馬具(読み)バグ

デジタル大辞泉 「馬具」の意味・読み・例文・類語

ば‐ぐ【馬具】

馬につける装具の総称。くつわ手綱あぶみなど。

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精選版 日本国語大辞典 「馬具」の意味・読み・例文・類語

ば‐ぐ【馬具】

  1. 〘 名詞 〙 馬につける用具。鞍(くら)・鐙(あぶみ)・轡(くつわ)などの総称。馬道具。〔文明本節用集(室町中)〕 〔晉書‐桓伊伝〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬具」の意味・わかりやすい解説

馬具
ばぐ

人類は最初、ウマの肉を食料とし、次に馬を家畜化して運搬用(輓馬(ばんば))、乗馬用、荷馬用(駄馬)、農耕用として利用するようになった。その際、ウマを効率よく利用するための道具が馬具である。

 馬具の発明や発展の過程を調べてみると、人類文化の進展に大きく関係していることを知ることができる。乗用馬具を自動車の部分と比較してみると、轡(くつわ)と手綱(たづな)はハンドルに、鞍(くら)は運転席に、鞍の上の人間の腰と膝(ひざ)はアクセルの働きに、そして蹄鉄(ていてつ)はじょうぶなタイヤにあたる。したがって、馬具のなかでもっとも重要なものは轡、手綱と鞍である。また、轡のほうが鞍より早く発明されている。一般に馬具といえば、乗馬用のものを思い浮かべるが、そのほかに荷馬、運搬、農耕用などの馬具がある。

 人類は、ウマに馬具をつけて、長年月の間、ウマの優れた力を多方面に利用してきた。しかし、近年はウマのかわりに、自動車、電車、トラクター、航空機などの機械力が使用されるようになり、家畜としてのウマの価値は著しく低下している。なお、明治以前の日本の乗馬用馬具は、現代では優れた美術工芸品としての価値が高くなっている。

[松尾信一]

乗馬用馬具

乗馬用馬具のなかで重要なものは頭絡部と鞍部(あんぶ)とにある。洋式馬具の頭絡部には、轡、小勒(しょうろく)手綱、大勒手綱、額革(ひたいかわ)、頂革(うなじかわ)、頬革(ほおかわ)、咽革(のどかわ)、鼻革、マーチンゲールなどがある。鞍部には鞍のほかに鞍褥(くらしき)、腹帯などがある。前・後肢には脚保護帯、肢巻、ブーツ(わんこ)、尾には尾巻がある。東アジアの乗馬用馬具は、中国六朝(りくちょう)時代に発達し、ヨーロッパのものより複雑華麗である。日本には古墳時代中期(5世紀)に中国や朝鮮半島から渡来している。福岡県の玄界灘(なだ)の沖ノ島は「海の正倉院」とよばれ、その出土品は、4世紀から9世紀にかけての優れた鞍、雲珠(うず)、杏葉(ぎょうよう)、帯金具などの馬具があり、国宝になっている。5世紀から6世紀になると、日本でも馬具がつくられるようになり、古墳の副葬品になっている。その後、律令(りつりょう)制定により、唐式の飾り馬が用いられた。

 馬具の名称は時代とともに変わっているが、平安時代のものを基本として記してみると、頭部には轡、鏡板(かがみいた)、鈴、辻(つじ)金具、面繋(おもがい)、手綱、背部には鞍橋(くらぼね)(前輪(まえわ)、居木(いぎ)、後輪(しずわ))、下鞍、障泥(あおり)、鐙靼(みずお)、鐙(あぶみ)、胸繋(むながい)(胸懸)、馬鐸(ばたく)、腰部と尾部には尻繋(しりがい)、雲珠、杏葉、馬鐸がある。戦争用馬具として、和歌山市の大谷(おおたに)古墳から、大陸的色彩の濃い金銅製の馬冑(うまかぶと)と馬甲(うまよろい)(胴体を覆う)が出土している。時代とともに鞍も唐鞍から変化した和鞍となり、鐙も壺(つぼ)鐙から舌長(したなが)鐙と変化し、日本独特の騎馬術による戦闘用へと改良され、明治初期まで用いられた。西南(せいなん)の役では洋式と和式の両方の馬具が用いられている。日本では拍車は明治になるまで用いられていない。

 ヨーロッパでは、ローマ時代になって馬具が発達し、中世の騎士は、金属製の鎖や板金の甲冑(かっちゅう)で身体を包み、長い槍(やり)を持って大形のウマに乗り、乗馬靴のかかとには歯車状の拍車がついていた。そのウマも甲冑をつけていた。それらは十字軍の重装備の騎士の姿である。一方、イスラム軍の騎士は、中形のウマに乗り、軽装備で、弓矢を持ち、一斉射撃をする戦法をとった。その後、鉄砲の発達によって、重装備の甲冑は姿を消してしまった。

