精選版 日本国語大辞典 「青砥稿花紅彩画」の意味・読み・例文・類語
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歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。5幕。河竹黙阿弥(もくあみ)作。通称「白浪五人男(しらなみごにんおとこ)」「弁天小僧(べんてんこぞう)」。1862年(文久2)3月江戸・市村座で、5世尾上(おのえ)菊五郎(当時13世市村羽左衛門)の弁天小僧、3世関三十郎の日本駄右衛門(にっぽんだえもん)、4世中村芝翫(しかん)の南郷力丸(なんごうりきまる)らにより初演。3世歌川豊国(とよくに)筆の役者見立ての錦絵(にしきえ)「白浪五人男」に着想した作である。別名題『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』。
序幕(新清水初瀬寺(しんきよみずはせでら))、二幕(神輿ヶ嶽(みこしがたけ))―盗賊弁天小僧菊之助は兄貴分の南郷力丸と組んで、信田(しだ)小太郎になりすまし、小太郎の許嫁(いいなずけ)千寿姫を誘惑、大盗日本駄右衛門に度胸を見込まれて輩下になり、赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)、忠信利平(ただのぶりへい)らとともに白浪五人男とよばれる。三幕(浜松屋店先、同蔵前)―弁天は武家娘に変装し、供侍に化けた南郷とともに、呉服商浜松屋で万引きしたとみせかけて強請(ゆすり)を働く。駄右衛門はわざと弁天の正体を見破り、浜松屋の主人幸兵衛の信用を得て、その夜大金を強奪しようとするが、はからずも、弁天は幸兵衛の実子、幸兵衛の息子は駄右衛門の実子とわかり、一同は因果に驚く。四幕(稲瀬川)―五人男の勢揃(せいぞろ)い。大詰(極楽寺(ごくらくじ)屋根、山門)―捕り手に囲まれた弁天は屋根の上で切腹し、駄右衛門は青砥左衛門(あおとさえもん)の手で縄にかかる。
初瀬寺の花見、神輿ヶ嶽の「だんまり」、極楽寺屋根上の立回り、大ゼリを使った山門など、題名どおりの錦絵美で一貫しているが、ことに「浜松屋店先」は、美しい娘姿の弁天があぐらをかき、肌を脱いで桜のいれずみを見せる官能美と、「知らざあ言って聞かせやしょう」の長台詞(ながぜりふ)で知られ、また「稲瀬川」の五人男のツラネも有名で、この2場だけの上演がとくに多い。弁天は、当時19歳だった5世菊五郎の出世芸で、以後尾上(おのえ)家の家の芸になり、近年では7世菊五郎の当り役。そのほか多くの人によって上演されている。
[松井俊諭]
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…曲亭馬琴作の読本《青砥藤綱模稜案(もりようあん)》(1811‐12刊)は,藤綱の名を借り,和漢の公事訴訟譚を基礎に推理小説風の展開で作品化,これには大岡裁きに共通する説話をも含む。歌舞伎では1852年(嘉永5)7月江戸市村座初演《名誉仁政録》(3世桜田治助作)や,前記《模稜案》の脚色作である1846年(弘化3)7月市村座初演《青砥稿(ぞうし)》(3世桜田治助作),また62年(文久2)3月市村座初演《青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)》(河竹黙阿弥作)などに登場,ある場合には大岡越前守の名をはばかって藤綱とすることもあったが,いずれにせよ事件の善悪理非を判断する〈さばき役〉として大団円に登場,また浄瑠璃《摂州合邦辻(せつしゆうがつポうがつじ)》(1773初演)の合邦が藤綱の子として描かれるなど,藤綱は庶民の守護神的性格を具備した為政者として理想化された。【小池 章太郎】。…
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