精選版 日本国語大辞典 「項羽」の意味・読み・例文・類語
こう‐う カウ‥【項羽】
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中国、秦(しん)・漢交替期に現れた群雄の一人。名は籍、羽は字(あざな)。楚(そ)の将軍の家柄を引く貴族的階層に属するといえよう。羽は叔父の項梁(こうりょう)に教育を受け、会稽(かいけい)郡(江蘇(こうそ)省)に居住していたが、陳渉(ちんしょう)の反乱に乗じて秦に背いた。梁の戦死後、羽は諸将のリーダーとなり、秦の章邯(しょうかん)を破って関中に入り、秦の王、子嬰(しえい)を殺して咸陽(かんよう)を焼いた。やがて楚の懐(かい)王を推戴(すいたい)して義帝とし、自らは西楚の覇王と称した。このとき部下18名を王に封じている。封建体制の復活である。漢の高祖劉邦(りゅうほう)は王に封ぜられず、不満を抱いて羽に反旗を翻した。双方の戦闘はしばしば繰り返されたが、義帝を擁立し、つごうで殺した項羽に大義名分が失われたので、しだいに高祖が優勢となった。もっとも高祖の部下の王陵の批評に、項羽は礼儀正しいが功臣に褒賞をやるのを渋り、高祖は無礼だが物惜しみをしないといっている。こんなところに項羽の敗北の遠因があったかもしれない。この覇権争奪は郡県か封建かをめぐる争いであり、羽の敗北は歴史上一つの画期となった。羽は保守的立場にあったが、伝えられる悲劇の英雄像は民衆の封建制に対する挽歌(ばんか)ともいえよう。最後の決戦となった垓下(がいか)の敗北ののち死んだ項羽は、いまだ31歳であった。
[好並隆司]
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前232~前202
秦末の楚(そ)の武将。名は籍。下相(かそう)(江蘇省宿遷(しゅくせん)県)の人。前209年叔父項梁(こうりょう)と楚兵を率いて挙兵,劉邦(りゅうほう)とともに秦を滅ぼし,覇権を握った。ついで劉邦と天下を争い垓下(がいか)の戦いに敗れて自殺した。項羽は戦国旧諸侯の代表的勢力であった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…劉邦は,豊邑ついで碭(とう)郡を本拠としつつ,反秦活動をくりひろげた。陳勝・呉広が戦死したあとは,項羽・項梁と同盟を結んで秦軍に相対した。項羽が擁立した楚の懐王から,前207年,碭郡長をさずけられ武安侯に封ぜられた。…
…秦末(前3世紀)の史実にもとづく。覇王項羽は,漢王劉邦の大軍に垓下(がいか)で取り囲まれた。四面楚歌――張良の歌声作戦にかかり,今やこれまでと思った項羽は,愛姫虞美人と最後の宴をはり,悲歌慷慨して〈力,山を抜き,気,世を蓋(おお)う。…
※「項羽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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