[松尾信一]

荷物用(駄載用)馬具

荷物用の馬具も乗馬用の馬具とともに発達している。鞍のおもな構造は、荷台の鞍(駄載鞍)が乗馬用に比べて大型になっている。第二次世界大戦でも地形によっては駄馬が多く利用された。

[松尾信一]

馬車用馬具(輓馬具)

馬車用馬具は、人間や荷物を乗せた車をウマに引かせる道具類で、車両、轅(ながえ)、輓索(ひきつな)、頸環(くびわ)などからなる。最初に車を引いた家畜はウシで、次にオナガー(半驢(はんろ))、その次にウマが用いられた。人類はウマを用いることによって、地球上でもっとも速い交通手段をもつことになった。人類の歴史では、最初、ウマは紀元前2000年ころ馬車用に用いられ、前1200年ころ乗馬の発明によって、乗馬用にも利用されるようになった。戦争でも馬車が戦車として用いられ、その後に騎馬戦法に変わっている。

 車は、前3500年ころメソポタミアのシュメール人によって発明され、胴引法(腹帯式)でウマに車を引かせた。しかしこれはウマの呼吸を圧迫して能率の悪い方法であった。一方、中国では、5世紀には肩引法(頸帯式)が用いられ、ウマの呼吸を圧迫することなく、両側の肩甲骨に牽引(けんいん)の支点があり、前者より合理的な方法であった。これは、イヌやトナカイがそりや車を引くのと同じ方法である。この方法はヨーロッパでは10世紀になってようやく採用されている。一方、ケルト人が発明した回転軸のある車が15世紀に普及して、馬車の利用が拡大し、近世経済の発展に大きく影響を及ぼしている。映画の西部劇の幌馬車(ほろばしゃ)などからその片鱗(へんりん)を知ることができる。日本では古代から明治になるまで、馬車は用いられていない。

[松尾信一]

農耕用馬具

農耕用馬具は、ウマの牽引力を農作業に利用するもので、犂(すき)、馬鍬(まぐわ)、砕土機、カルチベーターハローモーアレーキなどである。現在ではトラクターに引かせる農機具類である。牽引の方法は、肩引法(頸帯式)と肩引胴引併用法に大別できる。

[松尾信一]

その他の馬具

馬具としてはほかに、手綱、鞭(むち)、馬衣などがある。

[松尾信一]

手綱

洋式は革紐(ひも)製である。日本固有のものは麻製の段だら染めで、種類も多く、優美なものがある。

[松尾信一]

洋式では乗馬用と馬車用がある。乗馬用は長さ約70センチメートル、木、竹、または革を組み合わせたものがある。馬車用は長さ約1.6メートルで、先端に細長い革紐がついている。日本固有の鞭も長短種々あり、木、竹、籐(とう)などでつくられ、なかには漆塗りや蒔絵(まきえ)のついたものがある。

 特殊な馬具では、馬衣、頭巾(ずきん)、遮眼革などがある。

[松尾信一]

『日本乗馬協会編『日本馬術史 第3、4巻』(1940・大日本騎道会/1980・原書房)』『森浩一編『日本古代文化の探求・馬』(1979・社会思想社)』『加茂儀一著『騎行・車行の歴史』(1980・法政大学出版局)』『加茂儀一著『家畜文化史』(1973・法政大学出版局)』『C・E・G・ホープ、G・N・ジャクソン著、佐藤正人訳『エンサイクロペディア・馬』(1976・日本中央競馬会弘済会)』『野村晋一著『概説馬学』(1977・新日本教育図書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「馬具」の意味・わかりやすい解説

馬具 (ばぐ)

馬につける装具を総称して馬具という。ただし,一般に馬具というと騎馬の装具を指し,車馬具と区別して用いることがこれまで多かった。車馬具というのは,車の部品および馬の装具として用いられた青銅金具であって,中国の殷・周時代に王や諸侯の大墓に添えて葬られた車馬坑からともに出土し,また甲骨文には〈車馬〉の語が用いられ,周室の臣が天子に朝見して官職・車服を賜ったことを青銅器に刻んだ金文には,車とともに馬匹が記されているから,車馬具として一括することは十分に意味がある。しかし騎馬の風習が中国に伝わった戦国時代,さらにそれが普及した漢代になると,車を引く馬の装具と騎馬用の馬具とを区別することの難しいものが現れる。ここでは車馬具のうち,馬を制御する装具と,馬の牽引力を車に伝える部分の装具を加えて記述する。〈繫駕法(けいがほう)〉〈〉〈戦車〉の項目も併せて参照されたい。

