精選版 日本国語大辞典 「雑訴決断所」の意味・読み・例文・類語
ざっそけつだん‐しょ【雑訴決断所】
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建武政権に設けられた,所領に関する訴訟を審議し決定を下す機関。所領紛争の訴訟,年貢訴訟,本領安堵などを扱った。1333年(元弘3)9月頃,訴訟の増大に対応して発足。後醍醐天皇の綸旨(りんじ)万能主義の修正である反面,天皇の親政を支える重要な柱となった。当初は地域を分担する4番制で,公卿から実務的な下級貴族,鎌倉幕府の官僚,奉行人までの約70人の構成。1年後に8番制,100人余に拡大され,さまざまな勢力をとりこむ一方,各番の頭人は多く恩賞方の頭人を兼任するなど実務性を高めた。裁許などの決定・命令は,おもに牒(ちょう)の形式で伝えられ,120通余が伝わる。決断所に関する規定は「建武記」に数例みえる。35年(建武2)の足利尊氏の離反とともに,活動は衰退。決断所は鎌倉幕府の引付の機能を継承し,構成員から室町幕府の奉行人となる例があるなど,両幕府の訴訟機関の接点でもあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
1333年(元弘3)建武(けんむ)新政府発足後まもなく設置された訴訟機関。同じころ設置された記録所が大事を裁決するのに対して一般訴訟を扱った。鎌倉幕府の引付(ひきつけ)に相当し、旧幕府の職員も採用された。機構は初め3番に分け、のち拡張して8番とし、五畿(ごき)七道の訴訟を分掌した。各番の長を頭人(とうにん)、所員を寄人(よりゅうど)といい、当時の公家(くげ)・武家のおもな人々を網羅していた。役所は大内裏(だいだいり)郁芳(いくほう)門の左右にあって南北決断所と称した。34年(建武1)その権限を明確にし、領家・地頭間の紛争や年貢、本領安堵(あんど)に関することを扱った。同一訴訟を記録所と重複して扱うなどの混乱もあり、35年足利尊氏(あしかがたかうじ)挙兵後は機能を失った。
[阿部 猛]
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[後醍醐朝の記録所]
こうして院政下では文殿,親政下では記録所と機能が分化移行するようになり,1321年(元亨1)後醍醐天皇が親政を開始するや,早速記録所を設置し,訴訟を裁断した。ついで33年(元弘3)鎌倉幕府が滅亡すると,天皇は恩賞方や雑訴決断所を新設し,従来量的にも記録所の職務に大きな部分を占めていた雑訴をこれに移し,記録所は訴訟のうちでも寺社・権門にかかわる大事のみを取り扱い,中央政府のなかに中心的な機関の地位を占めた。そして建武政府の倒壊後,北朝では院政が復活し,文殿が活動する一方,記録所の名称は近世初頭の内裏まで存続したが,その間実質的な機能を急速に失っていった。…
※「雑訴決断所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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