デジタル大辞泉 「革命」の意味・読み・例文・類語
かく‐めい【革命】
1 被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。フランス革命・ロシア革命など。
2 物事が急激に発展・変革すること。「産業
「
3 古代中国で、天命が改まり、王朝の変わること。
4
[補説]作品名別項。→革命
[類語](1)変革・維新・改新・改革・改変・改造・政変・事変・内乱・反乱・暴動・クーデター・世直し・有事・戦時・非常時・乱世・変・戦争・非常・
翻訳|revolution
( 1 )漢籍に見える語で、元来は「易姓」とともに王朝交替の意味。日本では幕末までこの原義に基づいて用いられたが、「孟子‐梁恵王・下」の「湯武放伐論」における「革命」の解釈をめぐり、「武力行使をともなう政権交代」という意味について江戸儒学者たちが議論しており、明治以降の②の用法の成立に影響を及ぼした。
( 2 )明治以後の革命は revolution の訳語として再生したとみるべきであろう。その訳語として「革命」を選んだのは、福沢諭吉と考えられている。
広義には、事物のある状態から他の状態への急激な変化一般を意味し、狭義には、国家権力の質的転換を伴う政治革命を意味する。近代的意味での革命revolutionは、ラテン語のrevolutio(回転、転じて変動を意味する)に由来し、日本語の「革命」は、中国の『易経』に「湯武革命、順天、而応乎人」(湯武命を革(あらた)むるや、天に順(したが)い、人に応ず)に依拠した儒教上のことば(「天命があらたまる」の意、易姓(えきせい)革命)で、明治以降、revolutionの訳語として定着した。広義の用法としては、産業革命、科学技術革命、エネルギー革命、エレクトロニクス革命、情報革命など、歴史的な事象の根本的変化や日常生活の広く急激な状況変動をさすものとして用いられており、スーパーマーケットの出現による流通革命、労働時間短縮と自家用自動車の普及に伴うレジャー革命などの用例にも転用されている。
狭義の革命としての政治革命も、それが徹底的なものであるならば、経済、法制度、文化、宗教、学問、芸術、言語、風俗、習慣などあらゆる社会領域での大変動へと波及しうるため(社会革命)、経済革命、文化革命、人間革命といった用法もしばしば使われている。資本主義社会において、資本所有者にかわり機能資本家=株式会社経営者が支配的役割を果たすことにより資本主義は変質したとするバーナムの経営者革命論は、経済革命の意味を込めたものであり、社会主義社会のもとでの人民の思想的変革(=人間革命)を独自の革命課題として設定し人為的に遂行しようと企図したのが中国の文化大革命であった。しかしこれらは、政治革命の含意を他の社会領域に拡大し適用したものであり、広義と狭義との中間的な用法というべきである。
[加藤哲郎]
狭義の革命とは、国家権力の質的転換を意味するが、これを単なる政治指導者ないし指導グループの急激な交代としてみる場合には、物理的強力を背景とした政治体制の成功的転覆と同義となり、「反乱」「反逆」「暴動」「一揆(いっき)」などの失敗例とは区別しうるが、「クーデター」や比喩(ひゆ)的用法である「宮廷革命」までが含まれてきて、適切ではない。国家権力の質的転換とは、単なる政権担当者ないしグループの交代にとどまるものではなく、政権担当者ないしグループが担っている社会経済的利害関係の根本的変化を意味するものであること、ないしはこれに準じて、権力の頭部である君主や執政者の交代ばかりでなく国家諸装置の全面的再編成をも伴う社会的政治的勢力関係の急激な変動、として理解さるべきであろう。
