短編、中編に比して長い小説をさし、欧米では、小説といえば長編小説のことである。内容的には連話小説、遍歴小説、風俗小説、幻想小説などと何種類にも分類できるが、それらに共通する構造を考えてみると、短編、中編よりも拡散的、写実的で、一見むだな卑俗な部分を含む緩い構成が特徴といえる。したがって、矛盾を含む多元多重的記述が可能で、論理的思弁を超える、複雑で不定形な人間心理や社会的現象をとらえるのにいっそう適し、それが逆に、近代の小説家たちに、総体的で実証的な現実認識と人間探究の手段として、長編小説を利用させるに至った。バルザックやゾラ、トルストイやドストエフスキー、ディケンズやサッカレーの長編、ロマン・ロランやジュール・ロマンやトーマス・マンの大河小説は、そうした野心のみごとな成果である。しかし、19世紀的な実証主義思潮の凋落(ちょうらく)とともに、プルーストの『失われた時を求めて』(1913~27)やジョイスの『ユリシーズ』(1922)のように、観察者と観察対象、主観と客観の素朴な二元論に疑問を投じ、小説観の転換を迫る作品が現れるに至って、現実認識の努力そのものが認識の不可能性を露呈させて、長編小説の成立基盤を揺るがせた。その後もフォークナー、シモン、ビュトール、マルケスのように、このジャンルの再生を図る作家は多いが、氾濫(はんらん)する長編小説の通俗性は覆いがたい。その意味では、サルトルの『自由への道』(1945~49)が未完に終わったのは象徴的である。
日本でも紫式部の『源氏物語』のような王朝もの、『平家物語』などの軍記もの、滝沢(曲亭)馬琴(ばきん)の『南総里見八犬伝』(1814~42)に代表される伝奇ものなど、長編物語の歴史は多彩豊饒(ほうじょう)であるが、構造的には連話形式のものが多く、近代的な意味での長編小説は、島崎藤村(とうそん)の『破戒』(1906)に始まるとされる。以後、夏目漱石(そうせき)の『こゝろ』(1914)、有島武郎(たけお)の『或(あ)る女』(1919)、藤村の『夜明け前』(1932~35)、谷崎潤一郎の『細雪(ささめゆき)』(1943~48)などの傑作を生んだが、量産による類型化はやはり避けがたく、そのなかで大岡昇平の『レイテ戦記』(1967~69)、埴谷雄高(はにやゆたか)の『死霊(しれい)』(1946~95)などが、このジャンルの再活性化を企てているといえよう。
[平岡篤頼]
『加賀乙彦著『日本の長篇小説』(1976・筑摩書房)』▽『篠田一士著『日本の現代小説』(1980・集英社)』
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