あしび【馬酔木】
※
万葉(8C後)二〇・四五一二「池水に影さへ見えて咲きにほふ安之婢
(アシビ)の花を袖にこきれな」
[2]
[二]
水原秋桜子が
主宰した俳句雑誌。大正一一年(
一九二二)創刊の「
破魔弓(はまゆみ)」を昭和三年(
一九二八)
改題。
ホトトギス派の客観写生に対して、清新な叙情性を主張した。秋桜子亡きあと、
堀口星眠・杉山岳陽・水原春郎らの代選・共選期を経て、平成二年(
一九九〇)より水原春郎が主宰として継承。
[語誌]万葉集に「馬酔木」「馬酔」などと表記し、多く春に
山地に咲く花がよまれるが、その盛んなさまが恋の思いを刺激したらしく、単なる
景物にとどまらない、
枕詞(→
あしびなす)や
序詞としての
用法も発達した。
あせび【馬酔木】
〘名〙
ツツジ科の常緑低木。
本州・
四国・九州の山地の乾燥した所に
自生する。高さ約三メートル。葉はやや厚く、長さ三~八センチメートル、幅一~二センチメートルで先がとがり、縁には細かい鋸歯
(きょし)がある。
早春下垂する白いつぼ形の花が
多数総状に咲く。実は扁球形のさやとなる。葉は有毒で
殺虫剤に、材は
挽物細工(ひきものざいく)などにする。
あしび。あしぶ。あせぶ。あせぼ。あせぼしば。あせぼのき。あ
せみ。あせも。うまくわず。しかくわず。《季・春》
あせぼ【馬酔木】
※伊京集(室町)「馬酔木 アセボ 馬食二此葉一則死也」
ばすい‐ぼく【馬酔木】
〘名〙 (馬がこの葉を食べると酔ったように苦しむからという) 植物「
あせび(馬酔木)」の異名。〔薬品手引草(1778)〕
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デジタル大辞泉
「馬酔木」の意味・読み・例文・類語
あせび【馬=酔=木】
ツツジ科の常緑低木。乾燥した山地に自生。早春、多数の白い壺形の花が総状につく。有毒。葉をせんじて殺虫剤にする。「馬酔木」は、馬がこの葉を食べると脚がしびれて動けなくなるのによる。どくしば。あしび。あしみ。あせみ。あせぼ。《季 春》
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馬酔木
あしび
俳句雑誌。 1928年7月創刊。長谷川かな女,池内たかしらの指導による『破魔弓』 (1922年4月創刊) を改題したもので,29年より水原秋桜子が主宰。同誌に秋桜子が『自然の真と文芸上の真』 (31) を掲げて主観の強調,情感の流露を主張して以後,客観写生をよしとする高浜虚子らの『ホトトギス』派と対立,これが新興俳句運動の契機となって 35年山口誓子の参加を呼び,石田波郷,加藤楸邨 (しゅうそん) ,高屋窓秋,石橋辰之助,橋本多佳子,滝春一,加藤かけいらが輩出した。しかし,有季を堅持して唯美的傾向へ進んだのを不満として誓子以下はいずれも離脱。のちに篠田梯二郎,軽部烏頭子のほか,波郷が石塚友二,石川桂郎らを伴って復帰,有季定型を守る自然諷詠の性格を明らかにしつつ現在も俳壇に重きをなしている。
馬酔木
あしび
短歌雑誌。 1903年6月~08年1月。根岸短歌会発行。通巻 32冊。正岡子規の死後,その門下の機関誌として伊藤左千夫の主唱で始められた。香取秀真 (ほつま) ,岡麓,蕨真 (けっしん) ,長塚節 (たかし) ,森田義郎,平子鐸嶺,安江秋水,結城素明らが左千夫とともに初期の編集同人。斎藤茂吉,古泉千樫,島木赤彦,石原純,中村憲吉らを育てた。子規の写生道と万葉主義を受継いだが,次第に同人が減って衰弱したので,左千夫は『アララギ』を創刊 (1909) して中心を移した。
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あしび【馬酔木】
(1)明治時代の短歌雑誌。1903年(明治36)6月創刊,08年1月終刊。第4巻3号まで全32冊。正岡子規の没後,根岸短歌会の機関誌として門下が創刊。編集同人として伊藤左千夫,長塚節,岡麓などが名をつらねたが,実質的には発行所を自宅におく左千夫が中心であった。子規の遺業をうけて写実と万葉主義とを主唱,それは島木赤彦,斎藤茂吉,古泉千樫ら新人層により,大正期の《アララギ》で大きな結実を見せた。あとは《アカネ》にひきつがれた。
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馬酔木 (アセビ・アシミ;アセブ;アセボ;アセボノキ;アセミ;アセモ;バスイボク)
学名:Pieris japonica
植物。ツツジ科の常緑低木,園芸植物,薬用植物
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
世界大百科事典内の馬酔木の言及
【伊藤左千夫】より
…98年から新聞《日本》に評論を投稿,1900年1月,子規選募集短歌に歌が選ばれたのを機に,正岡子規に師事,子規庵の歌会に出席して作歌に励んだ。子規没後,根岸短歌会の機関誌《馬酔木(あしび)》を03年に創刊し,根岸派の存在を世に問うた。そのころの歌風は《万葉集》を尊重し,写実的詠風を求めた。…
【水原秋桜子】より
…30年には第1句集《葛飾》を上梓,みずみずしい抒情世界は青年俳人を魅了し,新興俳句の口火となり,石田波郷,加藤楸邨らの俳人を育てた。しかし主観や抒情を重んじる傾向は虚子の客観写生と対立,31年主宰誌《馬酔木(あしび)》に論文〈自然の真と文芸上の真〉を発表して《ホトトギス》を離脱した。35年有季定型の立場をとり,以後《馬酔木》により俳壇の重鎮として俳句の発展に尽力した。…
※「馬酔木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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