マルクス主義の革命理論は、この国家権力の質的転換の基礎に階級的性格の変化を据えることにより、精緻(せいち)な分析枠組みを提供している。すなわち、国家権力の質的転換とは、生産力と生産関係(所有諸関係)との矛盾に根拠をもつある階級から他の階級への国家権力の移行であり、この政治革命は、経済・社会・イデオロギーの全体的変革を意味する社会革命の端緒となり、社会構成体の移行の指標となる。この意味では、封建的支配階級から資本家階級(ブルジョアジー)への権力の移行であり封建社会から資本主義社会への移行の指標となるブルジョア民主主義革命と、ブルジョアジーから労働者階級(プロレタリアート)への権力移行と資本主義から社会主義への転化を含意するプロレタリア社会主義革命とに大別される(歴史的事例としては、前者の典型としての1789年フランス大革命、後者としての1917年ロシア十月革命)。また、これに準じて、支配階級内部でのある階級分派から他の階級分派への国家諸装置の全面的再編を伴うヘゲモニーの移動(たとえば、1830年フランス七月革命における土地貴族から金融ブルジョアジーへのヘゲモニー移動、1848年フランス二月革命での金融ブルジョアジーから産業ブルジョアジーへの移動)をも政治革命とみなすことができる。これに対して、同一階級ないし階級分派内での急激ではあるが単なる政権担当者の交代がクーデターないし宮廷革命であり、反乱、暴動、一揆などは、政治革命の端緒ないし背景となりうるとはいえ、権力ないし権力核での力関係移動に至らぬ抵抗諸形態となる。1989年の東欧革命、91年のソ連社会主義の崩壊にあたっては、一部にこれを「反革命」とする議論があったが、その後の共産主義政党の解体、資本主義的市場の再導入に照らして、「市民革命」「民主主義革命」とする見解が支配的であった。
[加藤哲郎]
P・カルバートの研究によれば、革命の概念は古代エジプトに起源をもち、(1)権威への挑戦、(2)支配者の打倒、(3)社会的解体、(4)権威濫用に対する反動、(5)憲法上の変化、(6)社会の再組織化、(7)発展の不可避的段階、(8)理想的秩序の永遠の属性、(9)心理的はけ口、といった含意を歴史的に付与されてきたという。しかし、国家権力の質的転換としての政治革命についての先の規定にたつならば、近代における諸革命、イギリスのピューリタン革命(1640~60)、名誉革命(1688)、アメリカの独立革命(1775~83)、フランス大革命(1789~99)、七月革命(1830)、二月革命(1848)、ドイツのベルリン・ウィーン三月革命(1848)、十一月革命(1918)、ロシアの第一革命(1905)、二月革命(1917)、十月革命(1917)、中国の辛亥(しんがい)革命(1911)、中国革命(1949、建国)、トルコ革命(1922)、スペイン共和革命(1931)、キューバ革命(1961、社会主義宣言)、イラン革命(1979)、東欧革命(1989)、ソ連解体(1991)などが、重要な事例となる。近代諸革命は、巨視的にみると、封建制から資本主義への移行を導いたブルジョア民主主義革命の段階から、資本主義から社会主義への移行を意味する社会主義革命の段階へと歴史的に転化してきたが、1989年東欧革命以後、現存社会主義の再資本主義化がおこった。ブルジョア民主主義革命の典型とされるのが、イギリスのピューリタン革命やフランス大革命であり、社会主義革命は、ロシア十月革命が典型的なものとされてきた。しかし、典型として扱われるこれらの革命も、1回きりの革命で旧来の政治的秩序を根底的に覆し新しい政治的社会的秩序をつくりあげたものではないことは、イギリスにおける王政復古と名誉革命、フランス大革命でのテルミドールの反動とナポレオン帝政から七月革命、二月革命への展開、ロシアにおける1905年の第一革命、17年二月革命の十月革命への先行、東欧革命における1968年の「プラハの春」、80年ポーランド「連帯」運動の存在、といった事例からわかる。また一国における革命が、その国家社会に内在する諸要因により惹起(じゃっき)するものであるとはいえ、他の諸国家との国際的連関のなかで展開され、他の諸国の革命に影響することは、フランス大革命の国際的影響や1848年革命の全ヨーロッパ規模での勃発(ぼっぱつ)、第一次世界大戦のなかからのロシア十月革命とドイツ十一月革命、1989年東欧における連鎖革命、といった事例からうかがえるし、資本主義の世界市場的発展と20世紀政治の国際化、テレビやインターネットによる情報の世界化は、とりわけ革命の国際的連関と世界戦争など対外的契機による権力移動の問題の重要性を浮き彫りにしている。
