陸軍士官学校(読み)リクグンシカンガッコウ

デジタル大辞泉 「陸軍士官学校」の意味・読み・例文・類語

りくぐん‐しかんがっこう〔‐シクワンガクカウ〕【陸軍士官学校】

陸軍士官を養成する学校。MA(military academy)。旧日本陸軍の場合は、明治7年(1874)東京の市ヶ谷に設置。昭和20年(1945)廃止。陸士。

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精選版 日本国語大辞典 「陸軍士官学校」の意味・読み・例文・類語

りくぐん‐しかんがっこう‥シクヮンガクカウ【陸軍士官学校】

  1. 陸軍の士官を教育養成する学校。旧日本陸軍では明治七年(一八七四)東京市ケ谷に設置され、昭和一二年(一九三七)予科・本科を分離独立し、予科を陸軍予科士官学校、本科士官学校に分離独立し、本科を陸軍士官学校とした。本科は同年、神奈川県座間に移転、本科の航空兵科は埼玉県入間市豊岡にあった所沢分校に移転し、翌一三年陸軍航空士官学校となる。陸士。〔日本教育策(1874‐75頃)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「陸軍士官学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍士官学校 (りくぐんしかんがっこう)

陸軍兵科将校を養成するため生徒・学生を教育する学校。旧日本陸軍での前身は,京都の兵学校(兵学所と改称),ついで大阪の兵学寮,東京の陸軍兵学寮,同寮内の仮の士官学校と変遷した。1874年10月制定の条例により陸軍士官学校が市ヶ谷に設けられ,翌年,士官生徒第1期生が入校,第11期生まで続いた(卒業生1285名)。87年士官候補生制度(候補生は幼年学校出身者および採用試験に合格した旧制中学校出身者であり,1年間の隊付勤務ののち入校)となり,89年,第1期生が入校,終戦時には第61期生が在校した(卒業生約3万6900名)。1920年陸軍中央幼年学校が陸軍士官学校予科,従来の陸軍士官学校が陸軍士官学校本科となった。修学期間は,予科2年,本科約2年,その間に半年の隊付勤務を実施した。本校の生徒教育は,訓育と学科および術科教育に分かれ,とくに将校としての徳操を養い識能を高めることが重視された。また初級現役将校を補充するため,1917年から3期約700名の准尉候補者の教育が行われ,20年から少尉候補者(特務曹長のち曹長を含み選抜した学生)に1年間の将校教育を実施した(卒業生約8900名)。外国留学生隊も整備・充実された。37年,陸軍士官学校本科は陸軍士官学校となって座間に移り,予科が陸軍予科士官学校となった(1941年,朝霞に移転)。生徒数は,軍備拡張に応ずるため,逐年増加した。38年,豊岡にあった陸軍士官学校分校が陸軍航空士官学校として独立し,時局が要求する多数の航空科将校を養成した。39年からは優秀な特別志願将校を現役将校とするための教育が行われた。

 ヨーロッパ陸軍国フランスプロイセンロシアなど)は,18世紀ごろから近代的な将校養成機関を設け,当初は貴族階級から,のちには一般の志願者から選抜して教育を実施してきた。諸外国の著名な士官学校としては,アメリカ,ニューヨーク州ウェスト・ポイントにあるU.S.Military Academy(創設1802年),イギリス,バークシャー,サンドハーストにあるRoyal Military Academy(創設1802年),フランス,ブルターニュ,コエッキダンにあるL'École Spéciale Militaire(創設1802年,1947年まではサン・シールに所在)などがあり,それぞれ所在地名のウェスト・ポイント,サンドハースト,サン・シールが代名詞となっている。旧ソ連では士官学校が兵科ごとにあった。なお,自衛隊では防衛大学校と幹部候補生学校を合わせたものがこれに相当する。
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百科事典マイペディア 「陸軍士官学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍士官学校【りくぐんしかんがっこう】

日本陸軍の現役将校養成のための学校。1874年陸軍士官学校条例により,それまでの陸軍兵学寮から独立して開校し,1945年までに11期の士官生徒,58期の士官候補生を送り出した。1937年予科と本科が分離し,1938年航空士官学校が本科だけ独立。終始単一の現役将校養成機関で,その教育は陸軍の性格を規定した。→陸軍大学校陸軍幼年学校
→関連項目五・一五事件三無事件寺内正毅ビゴー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陸軍士官学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍士官学校
りくぐんしかんがっこう

