青森県は本州の最北端に位置し、東は太平洋、北は津軽海峡、西は日本海と三方を海に囲まれる。南接する岩手・秋田の両県を分つ脊梁山脈たる奥羽山脈が、そのまま県の中央部に張出して中央山地を形成し、県内を大きく東西の両地域に分ける。東は南部地方で、火山灰に覆われた台地や段丘が広く分布する。西は津軽地方で、広大な沖積平野と山地とが大部分を占めている。南部地方北端には山地とこれを取巻く台地とからなる下北半島、津軽地方北端には山地と丘陵とからなる津軽半島があり、この二つの半島は東西から陸奥湾を抱くようにして津軽海峡に突出し、北海道と相対する。
青森県の風土に大きな影響を与えているのは、冬の季節風による寒気・降雪と、夏の「やませ」(北高南低の気圧配置のときオホーツク海高気圧から吹きだしてくる偏東風)のもたらす霖雨・冷温とである。一般的には、南部地方は表日本型の気候、津軽地方は裏日本型の気候といってよいが、県の中部以北に東西を分つ脊梁山脈を欠いているため、気候はもう少し複雑な地域差をもっている。南部地方でもその北部では、冬は季節風が吹抜けるので津軽地方と同様に降雪が多く、逆に津軽地方でもその北部では、夏にやませが吹抜けるので南部地方と同様に気温が低い。このような青森県の風土は、その政治・経済・社会・文化のうえに大きな影響を与えてきた。
まずその位置であるが、青森県が本州最北端に位置することは、少なくとも日本列島に統一国家が成立して以降は、いろいろな面で不利な条件となった。日本列島を統合支配し、その後大陸の先進文化受容の先頭に立った政治集団は日本列島中央部の近畿地方に存在したから、そこから遠く離れた現在の青森県が、それだけ後進性を余儀なくされたことは否めないであろう。このことは政治の中心が江戸、東京に移った後も長く尾を引いている。また北に津軽海峡を隔てて北海道が存することも、青森県の歴史や文化に影響を与えている。アイヌ系の北方文化との関係はさておき、近世・近代に限ってみても、ロシアの南下に備えての松前警備は盛岡藩・弘前藩にとって大きな犠牲を強いたものであったし、また明治―大正期(青函航路貨車航送開始以前)には逆に北海道開発に伴って本州と北海道との連結地点として経済的利益を得たこともあったのである。
次に夏が短く冬の長い積雪寒冷地であることは、その位置と相まって青森県にとっては決定的に不利な条件となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
本州の最北端に位置する県。旧陸奥国北部,明治の分国後の新しい陸奥国を県域とする。1871年(明治4)廃藩置県により弘前・黒石・斗南(となみ)・七戸(しちのへ)・八戸の5県と館(たて)県(北海道松前地方)がおかれたが,9月弘前県に統合,同月末に県庁を弘前から青森に移して青森県と改称した。翌年旧館県を開拓使へ移管,76年二戸郡を岩手県へ移管して現県域が確定した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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