[加藤哲郎]
マルクス主義の革命理論は、その原因を社会の経済的構造における生産力と生産関係との矛盾に求めた。「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏(しっこく)に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激に、変革される」(マルクス『経済学批判』への序言)。しかしこれは、階級および階級分派間の対立・抗争の根拠ないし背景を述べたものであり、具体的な政治革命は、諸政治勢力間の同盟・連合と分裂・抗争関係のドラスティックな変容・再編と結び付いて惹起する。レーニンは、政治革命の条件を「革命的情勢」として提示し、その要件を、「〔1〕支配諸階級にとっては、いままでどおりの形で、その支配を維持することが不可能なこと。上層のあれこれの危機、支配階級の政策の危機が、亀裂(きれつ)をつくりだし、そこから、被抑圧階級の不満と激昂(げっこう)が爆発すること。革命が到来するには、通常、『下層』がこれまでどおりに生活することを『のぞまない』だけでは足りない。さらに、『上層』が、これまでどおりに生活することが『できない』ことが必要である。〔2〕被抑圧階級の欠乏と困窮が普通以上に激化すること。〔3〕上記の諸原因によって、大衆の諸活動が著しく高まること」の3点としている。これらは、近代の諸革命の歴史的経験にほとんど当てはまるものであり、とりわけ対外戦争による政治的激動、人心の不安、敗戦による混乱は、「革命的情勢」形成の好個の条件であった。
しかし、「革命的情勢」は、政治革命の客観的条件をしばしば構成するとはいえ、無政府状態や反革命にも結び付きうるものであり、この客観的条件が政治革命に至るためには、主体的条件、変革を志向する政治勢力の形成と指導の問題が決定的意味をもつ。階級的・階級分派的諸利害をもつ諸政治勢力は、革命的情勢下で、通例、(1)革命を徹底的に遂行しようとする急進派、(2)旧体制を維持し復活しようとする保守反動派、(3)革命を妥協的譲歩内にとどめようとする穏健派、に分裂する。フランス大革命のジャコバン派やロシア革命でのボリシェビキ党は急進派の典型であり、この急進派が、穏健派を含む人民大衆にどれだけ革命の必要性と正統性を訴え、大衆の政治的エネルギーを持続させ、決定的局面でもヘゲモニー的指導を貫徹しうるかによって、おおむね革命の帰趨(きすう)は決せられる。ドイツの十一月革命は、スパルタクス団などの急進派が指導権を貫徹しえず、穏健派の社会民主党などによる妥協的変革に帰結した一例である。
また、革命権力の成立後も、保守反動派による反革命の危険が残り、他方で急進派は、政治的勢力関係の変化や大衆の政治的成熟の度合いを見失った「行きすぎ」に陥りがちなことも、フランス大革命でのジャコバン派、レーニンの「戦時共産主義」の例にみられたところである。革命権力を握った政治勢力のヘゲモニーと指導の水準は、国家諸装置の再編成をどこまで貫徹しうるかに、もっともよく現れる。旧来の軍隊・警察など軍事的強制力をいかに解体し新秩序の安定性を確保しうるか、土地改革や産業統制・国有化など生産力発展の基礎をいかに再組織しうるか、新しい革命権力の正統性をいかなる法制や代表制で担保していくか、などの問題がここでの焦点となる。
政治革命は、巨視的には社会構成体の移行をももたらしうる国家権力の階級的性格の変化とみなしうるが、政治過程に即していうならば、さまざまな階級的・階級分派的利害を担った諸政治勢力間の同盟―対抗関係の劇的な再編であり、国家諸装置の再編のあり方のなかに、革命諸勢力のヘゲモニーと指導の水準が凝集されていくものとみなすことができる。
[加藤哲郎]
