精選版 日本国語大辞典 「電子音楽」の意味・読み・例文・類語
でんし‐おんがく【電子音楽】
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広義には電子的手段を用いたすべての音楽、狭義には1950年代ごろ電子発振器を用いて構成された音楽をさす。ドイツのケルンのスタジオで働いていたアイメルトHerbert Eimert(1897―1972)、シュトックハウゼンらがその創始者である。彼らは、フランスのシェフェールPierre Schaeffer(1910―1995)らによる、具体音を素材とする「ミュージック・コンクレート」と区別するために、この「電子音楽」という名前を採用した。シュトックハウゼンの『習作Ⅰ、Ⅱ』(1953~1954)では、発振器で、ある比率をもった高さの音を音列のように用い、ミュージック・セリエルの理論を拡張した。
これに刺激され、ミュンヘン、ブリュッセル、ミラノ、ユトレヒト、グラベザーノ、プリンストン大学、イリノイ大学、東京のNHKスタジオなどに、次々と電子音楽スタジオが設立された。NHKでは黛敏郎(まゆずみとしろう)の『素数の比系列による正弦波の音楽』(1955)を皮切りに、諸井誠(もろいまこと)(1930―2013)と黛の共作『七のヴァリエーション』(1956)、松下真一(1923―1990)の『黒い僧院』(1959)、諸井の『ピュタゴラスの星』(1959)などがつくられた。最後の2曲は、電子音のほかに合唱、室内楽、語り手が加わっているが、純粋に電子的な音楽よりも、こうした混成作品のほうがやがて主流を占めるようになる。その最初の例は、シュトックハウゼンが少年の歌声を電子的に変調し、純電子音と重ね合わせた『少年の歌』(1955~1956)にみることができる。
そして1950年代後半には、テープと生(なま)楽器の同時演奏が、シュトックハウゼンの『コンタクテ』(1959~1960)や、クセナキスの『類比A+B』(1958~1959)などで試みられるようになる。さらに舞台上で実際に電子機器やテープを操作するライブ・エレクトロニック音楽が生まれた。これにはシュトックハウゼンの『混合』(1960)や『ミクロフォニーⅠ、Ⅱ』(1964~1965)のように楽器音を電子的に変形するもの、ケージの『カートリッジ・ミュージック』(1960)のように楽器音以外の音を電子的に利用するもの、ケージの『ローツァルト・ミックス』(1965)のように録音されたテープをその場で操作するもの、シュトックハウゼンの『ソロ』(1965~1966)のようにフィードバック回路を用いるもの、などがある。
その後の電子音楽は、一方でシュトックハウゼン、クセナキスに代表されるような巨大な装置を用いたもの、もう一方でアメリカのデビッド・テュードア、小杉武久ら卓上の簡単な装置を用いたものに両極化していった。テュードアと小杉はケージとともに、舞踏家マース・カニンガムのパフォーマンスにも長く加わっていた。
このような純粋な音響発生装置を用いた系譜のほかに、コンピュータ音楽(コンピュータ・ミュージック)の流れも見逃すことができない。ニューマン・グートマンの『銀の音階』(1957)以来、コンピュータによる合成音は複雑化の一途をたどっている。1970年代以降はコンピュータ内蔵の電子機器、パーソナルコンピュータなどが広く普及したため、コンピュータを介入させない「純粋な」電子音楽はむしろ稀(まれ)になっている。さらに、1970年代なかばのドラム・マシーン、リズム・ボックスの発明は、電子音楽とダンス・ミュージックを近づけることになり、1980年代のヒップ・ホップ、ハウスを経て、1990年代にはエレクトロニカ、テクノと総称される大きな動きに発展した。そのため、音響制作者としてのDJ(ディスク・ジョッキー)は、通常の楽器演奏家や作曲家よりも、かつての電子音楽作曲家に親近感を抱くようになった。
[細川周平]
『田中雄二著『電子音楽イン・ジャパン 1955~1981』(1998・アスキー)』▽『長嶋洋一著『コンピュータサウンドの世界』(1999・CQ出版)』▽『柴俊一著『アヴァン・ミュージック・ガイド』(1999・作品社)』
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[第3期 テクノロジーの導入]
第2次世界大戦後の第3期は,大きな様式転回の時期にあたり,バロック時代以降の西洋音楽の基本様式が根底から覆されつつある。〈具体音楽(ミュージック・コンクレート)〉や〈電子音楽〉の出現は,演奏家そのものの存在を否定し,ケージの〈偶然性の音楽〉の主張は,一定の意図と技法による作曲行為そのものを否定している。メシアン,ケージ,ブーレーズ,シュトックハウゼン,リゲティ,クセナキスといった第3期の代表的な作曲家たちは,戦後すぐに,第2次ウィーン楽派の〈十二音技法〉を出発点とし,そこからおのおのユニークな音楽思想を引き出して創作活動をつづけた。…
…またメシアンの《音色―持続》(1952),ブーレーズの《エチュードI・II》(1952)などの作品もある。 ミュジック・コンクレートは,機械的・電気的に処理され,録音テープに定着され,また演奏者不在の音楽という意味では,1950年に西ドイツのケルン放送局で実験が開始された電子音楽と似ているが,電子音楽は出発点においては抽象的な電気的に発生させた音を素材としており,その意味では伝統的な音楽における作曲行為の理念を継承しており,両者はまったく立脚する美学を異にしていた。しかし,50年代後半に入ると,シュトックハウゼンの《若者たちの歌》(1956)やL.ベリオの《ジョイス礼賛》(1958)のように,電気的に発生された音以外に具体音(上記2作では人声)をも素材とする電子音楽が数多く作曲されるようになり,依然として異なる美学を主張し,反発し合いながらも,両者の区別は実質上しだいにあいまいになっていった。…
※「電子音楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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