れい‐ざん【霊山】
※
権記‐長保三年(1001)二月四日「今日兵部大輔兼隆朝臣詣
二霊山
一、途中落馬」 〔
左思‐呉都賦〕
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デジタル大辞泉
「霊山」の意味・読み・例文・類語
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霊山
りようぜん
阿武隈高地の北部、霊山町と相馬市の境界に位置。標高八二三・五メートル。国指定史跡及び名勝。中腹以下の傾斜はゆるやかであるが、山頂付近は新第三紀初期の火山活動によって噴出した霊山層からなり、玄武岩・火山角礫岩・安山岩などの硬い岩層であるため、浸食に耐えて周辺より一段高いテーブル状の山容を呈する。とくに西側は浸食が進み、塔状の奇岩が連続する。北方に古霊山(七八二・五メートル、副霊山とも)がある。山上・山麓には円仁によって開かれたと伝える霊山寺の遺跡が残り、山名も同寺に由来するといわれる。また山頂一帯には、建武四年(一三三七)陸奥国司北畠顕家が義良親王を奉じて拠った霊山城跡がある。霊山一帯は霊山県立自然公園となっており、南麓にはこどもの村などのレクリエーション施設が設けられている。登山口には行合道口(南登山口)・大石口(西登山口)・玉野口(東登山口)などがある。
〔霊山寺〕
寛文五年(一六六五)の霊山寺縁起(霊山寺蔵)によると、貞観元年(八五九)円仁によって開かれたと伝える。
霊山
りようぜん
霊山は霊鷲山の略で、鷲山・鷲尾山ともいい、東山三十六峰の一。また同山付近の字名。
東は旧清閑寺村清水上山、南は清水門前一町目、西は八坂桝屋町、北は旧粟田口村花頂山につづく。現在は桝屋町及び清水三丁目より登り坂があり、山腹の正法寺に通じる。その北に幕末・維新の動乱に倒れた志士を祀る招魂場の京都神社がある。第二次世界大戦後、山麓(下河原町)にコンクリート製の霊山観音像もつくられた。
霊山
れいざん
伊賀町の東部に位置し、ほぼ南北に横たわる。布引山地の北端部を占め、標高七六五・八メートル。北方は加太峠を挟んで旗山(六四九・五メートル)・油日岳(六九四メートル)に始まる鈴鹿山脈が続く。「三国地志」に「霊山寺山、愛田・上村・下柘植共領、按山頂ニ古昔霊山寺廃址アリ(中略)今存スルモノハ、石階五十級岩窟ノ内ノ仏像ノミ、今ノ堂舎ハ十八丁麓ニアリ」とある。江戸時代山頂を含む東西五〇町、南北二〇町は愛田・上・下柘植三村の入会地であった(→下柘植村)。山頂は西方中腹にある霊山寺の奥院で、土塁をめぐらし石室を築いて、その中に青銅製聖観音立像(県指定文化財)が安置される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
霊山
りょうぜん
福島県北東部,伊達市中央部の旧町域。霊山 (825m) の西斜面にある。 1955年掛田町と石戸村,霊山村,小国村の3村が合体して霊山町が成立。 2006年伊達町,梁川町,保原町,月舘町と合体して伊達市となった。農業ではイチゴや野菜のハウス栽培,工業では弱電関係が盛ん。中心地区の掛田は中世懸田氏の城下町で,江戸時代以来生糸の産地として有名。霊山 (国の史跡・名勝) ,霊山神社があり,霊山県立自然公園に属する。
霊山
りょうぜん
福島県北東部,阿武隈高地の北部にある山。標高 825m。新第三紀の安山岩,玄武岩および花崗岩類の溶岩台地からなる。9世紀頃慈覚大師円仁が開山,霊山寺を建立。以来霊山と呼ばれる。今日でも根本堂,堂塔礎石がある。建武中興(1333~36)の際,義良親王を奉じて陸奥国府に下向した北畠顕家が陣地を張った地で,山頂に親王御在碑がある。山麓の霊山神社は北畠一族をまつる。霊山一体は国の史跡・名勝に指定されており,また霊山県立自然公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
りょうぜん【霊山】
福島県伊達市霊山町石田、霊山町大石と相馬市玉野との境にそびえる標高825mの山。玄武岩の熔岩台地であり、周囲を断崖絶壁に囲まれているため自然の城郭となり、南北朝時代に南朝の拠点として霊山城が築かれた。1934年(昭和9)に国の史跡および名勝として指定された。霊山は平安時代初期に第3代天台座主、慈覚大師円仁(794~864年)によって開かれ、天台宗の拠点として栄えた。南北朝時代の1337年(延元2)、北畠顕家(あきいえ)が義良(のりなが)親王(後の後村上天皇)を奉じて霊山城を築いた。奥羽地方における南朝方の一大拠点となり、陸奥国の国府が置かれた。1347年(正平2)に落城し、以後、歴史の表舞台から消えた。現在、山頂に国司舘(国府の役人の住居)の礎石が残っている。域内の日枝社観音堂は往時をしのぶ遺構である。霊山城跡へは、JR東北新幹線ほか福島駅から福島交通バス「行合道」下車、徒歩約1時間。
出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報
りょうぜん【霊山】
福島県伊達郡霊山町と相馬市にまたがる阿武隈高地北部の山。標高805m。国の史跡,名勝。中腹以下は花コウ岩からなり傾斜もゆるやかであるが,山頂付近は,新第三紀初期の火山活動によって噴出した霊山層からなり,火山角レキ岩,安山岩,玄武岩などの硬い岩層からできているので,浸食に抗し,周辺より一段高いテーブル状の山形をなしている。特に西側と南西側は浸食が進み断崖をなし,鷲岩,離岩,東の物見岩,西の物見岩などの塔状の奇岩が連なり,秋の紅葉期にはみごとな景観を呈する。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
普及版 字通
「霊山」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
世界大百科事典内の霊山の言及
【霊鷲山】より
…その頂が鷲の姿に見えることから,サンスクリットではグリドラクータGṛdhrakūṭa(〈鷲の峰〉の意)と呼ばれ,耆闍崛多(ぎしやくつた)と音写されるため,耆闍崛山(ぎしやくつせん)とも称される。霊鷲山は意訳で,霊山(りようぜん)とも略される。釈迦が説法した地として有名で,大乗経典の《法華経》《無量寿経》もここで説かれたとされる。…
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