ブルジョア民主主義革命とプロレタリア社会主義革命というマルクス主義の古典的2類型は、社会構成体移行の画期をなすイギリス革命、フランス大革命、ロシア革命のような場合について意味をもつが、近代の歴史的諸革命の経験と現代における革命のあり方を考えると、異なる視角が必要となってくる。イギリスのピューリタン革命も、フランス大革命も、土地貴族の政治支配からの排除や普通選挙に基礎を置く民主的議会・代表政府の確立をただちにもたらすものではなかった。ロシアの十月革命も、ブルジョア民主主義革命としての二月革命の社会主義革命への強行的転化として位置づけられているが、当時のロシアは圧倒的に農民の国であり、社会主義革命で成立した「プロレタリアートの独裁」も具体的には「労農民主独裁」とよばれる階級同盟的性格をもっていた。1979年イラン革命は「近代化」に反対する宗教革命の性格をもっていたし、89年東欧革命は労働者・市民が自由と民主主義を求めた「反共産主義革命」であった。
そもそもプロレタリアートや農民は、ブルジョア民主主義革命においてもブルジョアジーの同盟者として封建支配に対抗する一翼をなしてきたし、生産的肉体労働者としてのプロレタリアートのみによる社会主義革命などというものは歴史的に存在したことがなく将来もありえないであろう(このことは、労働者階級概念として何を意味するかとも関係する)。ブルジョア民主主義革命とプロレタリア社会主義革命という類型は、その政治革命を境にした社会経済的秩序(社会構成体の性格)のマクロ的変動を意味するものである。しかも近代資本主義の世界史的発展と諸革命の歴史的経験は、一方で徹底した政治革命を経ることなきブルジョア化(後発資本主義国ドイツや日本での「上からの革命」)を経験し、他方で、反ファシズムを主要な内容として多くはソ連の援助により樹立された東欧諸国の人民民主主義革命、反帝反封建の民族統一戦線を基礎とした中国の新民主主義革命など、伝統的類型化にかならずしも合致しない新たな革命類型が存在した。主として西欧近代の経験から漠然と西欧から東洋へと波及するであろうと考えられてきた革命の世界史的展開行程、「一国革命と世界革命」「民族革命と階級革命」「先進国革命・中進国革命・後進国革命」といった諸民族=国民の革命の連鎖の図式も、イスラム原理主義派が「近代化」に抵抗したイラン革命、現存社会主義を崩壊させた東欧「民主主義革命」の出現によって、理論的再考を迫られた。「革命的情勢」のメルクマールや革命の具体的形態についても、後発資本主義国でのなし崩し的な「上からの革命」「受動的革命」の経験にかんがみて、第二次世界大戦後にようやく広く承認されるようになった「暴力革命と平和革命」という類型とともに、「反受動的革命」「陣地戦革命」「合意による革命」など、長期にわたる「下からの革命」の諸条件と主体形成、革命と改革ないし改良の関係、政治革命と経済革命・文化革命との関係、丸山真男(まさお)のいう「民主主義の永久革命」などが、現代的問題となっている。1968年のチェコスロバキア「プラハの春」や80~81年のポーランド「連帯」運動を受け継いだ、89年東欧連鎖革命の経験は、階級ないし階級分派間の権力移動としてよりも、民主主義的政治主体形成の視点からの新たな革命概念を要請している。
[加藤哲郎]
『マルクス著、村田陽一訳『フランスにおける内乱』(大月書店・国民文庫)』▽『レーニン著、宇高基輔訳『国家と革命』(岩波文庫)』▽『C・ブリントン著、岡義武・篠原一訳『革命の解剖』(1952・岩波書店)』▽『P・カルヴァート著、田中治男訳『革命』(1977・福村出版)』▽『上田耕一郎著『先進国革命の理論』(1973・大月書店)』▽『ハンナ・アレント著、志水速雄訳『革命について』(1975・中央公論社)』▽『J・ダン著、宮島直機訳『現代革命の系譜』(1978・中央大学出版部)』▽『加藤哲郎著『東欧革命と社会主義』(1990・花伝社)』
