精選版 日本国語大辞典 「陸軍省」の意味・読み・例文・類語
りくぐん‐しょう ‥シャウ【陸軍省】
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旧日本陸軍の軍政を管轄する機関で、初めは太政官(だじょうかん)のちに内閣の一省。1872年(明治5)2月兵部(ひょうぶ)省が廃止され、兵部省陸軍部がそのまま陸軍省となった。翌1873年3月陸軍省職制ならびに陸軍省条例が制定され、翌4月から実施された。陸軍省の長は陸軍卿(きょう)で、それを補佐するものに、大輔(たいふ)、少輔(しょうゆう)、大丞(だいじょう)、少丞(しょうじょう)があった。1873年の職制では陸軍省の機構は、卿官房、陸軍部時代の秘史局を受け継いだ第一局、軍務局を継いだ第二局、砲兵局を継いだ第三局、築造兵局を継いだ第四局、会計局を継いだ第五局、外局であった参謀局を継いだ第六局からなっていた。そのほかに北海道兵備を任務とする第七局が設けられることになっていたが、実際には置かれなかった。1874年2月第六局が廃止され、陸軍省の外局として参謀局が設置され、これがさらに1878年12月参謀本部となり、陸軍省から独立した天皇直属の軍令専掌機関となった。1879年10月陸軍職制が制定され、陸軍省条例が改正された。これにより陸軍省の機構は総務局、人員局、砲兵局、工兵局、会計局の5局となり、1885年3月には新たに輜重(しちょう)局が加わった。1886年2月内閣制度発足とともに陸軍省官制が定められ、大臣、次官のもとに大臣官房、総務、騎兵、砲兵、工兵、会計、医務の各局が置かれた。1888年11月法官部が加わり、1890年3月には総務、騎兵、砲兵、工兵の4局が軍務局に統合された。1900年(明治33)5月、陸軍省官制の改正で、総務、人事、軍務、経理、医務、法務の六局制となった。またこの官制で陸軍大臣の補任資格を現役の大・中将に限ることとなり、軍部大臣現役武官制が確立した。その後1908年兵器局、1926年(大正15)整備局、1936年(昭和11)兵務局が新設され、1942年兵器局、1945年4月整備局が廃止された。大臣の補任資格は1913年の改正で現役を削除したが、1936年ふたたび現役制を復活した。軍部大臣現役武官制は統帥権の独立とともに軍部の政治的地位を強化する武器となった。戦争の拡大とともに陸軍省の政府部内における発言権は大きくなり、政務を扱う軍務局は、内閣の中枢を占めるまでになった。敗戦直前の1945年4月、軍務局と参謀本部第四部の職を合体する省部一体制がとられ、本土決戦に備えた。敗戦により1945年(昭和20)11月30日陸軍省は廃止され、残務処理のための業務を、陸軍省を縮小した第一復員省に引き継いだ。
[藤原 彰]
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明治初期から第2次大戦の敗戦まで陸軍の軍政を統轄した中央官庁。1871年(明治4)7月,兵部省陸軍部設置。72年2月,兵部省の廃止により陸軍省・海軍省が分離して設置された。はじめは太政官の一省で,初代陸軍卿は山県有朋(やまがたありとも)。78年外局だった参謀局が参謀本部として独立。85年内閣制度制定により内閣の一省となる。初代陸軍大臣は大山巌(いわお)。翌年陸軍省官制を制定し,大臣官房および総務・騎兵・砲兵・工兵・会計・医務の6局をおく。90年総務・騎兵・砲兵・工兵の各局を統合して軍務局を設置。翌年会計局を経理局と改称。1900年大臣・次官(総務長官)の現役武官制を確立。その規定は13年(大正2)に削除されたが,36年(昭和11)復活。陸軍の軍政を統轄して政治的にも発言力をもった。45年11月に廃止され,第一復員省となった。
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