日本陸軍の現役将校養成補充機関。前身は明治1 (1868) 年京都に設けられた兵学校で,これが兵学所,兵学寮を経て,1874年に陸軍士官学校と改称され,東京の市谷に移転した。 1898年教育総監部の新設とともに,陸軍省から離れて,その管轄下に入った。 1917年から選抜された下士官に対する将校教育を開始。 1920年予科と本科に分かれ,予科2年,隊付き6ヵ月,本科1年 10ヵ月という教育期間が確立された。 1938年航空兵科の本科に相当する航空士官学校が新設された。予科士官学校には陸軍幼年学校卒業者および中学4年修了程度の入学試験合格者を入校させた。最後の卒業生は 58期。 (→海軍兵学校 , 軍学校 , 士官学校 )

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸軍士官学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍士官学校
りくぐんしかんがっこう

旧日本陸軍の現役将校養成学校。1874年(明治7)設立。その前身は1868年設立の兵学校である。1887年には士官候補生制度を導入、試験により選抜された士官候補生は各部隊に入隊したのち、士官学校に入学、卒業後、見習士官として原隊に戻り、その部隊における将校会議の議決を経て将校に任官されることとなった。1917年(大正6)からは選抜された下士官に対する将校教育を開始。20年には予科制・本科制を採用し、さらに37年(昭和12)には前者が陸軍予科士官学校、後者が陸軍本科士官学校となった。その後、翌年には航空兵科将校の養成を目的として陸軍航空士官学校を新設した。士官候補生制度にみられるように、士官学校を中心とした陸軍の将校養成制度は閉鎖的な性格が強く、独特のエリート意識と同志的意識に支えられた将校集団を生み出していった。

[吉田 裕]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「陸軍士官学校」の解説

陸軍士官学校
りくぐんしかんがっこう

陸軍兵科将校の養成機関。東京の市谷にあった。1874年(明治7)10月陸軍兵学寮の士官学校が独立した。1920年(大正9)8月陸軍中央幼年学校(1896年設置,翌年開校)を陸軍士官学校予科に,従来の陸軍士官学校を陸軍士官学校本科とした。37年(昭和12)本科は陸軍士官学校(神奈川県座間)に,予科は陸軍予科士官学校(東京市谷,のち埼玉県朝霞)となった。45年8月廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の陸軍士官学校の言及

【アメリカ合衆国】より

…これは,大西洋という自然の安全保障のおかげで,軍隊という人為的な安全保障装置が必ずしも必要とされなかったことによるところが大きい。1802年ウェスト・ポイントに陸軍士官学校が設立されるが,これも少なくとも当初は軍事専門家の養成というよりは,道路,運河建設などの内陸開発のための技術者養成を目的としていたといってよい。一般的にいって,19世紀末までは,アメリカ社会では軍隊は非生産的な集団とみなされ,特に英雄視された何人かの軍人は別として,職業軍人の社会的地位も高くはなかった。…

【軍事教育制度】より

…正規将校要員の養成機関としては,陸海空軍に各士官学校を,初級・中級将校の用兵および術科教育機関として陸海空軍の各職種別に各種の術科学校を,上級将校に高度の戦略・戦術を習得させるため陸海空軍に各大学校を置き,さらに国防政策の研修機関として三軍統合の国防大学校などを設置している国が多い。
[日本の将校教育制度]
 旧日本陸軍は1868年(明治1)陸軍の幹部養成のため兵学校を京都に設置して以降,陸軍幼年学校陸軍士官学校陸軍経理学校,航空士官学校,陸軍大学校などを設置した。一方,旧日本海軍は69年東京築地に海軍操練所を設置して初級幹部の養成を開始して以降,海軍兵学校海軍機関学校海軍経理学校海軍大学校などを設置した。…

【陸軍】より

…70年5月に兵学寮に下士養成機関の教導隊を置き,71年12月徳川氏創立の沼津兵学校を合併し,教導隊は教導団と改称されて東京に移され,ついで兵学寮も東京に移り,73年10月に教導団は省の直管となった。74年11月に陸軍士官学校条例が制定され,翌年第1期士官生徒が入学,兵学寮は廃された。士官生徒制は11期卒業までで,87年に士官候補生制に改められ,第2次大戦の敗戦まで続いた。…

※「陸軍士官学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」