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日本古代の基本法典。律は名例(みょうれい)、衛禁(えごん)、職制(しきせい)、戸婚、厩庫(きゅうこ)、擅興(せんこう)、賊盗、闘訟、詐偽、雑、捕亡、断獄の12篇(へん)。令は官位、職員、後宮職員、東宮職員、家令職員、神祇(じんぎ)、僧尼、戸、田、賦役、学、選叙、継嗣(けいし)、考課、禄(ろく)、宮衛(くえい)、軍防、儀制、衣服、営繕、公式(くしき)、倉庫、厩牧(きゅうもく)、医疾、仮寧(けにょう)、喪葬、関市、捕亡、獄、雑の30篇。律令とも各10巻。718年(養老2)右大臣藤原不比等(ふひと)の主宰のもとで、陽胡真身(やこのまみ)、大和長岡(やまとのながおか)、矢集虫麻呂(やずめのむしまろ)・塩屋古麻呂(しおやのこまろ)、百済人成(くだらのひとなり)が大宝(たいほう)律令を改正し律令を撰定(せんてい)したという。ただその論功を722年に行い、また完成を養老年中(717~724)とする伝えもあって、撰修(せんしゅう)終了はさだかでない。しかも不比等の孫の仲麻呂(なかまろ)が政権をとっていた757年(天平宝字1)ようやく実施となった。両律令を比較すると、基本的には条文上の不備、矛盾を修正するにとどまり、内容上変更があった場合でも、公布前適宜、単行法令として施行することがあった。編修自体、不比等が藤原氏所出の首(おびと)皇子(聖武(しょうむ)天皇)の統治を裏づける新律令の制定をもくろみ、施行には不比等の功を顕彰し、仲麻呂の権勢を強める意図が込められたとみられる。その後、大規模な律令編修はなく、律令国家の崩壊とあわせて効力を失ったが、公家(くげ)社会では引き続いて形式的に重んじられ、官制などは明治初年まで存続した。『律疏(りつそ)』『令義解(りょうのぎげ)』『令集解(りょうのしゅうげ)』や逸文によって、ほぼその全容を知ることができる。
[八木 充]
『井上光貞他校注『律令』(『日本思想大系3』1976・岩波書店)』
日本古代の法典。令10巻,律10巻よりなる。令は,令そのものとしては残っていないが,9世紀に成った養老令の注釈書《令義解(りようのぎげ)》《令集解(りようのしゆうげ)》などにより,ほぼ全文を知ることができる。しかし律は,一部が残されているにすぎない。701年(大宝1)制定・施行の大宝律令についで編纂されたもので,藤原不比等(ふひと)が主導し,矢集蟲麻呂(やずめのむしまろ),陽胡真身(やこのまみ),大倭小東人(やまとのこあずまひと),塩屋古麻呂(しおやのこまろ)(吉麻呂とも),百済人成(くだらのひとなり)が編纂に従事した。この編纂については,今日,(1)不比等の私的事業として行われたとする学説と,(2)律令の編纂・公布には,新しい国家体制を創造するという目的主義的な場合と,その制定・公布権を自己の皇統に伝えるという個人的な目的による場合とがあり,養老律令は後者の立場から,元明太上天皇と不比等が,文武天皇の皇子であり不比等の孫でもある首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)のもとで新律令を公布させるために編纂されたとする学説の,二つの見方がある。ただいずれにしても,当時の公的史料が718年(養老2)に完成したと伝えるのは疑わしく,編纂事業はそれ以後も継続したが,720年に不比等が没すると停滞してしまい,未完成のまま終わったとみられる。またこの律令による大宝律令の修訂も,おおむね字句・用語の変更や文章上の矛盾の修正にとどまり,大宝律令の施行後に格(きやく)で変えられた規定も採用されていないことなどからみて,根本的な改訂ではなかったと考えられている。しかし757年(天平宝字1)不比等の孫藤原仲麻呂(恵美押勝)により公布・施行されたことによって,養老律令は以後ながく国家の基本法典として用いられ,武家政権のもとでも公家社会の基本法典としての性格を失わなかった。
執筆者:早川 庄八
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
律令国家の基本法典で,律10巻(12編)・令10巻(30編)。元正天皇の命をうけた藤原不比等(ふひと)らが,8世紀前半の養老年間に編纂を開始したと思われるが,編纂・成立過程は不明な点が多い。大宝律令とくらべて宮衛令など令の編目を増設したり,令の編目名称を改めるなど形式的改正のほか,戸令応分条の改変や公式令(くしきりょう)勅符式の削除など内容的にも大いに修正が加えられた。編纂自体の困難さに加え,天平年間の政変・社会不安などのため,施行は757年(天平宝字元)まで遅れた。その後,古代国家の基本法典の地位を保ち,形式的には明治初期まで国家体制を規定する法典であり続けた。現在,律は約3分の1しか残っていないが,令はその注釈書である「令義解(りょうのぎげ)」「令集解」などのかたちで大半が伝存する。
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…体系的といいうる律令法典は,701年(大宝1)に制定・施行された大宝律令である。その後718年(養老2)ころ,大宝律令を修訂した養老律令が編纂され,757年(天平宝字1)に施行された。大宝律令が施行されたのはこのように短期間であったが,養老律令による修訂は字句の修正などの小幅な改訂にとどまるものであったから,日本の律令法は大宝律令の制定・施行をもって本格的にスタートしたといってよい。…
…四神獣の構造)を下敷きにし,天武をはじめとして皇族の陵墓の多くが,朱鳥もしくは朱雀の象徴する南方,火の方角,道教の神学でいわゆる死者のよみがえりの宮,すなわち〈朱宮〉(〈朱火宮〉)の方向に築かれているのも,このことと密接に関連するであろう。
[陰陽道と道教]
7世紀後半の天武・持統の治世,ないし8世紀初めの元明・元正の時代に道教の思想信仰への関心の高まりが見られること上述のごとくであるが,《古事記》成立の6年後,《日本書紀》成立の2年前,元正天皇の養老2年(718)ころに成立した現存最古の律令の養老律令では,道教と関連する記述がほとんど表面に見えていない。これはなぜであろうか。…
※「養老律令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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