アテネでペイシストラトス家の僭主(せんしゅ)政が倒れたのち,僭主の再出現を防ぐため,クレイステネスの設けた制度で,市民が僭主になるおそれのある人物の名を陶器の破片(ostrakon)に書いて投票した。6000票以上を得た者のうち最多得票者が,10年間国外に亡命させられた。前5世紀の初めに活用されたが,政争の具と化し,同世紀末には使われなくなった。「貝殻追放」という邦訳は誤りである。
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…独特の工夫をこらし,地縁的原理に立脚したこの十部族制は,アテナイ市民団の抜本的な編成替えによって在来の貴族支配の基盤を掘り崩す役割を果たしただけでなく,こののち古典期を通じて軍隊の編成や役人同僚団の選出にさいし,基本的単位として用いられて,国制の骨格を形づくることになる。僭主となるおそれのある有力者を市民たちの投票によって10年間の国外追放に処した陶片追放(オストラキスモス)の制度も,クレイステネスの創案によると伝えられる。
[ポリス民主政の確立]
前7世紀から前6世紀にかけ政治・経済・軍事の諸分野でスパルタ,コリントス,アイギナなどの諸ポリスにむしろおくれをとっていたアテナイを,前5世紀前半にギリシア第一の地位にまで押し上げたきっかけは,ペルシア戦争での勝利である。…
…市民権剝奪と財産没収はともなわなかった。投票に際して陶器の破片(オストラコン)が用いられたところから〈陶片追放〉の名がある(〈貝殻追放〉は誤り)。前508年にクレイステネスにより創設されたとの伝えがあるが,はじめて実際に施行されたのは前488年,ペイシストラトスの親族ヒッパルコスに対してである。…
※「陶片追放」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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