朝日日本歴史人物事典 「駒田好洋」の解説
駒田好洋
生年:明治10(1877)
活動写真の弁士。本名万次郎,大阪生まれ。青年時代に上京し,京橋の宣伝広告代理業広目屋の店員となる。当時輸入された映画ヴァイタスコープの巡回興行に参加,弁舌の巧みなことから映画の説明者となった。当時は説明者を活動写真の弁士(活弁)といったが,明治30(1897)年歌舞伎座での日本製最初の活動写真公開興行で弁士を務めたのち独立した。説明中「頗る非常」の言葉を連発したことから「頗る非常大博士」の愛称で人気弁士となる。「活弁」は無声映画時代は人気のあった職業だが,日本映画がトーキー化を迎えた昭和6(1931)年を境に,次第に姿を消していった。<参考文献>田中純一郎『日本映画史発掘』
(長崎一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報