革命という言葉は,古代中国の《易経》に見え,天命があらたまって王統が交替することを易姓革命といった。今日ではこの語は,ヨーロッパ諸語の社会的・政治的意味での言葉の訳語として用いられる。ラテン語のレウォルティオrevolutioは本来回転を意味し,それに由来するたとえば英語のrevolutionは,もとは回転ないし天体の運行を意味した。この語が政治的用語として登場するのは17世紀のことであるが,その比喩的な意味はこの言葉のもともとの意味に近く,政治が以前確立されたある秩序に回帰することを意味した。すなわち,17世紀中葉以降のいわゆるイギリス革命において,この言葉は,クロムウェルの最初の革命的独裁の樹立についてではなく,1660年の王政復古,ついで1688年の名誉革命について用いられた。つまり今日的意味での革命としてではなく,君主の権力が以前の正義と栄光を回復したものと考えられたのである。
近代的な革命の概念,すなわち社会の全面的変革による突然の新しい歴史過程の展開というそれは,18世紀末の二つの大革命,つまりアメリカ独立革命とフランス革命,とくに後者によってもたらされた。しかしその際にも,革命の当事者たちは,少なくともその当初局面においては,革命=復古と考えていたのであって,これらの革命は彼らの意図を乗りこえて,新しい意味を獲得していったのである。もう一つ注目すべきことは,フランス革命において,天文学的なレボリューション概念に〈回転〉とともに含意されていた〈不可抗力性〉の概念が,政治的に転義されて一方的に強調されるようになったことである。1789年7月14日の夜,ルイ16世が〈これは反乱だ〉と叫んだのに対し,リアンクール公爵が〈いいえ陛下,これは革命です〉と訂正したという挿話はこのことを物語る。革命のこの〈不可抗力性〉の概念は,19世紀になると,絶対者は歴史的過程を通じてあらわれるとするヘーゲルの歴史哲学を通じて〈歴史的必然〉という観念に鋳直され,マルクスをはじめとする19世紀,20世紀の革命家たちに直接的影響を与えたのである。革命は〈政治権力の根本的変革を中心とする社会の大変動〉というふうに定義されて,同一支配関係内部における権力担当者ないしグループの交替としてのクーデタなどと区別される。また〈産業革命〉など革命という語の比喩的な使用例も,上述したようなレボリューション概念の近代的な意味論的転換とその含意を前提にしている。
上述の意味での革命こそが近代および現代の革命理論および革命に関する理論の主題を構成するが,この主題は,革命の定義を前提として,革命はなぜおこるかというその発生論ないし原因論,革命の政治過程の分析,革命の経済的・政治的・社会的帰結ないし意義の評価などに分節化されうる。そしてこれらのすべてにわたって,相対的にもっとも首尾一貫した説明を準備すると同時に,少なくとも現代の革命に対してもっとも大きな実践的インパクトを与えているのは,マルクス主義,なかんずくマルクスとレーニンの革命理論である。そこで,それを中心として上述の諸問題について概観しよう。
マルクスの《経済学批判》の序言によれば,〈社会革命の時期が始まる〉のは,既存の生産諸関係-所有諸関係がその胎内で発展してきた社会の物質的生産諸力と矛盾するようになり,その桎梏(しつこく)に転化することによってである。〈経済的基礎の変化とともに,巨大な上部構造全体が,あるいは徐々に,あるいは急激にくつがえる〉。このような矛盾の激化が階級闘争を先鋭化させ,国家権力の旧支配階級から新支配階級への〈移動〉,後者による前者の権力の打倒と後者の新権力の樹立としての〈政治革命〉をもたらすとされる。
以上のような革命に対する古典的マルクス主義のアプローチを前提としつつ,より高次の資本主義の発展段階=帝国主義段階において,しかも相対的中進国であるロシアにおける革命を成功裡に指導することによって,現代の革命理論に大きな寄与をなしたのがレーニンであった。レーニンのこの点での貢献は多岐にわたるが,その中でもとくに重要なのは,帝国主義戦争の不可避性を見通したうえでの,〈帝国主義戦争を内乱へ〉のテーゼ,〈帝国主義のもっとも弱い環〉における革命勃発の予見とそこにおける労農同盟を基礎としたブルジョア民主主義革命のプロレタリア社会主義革命への強行転化の戦略,さらに革命の目的意識性と組織性とを体現する〈前衛党〉の理論などである。レーニンの革命理論は,彼の創設したコミンテルンをとおして,全世界的に,つまり発達した資本主義諸国のみならず,植民地,従属国,今日の発展途上国における革命の戦略・戦術にも巨大な影響を与え,また陰に陽に与えつづけている。
