精選版 日本国語大辞典 「顧愷之」の意味・読み・例文・類語
こ‐がいし【顧愷之】
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生没年不詳。中国、東晋(とうしん)の画家。字(あざな)は長康。江蘇(こうそ)省無錫(むしゃく)の人。義煕(ぎき)年間(405~418)の初めごろ散騎常侍となったのち、まもなく62歳で没したという。建康(南京(ナンキン))の瓦官寺(がかんじ)の壁面に維摩(ゆいま)図を描いて名声を得た。歴史始まって以来といわれたほどの天才で、ことに肖像画、人物画に秀でていた。彼は「人物画を描くのはとくにむずかしい」といい、問題は形態や、明暗や、筆跡など表面的な技術にあるのではなく、対象となるものの奥に潜む精神をいかに描き出すかにあるとした。『論画』や『画雲台山記』などの画論も伝わっており、その絵画思想をうかがい知ることができる。大英博物館所蔵の『女史箴図(じょししんず)』は顧愷之の作とされるが、唐代の模写とする説が有力である。
[吉村 怜]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
344頃~405頃
東晋の文人画家。江蘇省無錫(むしゃく)の人,人物画を多く描き,また神仙思想にもとづいた山水画を描いた。唐代の模本と思われる「女史箴図」(じょししんず)が残っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…また,遠いものを近いものでさえぎる浮彫的な扱いも,遠近の意識を示している。中国絵画において遠近大小の関係について関心が深まるのは,南北朝時代の4世紀後半からであって,顧愷之の《画雲台山記》には〈蓋(けだ)し山は高くして人は遠きのみ〉とあり,遠くのものは小さく,近くのものは大きいという意識を示している。また5世紀の宗炳(そうへい)の《画山水序》は,枠に絹を張って風景を透かして見て,その上に絵を描く法を説いており,透視画法の先駆とされている。…
…漢の博山炉もこのようなイメージの系譜につながるであろう。古い神話的イメージは老荘の思想や説話の中にある程度保存されているが,老荘の哲学が流行した東晋には,顧愷之(こがいし)が〈雲台山記〉で三山構成の霊山表現を示した。次いで南朝の宋に入って老荘の哲学が退潮し,その母体となった山水が文学的に豊かに表現されると,宗炳(そうへい)が〈画山水記〉で神仙の眼を借りた写実的な山水表現の方法を示した。…
…このような外見上の写実と内面への迫真を〈伝神写貌(でんしんしやぼう)〉と称し,肖像の価値判断の基本概念を成立させたのである。顧愷之は〈伝神とは精神を伝えることであり,写貌はそのための手段である〉とし〈眼は心の窓〉として,真なるものを表現するためには〈点眼(てんがん)〉(瞳を描き入れること)を肖像画制作第一の課題とした。 精神的なものの理想的な表現形式は正面性である。…
…張華は女史による箴言という体裁をとることによって恵帝の賈后一族の専権を風刺しようとしたといわれる。現在大英博物館に所蔵される作品は東晋の顧愷之(こがいし)の原画を唐代に模写したものとされる。ただ,《女史箴》前段に対応する樊姫・衛姫などをかいた部分は失われ,前漢元帝のときの馮婕妤(ふうしようよ),成帝のときの班婕妤の逸話に対応する部分から始まっている。…
…それらは勧戒の意はもちろん,各朝においては尊崇の意をこめたものでもあり,軸物は寺観などに別に場所を設けて掲げ礼拝の対象とされた。ただ,聖賢図・名臣図などをも含めた勧戒画が中国人物画の主題として重要であったのは,《晋帝相列像》をかいた顧愷之(こがいし),《梁武帝像》をかいた張僧繇(ちようそうよう),あるいは《秦府十八学士図》の制作に当たった閻立本らに代表される漢から六朝・隋・唐時代までであり,宋代以後は人物画に取ってかわる山水画の隆盛とともに勧戒画はしだいに振るわなくなっていった。現存する〈帝王図〉の多くも無名画家の制作になるものである。…
…中国絵画における肖像画の本質をいう用語。東晋の顧愷之(こがいし)の〈論画〉にみられ,人物画の模写を論じて,形をもって神を写すとき,実対すなわち実際にその人物と向きあっているという感じを失うと生をとらえることができず,伝神もうまくゆかぬ,実対し通神することが人物画の要諦だという。伝神とは写実によってその人物の形姿のみならず精神までもとらえることである。…
…勧善懲悪的な実用性もあり,宋代以降の鑑賞的な山水画に主導権をゆずるまで,絵画の中心的存在であり,多くの著名作家がここに集中している。六朝に顧愷之(こがいし),陸探微,張僧繇(ちようそうよう)らが道釈画家として輩出したのは,老荘思想や仏教の流行と呼応するが,彼らは同時に人物画の名手でもあった。唐代には呉道玄が出現し,唐都長安,洛陽のおもな寺観でほとんど独占的な制作を行った。…
…裴孝源(はいこうげん)《貞観公私画史》によれば,曹植から100年ほど下る東晋の明帝の制作になる《洛神賦図》が初唐の時点で存在していたという。現存するものの多くは,しかし,さらに降る東晋の顧愷之(こがいし)との伝称をもち,北京故宮博物院に2点,遼寧省博物館,ワシントンD.C.フリーア美術館に各1点所蔵されているのを挙げることができる。そのいずれも宋(960‐1279)の時代の模本とされるが,六朝最大の画家である顧愷之の作風を考えるうえで不可欠のものである。…
…伝説の軒轅(けんえん)時代から841年(会昌1)までの絵画について記した最初の本格的画史書で,《図画見聞志(とがけんぶんし)》以下の後世画史の範となった。前3巻は通論に当たり,絵画の源流,興廃,六法,山水樹石,師資伝授,顧愷之(こがいし)・陸探微・張僧繇(ちようそうよう)・呉道玄の四大家の用筆,品第,鑑識,表装などについて述べ,さらに当時の長安と洛陽の寺院道観の壁画を記録する。また後7巻は画人伝で,史皇から王黙にいたる373人の画家について時代を追って記す。…
※「顧愷之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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