精選版 日本国語大辞典 「関東郡代」の意味・読み・例文・類語
かんとう‐ぐんだい クヮントウ‥【関東郡代】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸幕府の職名。関東の幕府直轄領の民政を担当した地方官。1590年(天正18)徳川氏の関東入国後、代官頭(がしら)伊奈忠次(いなただつぐ)の系譜を引く伊奈家の世襲となった。1642年(寛永19)忠次の次男忠治(ただはる)のとき関東代官を統括し、河川の改修や築堤の専管を命ぜられ、事実上、関東郡代が成立した。1653年(承応2)忠克(ただかつ)のとき知行(ちぎょう)地3900石に固定。元禄(げんろく)期(1688~1704)に代官頭から関東郡代と正式に称するようになり、25万石を支配、江戸馬喰(ばくろう)町に郡代屋敷があった。勘定奉行(ぶぎょう)支配であるが、1733年(享保18)忠逵(ただみち)のとき老中支配、勘定吟味役の上首となる。忠宥(ただおき)は勘定奉行を兼任。家臣は年寄衆、番頭、勘定頭、目付役などがあった。1792年(寛政4)忠尊(ただたか)のとき家事不行届の理由で罷免される。そのため勘定奉行久世広民(くぜひろたみ)、ついで中川忠英(ただてる)が郡代を兼務し、5人の郡代付代官により支配する。1806年(文化3)郡代制を廃止したが、64年(元治1)復活、郡代3名を任命し、67年(慶応3)には関東在方掛(ざいかたがかり)と改称した。
[村上 直]
江戸幕府の職名。関東の幕領支配のほか,水系の整備・治水灌漑・検地など広域行政にあたった。1590年(天正18)徳川家康の関東入部の際,伊奈忠次が任命され,以後伊奈氏の世襲となる。当初は代官頭とよばれ約100万石を支配したが,元禄期に関東郡代が正式名称となり,享保期以降は関東において25万石前後を支配した。役宅は江戸の馬喰(ばくろ)町。1792年(寛政4)伊奈忠尊(ただたか)が罷免され,同職は勘定奉行の兼職となった。その後1806年(文化3)に一時廃止,64年(元治元)に再設された。67年(慶応3)関東在方掛と改称。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…大目付は使番(巡見使や国目付はこの役の者から任命された)とともに,将軍本営の命令を出先の部隊に伝え,かつその実施を監察するのがその本来の機能であり,それが平時の行政上の伝達系統に転用されたのである。 幕府直轄地の支配はそれぞれの奉行や代官が行ったが,近畿地方では所司代を中心とした国奉行が,また一部の大名領を除く関東では関東郡代が公家領や旗本領をも含めた広域的支配を行った。このほかに公家,僧侶,神官,寺社領の人民,職人,えた,非人などに対してそれぞれの身分に応じた別系統の支配が行われた。…
…1692年(元禄5)幕府は高山藩主金森氏を出羽上山に移封し,豊富な山林・鉱山資源を有する飛驒一国を直轄化して,高山に陣屋を置き代官支配を開始した。初代から3代までの代官は関東郡代伊奈氏が兼任,4代森山実道から専任となる。7代長谷川忠崇の1738年(元文3)以降,常時高山に在陣となった。…
※「関東郡代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新