長谷川四郎(読み)はせがわしろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長谷川四郎」の意味・わかりやすい解説

長谷川四郎
はせがわしろう
(1909―1987)

小説家翻訳家。函館(はこだて)生まれ。作家林不忘(ふぼう)(別名谷譲二(じょうじ)、牧逸馬(まきいつま))の弟。法政大学独文科卒業。満鉄調査部、満州国協和会調査部などに勤務。敗戦の前年、35歳のとき陸軍から召集を受け、ソ満国境監視哨(しょう)に配置される。戦後は5年間シベリア俘虜(ふりょ)収容所に抑留された。1950年(昭和25)41歳で帰国。ただちにジョルジュ・デュアメルの『パスキエ家の記録』全10巻(1950~52)の翻訳に着手した。翌年から『近代文学』に『馬の微笑』に始まる一連の「俘虜もの」を連載、のちこれを『シベリア物語』(1952)にまとめた。この連作には感傷を抑制した静謐(せいひつ)な文体で過酷な俘虜生活の日常が淡々と語られており、その茫漠(ぼうばく)とした野性味と清冽(せいれつ)な印象が、異色の戦後派として静かなブームをよんだ。同じ主題の短編集に『鶴』(1953)、『赤い岩』(1954)がある。『無名氏の手記』(1954)、『阿久正(あくただし)の話』(1955)では、民衆の目を通して現代を批判的に描く手法を試みた。著書ほかに『通り過ぎる者』(1958)、『トロワ・コント』(1959)、『ベルリン物語』(1961)、『模範兵隊小説集』(1966)、『ボート三人』(1971)など、翻訳もアラン・フルニエ『グラン・モーヌ』(1952)、アンリ・アレッグ『尋問』(1958)など多数ある。

[古林 尚]

『『長谷川四郎全集』全16巻(1976~78・晶文社)』

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20世紀日本人名事典 「長谷川四郎」の解説

長谷川 四郎
ハセガワ シロウ

昭和期の作家,詩人,翻訳家



生年
明治42(1909)年6月7日

没年
昭和62(1987)年4月19日

出生地
北海道函館市

学歴〔年〕
法政大学独文科〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日出版文化賞〔昭和44年〕「長谷川四郎作品集」

経歴
昭和12年満鉄調査部に勤務、16年アルセーニエフの探検記「デルスウ・ウザーラ」を翻訳。翌年満州帝国協和会調査部に入る。19年応召、敗戦でソ連軍の捕虜となり、5年間のシベリア収容所経験をへて、25年2月帰国。27年処女創作集「シベリヤ物語」を発表。前期の代表作に「鶴」がある。作家生活のかたわら、28年から法政大学教授を務める。「ブレヒト詩集」、ジョルジュ・デュアメル「パスキエ家の記録」全10巻の翻訳など訳業も多い。「長谷川四郎作品集」(全4巻 晶文社)及び「長谷川四郎全集」(全14巻 晶文社)がある。平成14年長男の長谷川元吉により「父・長谷川四郎の謎」が出版された。


長谷川 四郎
ハセガワ シロウ

昭和期の衆議院議員 元・衆院議員(自民党);建設相。



生年
明治38(1905)年1月7日

没年
昭和61(1986)年8月7日

出生地
群馬県桐生市

学歴〔年〕
高小卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和53年〕,群馬県名誉県民

経歴
桐生商工会議所副会頭、群馬県議を経て、昭和24年以来群馬2区から衆院議員に連続14選。43年佐藤内閣の農相、47年衆院副議長、51年福田内閣の建設相を歴任、61年6月引退。椎名悦三郎派幹部として、ロッキード事件後の三木内閣誕生に動いた。また中川一郎の自殺後同派会長を代行した。のち福田派。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「長谷川四郎」の解説

長谷川 四郎
ハセガワ シロウ


肩書
元・衆院議員(自民党),建設相

生年月日
明治38年1月7日

出生地
群馬県桐生市

学歴
高小卒

経歴
桐生商工会議所副会頭、群馬県議を経て、昭和24年以来群馬2区から衆院議員に連続14選。43年佐藤内閣の農相、47年衆院副議長、51年福田内閣の建設相を歴任、61年6月引退。椎名悦三郎派幹部として、ロッキード事件後の三木内閣誕生に動いた。また中川一郎の自殺後同派会長を代行した。のち福田派。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和53年〕 群馬県名誉県民

没年月日
昭和61年8月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

百科事典マイペディア 「長谷川四郎」の意味・わかりやすい解説

長谷川四郎【はせがわしろう】

小説家,翻訳家。函館生れ。法政大独文科卒。長兄海太郎は作家牧逸馬(いつま)。満鉄社員として中国で勤務,アルセーニエフ《デルス・ウザーラ》を翻訳。応召後,ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留。1950年復員後,抑留経験に基づいた小説を発表し,《シベリヤ物語》《鶴》などにまとめた。他に《無名氏の手記》《ベルリン物語》など。デュアメル《パスキエ家の記録》(全10巻。1950年―1953年)の他,リルケの翻訳などもある。
→関連項目林不忘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川四郎」の解説

長谷川四郎 はせがわ-しろう

1909-1987 昭和時代の小説家,翻訳家。
明治42年6月7日生まれ。林不忘(ふぼう)の弟。満鉄などにつとめる。第二次大戦で召集され,シベリアに抑留される。昭和25年帰国。その経験をもとに「シベリヤ物語」「鶴」をまとめる。翻訳「デルスウ・ウザーラ」「パスキエ家の記録」などのほか,詩,戯曲もある。法大教授。昭和62年4月19日死去。77歳。北海道出身。法大卒。

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367日誕生日大事典 「長谷川四郎」の解説

長谷川 四郎 (はせがわ しろう)

生年月日:1909年6月7日
昭和時代の作家;詩人。法政大学教授
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報