江戸幕府中期の政治家。父西田清貞のとき甲府藩主徳川綱重(つなしげ)に仕える。詮房は幼少のころ能役者喜多七太夫(きたしちだゆう)の弟子となり、綱重の子綱豊(つなとよ)(後の6代将軍家宣(いえのぶ))の寵愛(ちょうあい)を受け、やがて小姓(こしょう)に用いられた。これより前、苗字(みょうじ)を間鍋に改称していたが、綱豊の命により間部と改めたという。1704年(宝永1)5代将軍綱吉(つなよし)の養子となった家宣に従って幕臣に加えられ、西丸奥番頭(にしのまるおくばんがしら)として1500俵を給せられ、従(じゅ)五位下越前守(えちぜんのかみ)に叙任。その後昇進・加増相次ぎ、05年には西丸側衆(そばしゅう)に任ぜられ、翌年若年寄(わかどしより)格として1万石の大名となり、従四位下に昇る。09年家宣が将軍に就任すると老中格側用人(そばようにん)に昇り、侍従に任ぜられ、3万石に加増。翌年上野(こうずけ)(群馬県)高崎城主として5万石を領するに至った。詮房は侍講新井白石(あらいはくせき)とともに将軍家宣を補佐し、前代の弊政改革に努め、12年(正徳2)家宣死後も、幼将軍家継(いえつぐ)をいただいて施政に奮闘し、つねに江戸城中に宿直して帰邸することがなかったという。かくして「正徳(しょうとく)の治」と称せられる安定した一時期をもたらしたが、しだいに徳川譜代(ふだい)層の伝統的勢力の反感が高まって、新井白石とともに幕府内に孤立し、16年5月8代将軍吉宗(よしむね)の代となると幕政の中枢から失脚。翌年城地を越後(えちご)(新潟県)村上5万石に移された。享保(きょうほう)5年7月16日、村上において不遇のうちに死去した。
[辻 達也]
『辻達也著「新井白石と間部詮房」(『日本人物史大系 近世1』所収・1959・朝倉書店)』▽『宮崎道生著「間部詮房」(『大名列伝 7』所収・1966・人物往来社)』
(深井雅海)
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江戸中期の政治家。父清貞は甲府藩に仕えた。詮房は幼少のころ能役者喜多七大夫の弟子となり,藩主徳川綱豊の寵愛をうけ,小姓に用いられた。1704年(宝永1)家宣(綱豊改名)が5代将軍綱吉の継嗣となったとき,従って幕臣に加えられ,1500俵を給せられ,従五位下越前守に叙任。その後昇進・加増が相次ぎ,06年若年寄格1万石,従四位下。09年家宣が将軍に就任すると老中格側用人に昇り,翌年高崎城主として5万石を領するに至った。詮房は侍講新井白石とともに将軍家宣を補佐し,前代の弊政改革に努め,12年(正徳2)家宣死去後も幼主家継のもとで施政に奮闘し,〈正徳の治〉と称される安定期をもたらした。しかししだいに白石とともに幕府内で孤立し,16年(享保1)8代将軍吉宗の代に幕政の中枢から失脚。20年7月16日不遇のうちに死去した。
執筆者:辻 達也
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1666.5.16~1720.7.16
江戸前・中期の側用人。大名。武蔵国忍(おし)に生まれ,1684年(貞享元)甲府藩主徳川綱豊(家宣)の桜田館に近習として出仕。小姓・用人を勤め,家宣が将軍綱吉の継嗣として江戸城西丸に入ると,奥番頭・側用人となり,1709年(宝永6)家宣の6代将軍就任により老中格。翌年上野国高崎5万石の藩主。家宣没後,幼少の家継を補佐し,新井白石を相談役として幕政を主導。吉宗の将軍就任後は引退し,17年(享保2)越後国村上に転封。その地で没した。
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…江戸中期,1709年(宝永6)から15年(正徳5)まで7年にわたる6代将軍徳川家宣,7代家継の治世の通称。家宣は幕府内外からの期待をうけて将軍となり,生類憐みの令の廃止を手始めに前代の弊政の改廃につとめ,側用人間部詮房(まなべあきふさ),侍講新井白石がこれを補佐した。家宣は前将軍綱吉同様儒学を信奉し,新井白石の助言も加わって,その施策の基調に儒学の色調が濃く,また政治は将軍と側近に主導され,閣老の発言力が弱かったことも前代同様である。…
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