 家畜としての馬の力を有効に使うため,騎馬,輓馬(ばんば),耕馬のそれぞれの用途に応じた装具が発達した。馬具の発達において,初期に中心的な役割を果たしたのは車馬具であり,騎馬の風習が普及してのちは,輓馬や耕馬の装具は騎馬のそれにならうことが多かった。馬の機能からみると,制御用,騎手や荷物の安定用および牽引力の伝達用,装飾,武具などの身体を保護するものに四大別することができる。第1の馬を制御するために必要な装具は,(くつわ)と轡を頭に固定させる面繫(おもがい)と手綱とである。第2は騎手の安定を保つための(くら)と鞍の両側にさげて足をかける(あぶみ),あるいは荷物をのせる鞍,車や犂(すき)を付ける装具である。第3の装飾的な要素の強い装具は,額や顔面につける馬面,頸にめぐらす頸総(くびふさ),鞍から胸にまわす胸繫(むながい),同じく尻部を飾る尻繫(しりがい)で,面繫・胸繫・尻繫に杏葉(ぎようよう),胸繫・尻繫には馬鐸や馬鈴をさげ,尻繫の中心に雲珠(うず)を配置する。面繫や尻繫の交差する個所には辻金具を用い,さらに各装具に飾金具をつける。蛇行鉄器もその一つで,鞍橋の後輪(しずわ)の山に沿って弧形部をとめ,その中央から出た屈曲部先端の袋穂に装飾をつける。第4に馬の武具として馬冑(ばちゆう)と馬甲(ばこう)がある。馬の体軀を保護する機能から蹄鉄もこの部類に入れる。これらの馬具の名称は,その多くが平安時代の〈唐鞍(からくら)の制〉に由来する。

 最古の馬具は,ウクライナで発見された前4千年紀の,鹿角製棒状鏡板である。前3千~前2千年紀にはウラル山脈から東ヨーロッパにかけて,鹿角と骨製の円形鏡板が新しく登場した。青銅製轡の初現はおそらく西アジアで,前15~前14世紀のいわゆるルリスタン青銅器中にみられ,前14世紀にはエジプトに伝わり,前12世紀にはスイスまで広がって,ケルト文化でも広く行われた。これらは車を引く馬に使われた轡である。騎馬は西アジアの造形美術,とくにアッシリアの浮彫によると,前2千年紀末から前1千年紀初めに西アジアで普及し,前1千年紀初めにはギリシアに伝わり,スキタイ文化やハルシュタット文化を通じてユーラシア大陸に広がった。東アジアでは前13世紀初めの殷代後期から車馬具が認められる。林巳奈夫が復原した西周の車馬の制によると,輿の中央から前に突き出た輈(ちゆう)の先に衡とよぶ横木をつけ,両側に軛(やく)を着装し,軛の上端に鸞(らん)を飾る。この軛と馬の頸にかける靳(きん)とで馬の牽引力を車に伝える。馬は,青銅製の辻金具や銅泡などで飾られた勒すなわち攸勒(ゆうろく)をからませ,鑣(ひよう)(鏡板)から轡(ひ)(手綱)が出る。額には錫(よう)を飾ってある。殷代には金属製の銜がなかったので,轡としては方形鏡板だけが出土する。西周から青銅製銜が用いられ,円形や棒状の鏡板が登場した。戦国時代に騎馬の風習が,おそらく西方から伝わって秦にはかなり普及していたことを,最近発掘された秦始皇陵兵馬俑坑の陶馬から知ることができる。漢代には中国大陸に広がり,やがて朝鮮半島に波及した。漢帝国の崩壊後における北方諸民族の活動は,さらに広範に馬具を普及させたけれども,日本への騎馬の伝来は,いわゆる騎馬民族の征服によるものではなかった。

 日本は4世紀末に大陸から騎馬の風習と馬の飼養法を学び,大陸の優れた工芸技術になる馬具を輸入し始めた。5世紀には早くも大陸製馬具を模倣した日本製の馬具も使われるようになり,6世紀には広く普及して,古墳の副葬品の重要な一品目となった。騎馬の普及は,単に戦術を変え,迅速な伝達を可能にしたばかりではなく,馬具の製作には,金工,木工,皮革工芸などのあらゆる技術を総合的に駆使する必要があるので,その習得は当時の技術全般の水準を高める結果となった。奈良時代に伝わった唐の馬装は,平安時代に唐鞍の制として整備され,一方,唐鞍から変化した和鞍も現れて後世に継承され,螺鈿(らでん)や蒔絵の優れた工芸を示す鞍橋がつくられた。しかし明治時代になって,ヨーロッパの近代的な馬装が伝わると,日本の伝統的な馬具はたちまち廃れた。また世界的に騎兵は銃砲に始まる近代兵器の,輓馬は自動車の発達によって急速に衰退し,現在では可能な限り軽くつくられた,したがって単純な馬具が競馬で使われているだけである。

