精選版 日本国語大辞典 「闘茶」の意味・読み・例文・類語
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茶の産地別による色や味を飲み分けて勝負を競う茶会の一種。鎌倉時代の末から室町時代中期の足利義教(あしかがよしのり)のころにかけて爆発的な流行をみせた。闘茶の起源は中国の宋(そう)代にみることができる。蔡襄(さいじょう)(1012―1067)は『茶録』のなかで「闘試」の語を使い、同じく范仲淹(はんちゅうえん)(989―1052)に「闘茶歌」があって、茶の色による識別や茶と水との融合度をみることから始まり、茶の味のよしあしを争うところにまで及んでいた。わが国では、『建武式目(けんむしきもく)』(1336)によって群飲佚遊(いつゆう)が禁じられたものの、婆娑羅(ばさら)の風流は盛んになり、「二条河原(がわら)落書」によって茶香十炷(じっしゅ)の盛行が口ずさまれるようになった。当初は『師守記(もろもりき)』の暦応(りゃくおう)3年(1340)条に「十種本非張行懸(賭)物(ほんぴはりおこないかけもの)等被出之(これをいださる)」とあり、『祇園社家(ぎおんしゃけ)記録』にも「本非十種茶」の勝負記録があって、賭け物を出し合って本非茶勝負が行われていた。これは、本茶である栂尾茶(とがのおちゃ)と、非茶であるそれ以外の産地の茶を飲み分けて勝負を競う遊びである。のちには本非にかかわりなく4種十服の茶勝負である十種茶(有試茶と無試茶)が中心になる。有試十服茶は4種の茶を使い、まず3種の茶を4服ずつ包み、他の1種は客茶として1服包んでおく。ついで3種の茶の1服ずつを試し飲みして、残りの10服を飲み当てていく遊びである。五十種茶、七十種茶、百種茶というのも、十種茶を5回、7回、10回と催すものである。闘茶の遊び方には以上のほか、七所勝負や、六色茶、三種銘茶、四季々茶、源氏茶、系図茶などがある。その遊び方については不明な点が多い。しかし、書院茶や草庵(そうあん)茶の草創とともにしだいに衰退し、千利休(せんのりきゅう)時代にはかぶき茶といわれて残滓(ざんし)だけになっていたが、江戸時代中期に千家七事式の一つに「茶歌舞伎(かぶき)」として取り上げられ現在に至っている。
[筒井紘一]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
茶の味を飲みわけて勝負する中世の遊戯。鎌倉末期には各地で茶の栽培が行われるようになり,品質に差が生じた。日本の茶の栽培は栂尾(とがのお)(現,京都市右京区)に始まったという説が信じられ,その茶が品質においても最高とされた。栂尾の茶を本茶とし,他地域のものを非茶として,初期には本非を飲みあてる遊戯が行われ,のちには3種ないし4種以上の同異をあてるものに発展した。莫大な賭物や贅を尽くした飲食をともない盛行したが,侘茶(わびちゃ)の発生によってすたれた。今日でも茶かぶき(茶歌舞伎・茶香服)の形で伝統が残る。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
… 喫茶の普及は茶の薬用効果よりも嗜好品としての茶の発展を意味していた。やがて茶は遊戯化し,14世紀初期には闘茶という茶の遊びが生まれた。闘茶は飲茶勝負とも呼ばれたように,茶の味を飲み当てるゲームで,初めは本茶(京都栂尾の茶)と非茶(栂尾以外の茶)を飲み分け,得点によって懸賞が分配される形式であったが,のちには茶の種類を4種にふやし,10服とか70服とか何杯もの茶の味を当てる複雑なゲームとなった。…
※「闘茶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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