革命の直接的きっかけとなるのは,戦争(とくに敗戦),恐慌,統治階級の大失敗などであるが,その背後にあるのは,社会諸階級や諸階層の間の緊張・対立・抗争が高まり,旧社会,政治秩序が全体的にあるいは部分的に崩壊するという状況である。これを〈革命的状況〉という。この状況においては,旧政治権力の社会的基盤は変質・動揺し,その倫理的正当性と社会的妥当性は失われ,そのため支配層は大衆の革命的高揚を抑圧するためにむき出しの暴力に訴えることが多い。しかしこのような状況自体は必ずしも革命をもたらすとはいえず,無政府状態や反革命的独裁を導く可能性もある。この状況が革命に導かれるためには,大衆を革命的行動に組織化し動員することのできる革命の指導者ないし指導集団の存在が不可欠である。彼らが,大衆の革命的な組織化と動員に成功して旧権力を打倒(解体)し,新権力を樹立するとき,ここに革命が成立する。革命指導者による権力奪取は暴力的形態をとることも(暴力革命),とらないこともありうるが(非暴力的移行),そのいずれにしても,旧権力の最後の切札としての軍隊,警察等の暴力装置が動揺しており,最小限,旧権力の意のままには革命勢力抑圧のために動員されえないという条件が不可欠である(軍隊等が政治的中立を守る場合もあるし,組織的に解体状態にある場合もある)。
革命の成立後,革命指導者ないし指導集団は新しく樹立された権力の中核を構成し,その支配を政治的,行政的,軍事的に編成するとともに,その支配の倫理的正当性を宣伝し,また革命権力の支持層に対して一定の精神的・物質的諸価値を配分することなどを通じて,その支配の社会的妥当性を確立しようと努力する。このようにして,新権力の支配が政治的安定性を確保するとき,革命状況→旧権力の打倒と新権力の樹立→新権力の組織的・倫理的・社会的強化といった革命の政治過程はひとまずその幕を閉じる。
17世紀中葉のイギリス革命,18世紀後半のアメリカ独立革命,フランス革命以降の近・現代の革命の歴史を概観すると,1917年のロシアにおける社会主義革命(ロシア革命)が一つの分水嶺をなしている。それは,それ以前の革命が欧米を中心とする〈ブルジョア民主主義革命〉の範疇に属し,これに対してソビエト革命が史上最初の〈プロレタリア社会主義革命〉であって,その影響がコミンテルンの活動を通じて全世界,とくにアジアその他の〈第三世界〉にまで及んでいるという点につきるものではない。レーニンの〈前衛党〉理論や精緻な革命の戦略・戦術論の影響もあって,20世紀における革命はより目的意識性・組織性を強めているといってよい。ただ革命の形態論という点では,ごく最近まで暴力革命論が主流を占めてきたが,最近,先進諸国のいくつかの共産党は,社会主義への民主主義的移行の道という一般路線との関連で,議会の多数を通じての〈平和的移行〉を模索している。
執筆者:田口 富久治
政治権力と社会制度の根本的変更による大規模な社会変動,すなわち政治革命を意味する狭義の革命に対して,社会生活のそれぞれの分野および総体において生ずる比較的に急速,広範かつ根本的な変動を意味する広義の革命がある。たとえば,支配的な既成教会に対抗して新しい教義をかかげ,新しい宗教秩序をつくろうとする諸セクトによる宗教革命,あるいは機械的動力による工場制システムを拡大していく産業革命,あるいは禁欲倫理から性を解放し女性解放をすすめる性革命,あるいは社会秩序と個人の自我を支えている基本的価値が根本的に変化する文化革命など。このような諸革命は自然発生的に進行し拡大していく場合もあり,特定の諸集団や諸運動によって計画され動員される場合もある。通常は両方が混在している。