 欧米の研究者は馬の家畜化や先史時代の馬や戦車の起源について,特別な興味をもっている。それは,インド・ヨーロッパ語系の諸族に関連する神話の中で馬が重要な役割を果たしており,また古文献,すなわちミタンニの調馬技術者が残した調馬指南書,アカイア人のことを記した《イーリアス》,アーリヤ人の《リグ・ベーダ》の中に馬と戦車の使用が顕著に認められ,しかも彼らが各地で勝利をおさめえたのは戦車によると考えているからである。しかし現在では,インド・ヨーロッパ語系の民族もまた他の民族から騎馬の風習や戦車を学んだと考える方が妥当である。
馬術
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百科事典マイペディア 「馬具」の意味・わかりやすい解説

馬具【ばぐ】

馬を御するための装具。(くら),(あぶみ),手綱(たづな),はみ(轡(くつわ)。手綱をつける用具),頭絡(面繋(おもがい)。はみを馬の口にはませるため頭に装着する革製用具)など。ほかに装飾を目的とした杏葉(ぎょうよう),馬鈴,馬鐸(ばたく),雲珠(うず),胸繋,尻繋などがある。日本の古墳には中期以後副葬品として納められるようになった。馬術競技では,馬場馬術の場合は二本手綱,大勒(たいろく)ばみ,技術鞍を用い,障害飛越の場合は一本手綱,水勒ばみ(小勒ばみ),障害鞍(膝(ひざ)の当たる部分が厚く,大きさも技術鞍より小さい)を用いる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬具」の意味・わかりやすい解説

馬具
ばぐ
harness and saddlery

馬に装着する用具の総称で,用途に応じていくつかに区分される。 (1) 乗り手の安定を保つためのもの,すなわち (あぶみ) ,泥障 (あおり) ,鞍褥 (あんじょく) など。 (2) 馬を制御するためのもの,すなわち (くつわ) ,手綱拍車など。 (3) 馬体の装飾のためのもの,すなわち馬面,馬鈴馬鐸などで,雲珠 (うず) などもこの類に入る。日本の古墳から発見される馬具は,革,木の部分はほとんどなくなり,鉄,その他のものが大部分である。埴輪の馬には馬具の装着を示したものがよくみられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「馬具」の解説

馬具
ばぐ

騎乗の鞍具や飼育具の総称。鞍具は,鞍橋(くらぼね)を中心に,馬を御する銜(くつわ)と手綱(たづな),騎乗の足掛りとなる鐙(あぶみ),銜と鞍橋の固定と装飾を兼ねた鞦(しりがい),鞍橋の下にあてる敷物である韉(したぐら),鞍橋を固定する腹帯(はるび),馬を引行する差縄(さしなわ)などからなる。ほかに鞭(むち)がある。飼育具は,餌用の打飼袋(うちかいぶくろ)・秣籠(まぐさかご)・飼馬桶(かいばおけ),水用の馬柄杓(まびしゃく)があり,さらに汗拭(あせぬぐい)・垢取(あかとり)の櫛(くし)・荒櫛(あらぐし)・藁沓(わらぐつ)などがあり,出向の際には従者にもたせた。別に調教の具がある。

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防府市歴史用語集 「馬具」の解説

馬具

 馬に乗るためにとりつける道具類のことです。鞍[くら]やあぶみ・くつわなどがあります。広い意味では、かいばおけなどの飼育道具も含まれます。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

世界大百科事典(旧版)内の馬具の言及

【車】より

…出土の車馬坑などからみると,当時の軍隊は戦車5両で一隊を形成し,1両につき戦車兵3人,歩兵5人がつき,5両で計40人からなる編成をもち,それが軍隊の中核でもあった。車馬具については,西周時代初期から青銅製の車馬具が急速に発達し,戦国時代になると車馬具の多様化・華美化が頂点に達する。西安市郊外の張家坡から出土した西周の車馬坑をはじめとして各地から発掘されている春秋・戦国期の車馬遺跡はそれを如実に物語る。…

【馬術】より

…3日間の総合成績で順位が決まる。
[用具]
 馬具は頭絡(とうらく),手綱(たづな),銜(はみ),鞍などがある。頭絡は銜を馬の口にかませるため馬の頭に着装する革または金属製の馬具。…

※「馬具」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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