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デジタル大辞泉
「露土戦争」の意味・読み・例文・類語
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露土戦争
ろとせんそう
Russo-Turkish Wars
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露土戦争
ろとせんそう
Russo-Turkish War
18〜19世紀にロシアとオスマン帝国との間で行われた一連の戦争
不凍港を求めて南下をめざすロシアの東方政策が主たる契機となって発生した。①1768〜74 ポーランドの民族主義者がオスマン帝国領内に亡命したことに端を発した戦争。1774年にキュチュク−カイナルジャ条約が結ばれ,両国の力関係においてロシアが優位に立ったことが国際的に明らかになった。
②1787〜92 前記のキュチュク−カイナルジャ条約によって,オスマン帝国の属国であるクリム−ハン国が,独立の名のもと事実上ロシアに併合されたことに端を発した戦争。オスマン帝国が大敗し,1792年のヤッシー条約で新たな譲歩を余儀なくされた。
③1877〜78 最も一般的に露土戦争の名で呼ばれるもの。スラヴ民族の統一と連合をめざすパン−スラヴ主義が高まるなか,1875年ボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族蜂起をオスマン帝国(トルコ)が弾圧したため,キリスト教徒(ギリシア正教徒)保護を口実にロシアが開戦。トルコの敗北で1878年,両国間でサン−ステファノ条約が結ばれたが,イギリス・オーストリアがこの条約に反対し,同年,ビスマルクの仲介でベルリン会議が開かれ,この条約を破棄して,新たにベルリン条約が締結された。
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ろとせんそう【露土戦争】
18~19世紀を通じて,ロシア帝国とオスマン帝国(トルコ)の間で戦われた一連の戦争。ロシア・トルコ戦争とも呼ばれる。不凍港を求めて,黒海からさらに地中海への南下を目ざすロシアの東方政策を主たる契機として発生した。この一連の戦争は,両国間の力関係および国際政治の推移に応じて,おおよそ次の四つの段階に分けることができる。(1)18世紀前半まで 両国の力関係はほぼ拮抗し,戦いは互角に進められた。(2)18世紀後半 ロシアのオスマン帝国に対する優位が決定的となり,オスマン帝国の黒海制海権が失われ,またロシアのバルカン進出が顕著となった。
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報