日本大百科全書(ニッポニカ) 「風見章」の意味・わかりやすい解説
風見章
かざみあきら
(1886―1961)
政治家。茨城県豊田郡水海道(みつかいどう)(常総(じょうそう)市)生まれ。1905年(明治38)早稲田(わせだ)大学入学、杉浦重剛(すぎうらしげたけ)の称好塾へ入る。1913年(大正2)大阪朝日へ入社。国際通信、信濃(しなの)毎日と記者生活を送る。1928年(昭和3)第1回普通選挙に立候補するが落選。1930年に初当選、民政党に所属。1932年国民同盟に参加、1936年脱退し無所属となる。1937年第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣書記官長となり、日中戦争に対し不拡大派として活動する。1940年第二次近衛内閣では法相として新体制運動を推進するが5か月で辞任。1942年翼賛選挙では出馬せず、農夫となる。第二次世界大戦後、公職追放となり、1951年(昭和26)解除。1952年衆議院議員当選。当初無所属であったが、憲法擁護国民連合や、日中・日ソ国交回復国民会議の結成などに尽力し、1955年左派社会党に入党。1960年安保反対闘争に参加。著書『近衛内閣』(1951)などのほか、『世界』『中央公論』などに雑誌論文がある。
[小田部雄次]
『『近衛内閣』(中公文庫)』▽『須田禎一著『風見章とその時代』(1965・みすず書房)』▽『北河賢三他編『風見章日記・関係資料1936―1947』(2008・みすず書房)』