さまざまな生活分野の革命は相互に影響しあい複雑に進展していく。概していえば,主として内発的に諸革命を遂行して近代化してきた先進国の場合と,第三世界にみられるように,外圧の下で急速に近代化を達成しようとしている発展途上国の場合とでは,諸革命の相互の関係は異なっている。欧米先進国の近代化においては,前近代の都市生活の中で育成された市民意識と産業は,プロテスタンティズムの宗教革命を通じて強化され,合理的な経済倫理と結びつき,ついで政治革命をへて,資本主義的な産業化への離陸(テイク・オフ)の準備をし,やがて産業革命と労使関係の制度化を推しすすめて,市民的な産業社会をつくりあげた。それに対し,第2次世界大戦後の発展途上国の近代化においては,軍隊エリートと都市知識人を指導層とする政治革命が先行して,外圧の下での危機に対処しながら,自国の伝統的文化のある部分を強調し復興させる宗教運動(復興運動,リバイバリズム)などによってナショナリズムを強化し,社会を団結させ,政治主導型の産業化をすすめて,急速な近代化を達成しようとしている。先進国にせよ発展途上国にせよ,革命という名に値する大規模な社会的・経済的変動が,人々の日常生活にまで波及して根をおろすためには,価値体系と生活様式と生活意識の根本的変化が人々の間で実現していなければならない。この種の根本的変化が文化革命であり,個人の内面からみるならば,意識革命と呼ばれるものである。今日の先進国は産業社会から脱産業社会への移行期にあるといわれている。とすれば,この移行期に,なんらかの文化革命と意識革命が,すでに部分的にしろ進展していると考えられる。
どんな社会にも,基本的価値,いいかえれば文化の主題というものがある。産業社会の基本的価値ないし文化主題は,生産至上主義と成長指向であった。近代化の中で,すべての世代と階級は生産の拡大を目ざして活動してきた。生産を合理的に高めることに貢献する徳目,たとえば,規律,禁欲,能率,組織性,業績指向,創意工夫,成功などが賞賛されてきた。これらの徳目はまた貧困と失業を克服するためにも活用されてきたし,政治的権利や自由を獲得するために人々が運動組織をつくる場合にも活用されてきた。経済や政治に貫徹している文化主題は,機械や組織といった合理的手段を用いて能率的に活動し,目的を達成することであった。産業社会はこのような文化主題に支えられ,豊かさをつくりだした。ところが,豊かさは消費と余暇活動を拡大することによって生産至上主義からの離反傾向をうみだすとともに,公害や自然破壊や人間疎外をもたらしたことによって,生産至上主義への批判を助長することになった。1960年代後半に先進産業社会でおこった若者の反乱,大学紛争は,産業社会の危機意識を象徴していた。この危機意識は二つの要求をもっていたといえる。ひとつは,産業社会の内部に残っている差別と後進部分を克服するために市民革命を徹底せよ,という要求である。いまひとつは,産業社会がもたらしたマイナスの結果に対して,産業社会の文化主題そのものを根本的に変えることを目ざす〈脱産業社会への文化革命〉の要求である。産業社会では専門職のテクノクラシーによる能力主義的管理が有力であるのに対して,〈管理からの自由〉を求める反管理革命が呼号され,機会の平等ではなくて〈結果の平等〉こそ社会的公正であると主張され,総じて人間解放ということがスローガンになる。文化革命は意識革命を伴うので,しばしば〈自己否定〉というところまでゆく。このような文化革命の要求をもつ青年世代と,産業社会の文化主題を身につけた年長世代との間には,激しい世代闘争が生ずる。産業社会から脱産業社会への移行は両者の文化主題の間の対立闘争によって特徴づけられる。先進産業社会で世代闘争が激化したと同じ時期に,中国では文化大革命の名の下に,旧意識を一掃して社会主義を発展させるための〈階級闘争〉が紅衛兵を先鋒にして動員されたが,中国社会が不可欠とする生産拡大の要求と文化大革命の要求とが矛盾する結果になったとみられている。
執筆者:塩原 勉
