とする国分寺・国分尼寺が諸国に建立され、中央・地方の官寺を中心に護国法要が定期的に営まれ、強力にこの思想の流布が図られた。平安期に天台・真言や南都の諸宗が独自の活動を展開するようになると、朝廷との関係を重視して鎮護国家を強調し、日本仏教の性格に大きく影響を与えた。

[本郷真紹]

『本郷真紹著『律令国家仏教の研究』(2005・法蔵館)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鎮護国家」の解説

鎮護国家
ちんごこっか

仏教の教義にもとづいて国家を護ること。またそれを期待する思想。仏教思想を統治の手段として利用しようと図った律令国家は,この効果をえるために官寺を建立し,法会(ほうえ)を営んで「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」や「法華経(ほけきょう)」といった護国経典を読誦させた。具体的には五穀豊穣・疫病終息・敵国調伏(ちょうぶく)といった国家安寧の効果が期待されたが,同時に天皇の身体護持と,仏教の教義にもとづき天皇の存在を正当化しようとする意図が含まれ,鎮護護国は仏教による国土・国王の双方の擁護を意味するものであった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鎮護国家」の解説

鎮護国家
ちんごこっか

仏教が国家を鎮護する役割を果たすという思想で,奈良時代に栄え律令国家とともに消長した
マウリヤ王朝以後の仏教に現れた傾向で,中国・朝鮮・日本などに受容される際にも古代国家の支配者はこの傾向に着目して仏教を保護した。奈良時代の仏教政策に端的に現れ,平安期の天台・真言宗もこの役割を担った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鎮護国家」の意味・わかりやすい解説

鎮護国家
ちんごこっか

仏法によって国家の安泰を念願すること。国難に際しては,敵を滅ぼすために修法すること。特に密教では奈良時代から平安時代に盛んに行われた。

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世界大百科事典(旧版)内の鎮護国家の言及

【仏教】より

…桓武朝の末年,入唐求法(につとうぐほう)して持ち帰った最澄の天台宗,空海の真言宗がこれである。だが,南都仏教も平安仏教も,前者は〈鎮護国家〉,後者は〈護国仏教〉を標榜し,目的語句こそ異なったが,ともに古代国家の隆盛期に形成された仏教として,所詮は国家仏教の性格を共通してもっていた。だが,それでも,両者の間に政治とのかかわり方で大きな隔りがあった。…

※「鎮護国家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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