非戦論(読み)ひせんろん

精選版 日本国語大辞典 「非戦論」の意味・読み・例文・類語

ひせん‐ろん【非戦論】

〘名〙 戦争はすべきでないとする議論主張
万朝報‐明治三六年(1903)一〇月一三日「内村幸徳、堺の三氏、非戦論を唱へて朝報社を去る」

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デジタル大辞泉 「非戦論」の意味・読み・例文・類語

ひせん‐ろん【非戦論】

戦争をすべきではないとする議論・主張。反戦論

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百科事典マイペディア 「非戦論」の意味・わかりやすい解説

非戦論【ひせんろん】

特に日露戦争時の反戦・平和の主張をさす。1903年日露国交が緊迫化すると《万朝報》による理想団黒岩涙香幸徳秋水堺利彦内村鑑三は非戦論を展開。その後黒岩主戦論に転ずると3人は退社,幸徳,堺は平民社を創立して《平民新聞》を刊行社会主義立場から反戦を主張。内村は《聖書之研究》により非戦を訴えた。→反戦運動
→関連項目内村鑑三

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世界大百科事典 第2版 「非戦論」の意味・わかりやすい解説

ひせんろん【非戦論】

平和のために世界を挙げて軍備を撤廃し,戦争の絶滅を主張する考え方。一般に,〈非戦論〉とは日露戦争時に現れた,反戦運動のことを指す。運動としての非戦論は,1900年中国で起こった義和団蜂起に対し日本が出兵した際,幸徳秋水が〈非戦争主義〉(《万朝報》1900年8月7日)を書いて平和を説き非戦争を唱えたことに始まる。非戦論はその後,日露戦争開戦の危機の中で,人道主義的立場(黒岩涙香の《万朝報》,島田三郎の《毎日新聞》など),キリスト教的立場(内村鑑三柏木義円,救世軍など),社会主義的立場(幸徳,堺利彦,木下尚江ら)から展開された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「非戦論」の解説

非戦論
ひせんろん

日露戦争時に唱えられた開戦反対論。厭戦論も含めれば,幸徳秋水・堺利彦・片山潜・西川光二郎ら社会主義者,内村鑑三・柏木義円らキリスト教徒,歌人与謝野晶子らが代表的人物。幸徳・堺・内村らは新聞「万朝報」のちに「平民新聞」を拠点として非戦論を唱え,与謝野晶子は「君死にたまふこと勿れ」と題する歌をよんだ。しかし非戦論は少数,主戦論は圧倒的に多数で,日本の大半は主戦論に飲みこまれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「非戦論」の解説

非戦論
ひせんろん

明治時代,日露戦争に反対する主張
『万朝報 (よろずちようほう) 』が中心であったが,社主黒岩涙香 (るいこう) が主戦論に転じたため堺利彦・幸徳秋水・内村鑑三らは1903年退社。堺・幸徳らは『平民新聞』により社会主義の立場から,内村はキリスト教の立場から戦争批判を続けた。

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世界大百科事典内の非戦論の言及

【平民社】より

…日露戦争開始の危機にあたり,非戦論を核心として結成された社会主義結社。日清戦争後,日本の朝鮮進出と軍事力の強化の中で日露関係は切迫し,対露同志会や七博士の対露強硬意見書(七博士建白事件)が口火となり各新聞論調も挙国一致・主戦に傾いていった。…

※「非戦論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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