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広くは突然の大変革をさすが,ふつうは政治革命,社会革命をさす。政治革命は従来の政治権力の打倒,新しい権力の樹立を意味する。社会革命は,従来の支配階級が打倒され,被支配階級が国の主人公となるような所有関係,生産関係の面での大変革を意味する。社会革命は必ず政治革命によって実現されるが,政治革命は必ずしも社会革命であるとは限らない。中国では命(めい)すなわち「天命」を「革(あらた)める」ということで,王朝の交替をさす。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…易姓は,ある姓の天子を廃止して別の姓の者が天子の位につくこと。革命とは,天命が革(あらた)まること。姒姓の禹が始めたのが夏王朝であるが,桀王に至って無道をはたらいたため,殷(子姓)の湯王は武力によってこれを追放し,代わって天子の位についた。…
…通常,O.クロムウェルの共和政治崩壊後のイギリスにおけるスチュアート朝のチャールズ2世の即位,ナポレオン1世没落後のフランスにおけるブルボン朝のルイ18世の即位,および日本の明治維新,以上三つの歴史的事例をさすことが多い。英仏の場合,旧王政を支えていた貴族や僧侶らを中心とする〈王党派〉勢力の存在,また王朝が体現する伝統の権威の存続が,〈復古〉実現の条件となっていたが,旧王政(絶対主義王政,アンシャン・レジーム)を打倒した〈市民革命〉後の社会においては,ブルジョアジー等の新勢力の台頭,および合理主義的思考の発展に伴う伝統の権威の低下のゆえに,文字どおりの旧体制の〈復古〉は困難となる。そこでなんらかの形で〈立憲主義〉を加味した統治による再建が図られるが,英仏いずれの場合も,まもなく,反動化を進めたすえに再び打倒されるにいたる(名誉革命,七月革命)。…
…最高権力者の変更が非合法的に,たとえば暴力的におこなわれるが,統治組織には変更が加えられない場合も,通常クーデタと呼ばれる。 (3)は既存のとくに階級的支配関係が変革される場合で,これを〈体制変動〉ないし端的に〈革命〉(あるいは〈反革命〉)という。革命は既存の支配体制の根本的変革であり,政治権力の,ある階級ないし階級分派から他の階級ないし階級分派への移動であるから,通常(1)および(2)の意味での政治変動をともない,またそれは生産諸関係の巨大な変動の結果であったり,起動因となることが多い。…
…太平天国の運動から孫文の初期の反清運動において,反権力を表す言葉としては,〈光復〉〈起義〉とともに〈造反〉の語が使われ,反権力の態度がそこに示された。反権力の運動を表現する〈革命〉(この語自体は《易》に由来する古い中国語)の語が中国の反体制運動に使われたのは,孫文(逸仙)が,1895年(光緒21)広州での蜂起に失敗し,日本に亡命したとき,当時の日本の新聞が〈支那革命党首領孫逸仙来日〉と報じて,孫文がみずからの反体制運動の組織を〈革命党〉と自覚,自負したことに由来するといわれる。ところで,1939年,毛沢東はスターリン60歳誕生日の祝辞で,マルクス主義の要諦は〈造反有理(造反には道理がある)〉につきる,と述べて,この言葉本来の価値観を積極方向に逆転させた。…
…革命に反対する運動であり,狭義には,革命によって打倒された旧体制が復古をはかる場合をいうが,広義には,現に政権を握っている勢力が革命勢力の勃興を妨げるために諸措置を講じる場合をもいう。前者の成功例では,イギリスのピューリタン革命に対するチャールズ2世の復活による王政復古(1660),フランス革命後のブルボン王朝の復活(王政復古,1814),ドイツ三月革命に際して生まれたフランクフルト憲法議会の弾圧(1849),ブルジョア政府軍によるパリ・コミューンの弾圧(1871),ハンガリーのベーラ・クン革命政権の打倒(1919)などがある。…
※「革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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