高下市場村
こうげいちばむら
[現在地名]山崎町市場
揖保川の支流菅野川の中流域に位置し、南は木谷村。市場村とも記される。中世は柏野庄に含まれていたとみられる。「峯相記」に載る顕宗・仁賢両天皇の流離譚について、「当国宍粟郡ニ逃隠給ヘリ、御所ハ当時ノコウ野市庭、郡司ハ誰哉、菅野・高家辺ニ有リ」とあり、コウ野の野をケと読ませたものと思われる。「建内記」嘉吉元年(一四四一)一〇月二八日条によれば、嘉吉の乱前後の柏野庄内には守護代の居館や道場が設けられ、宍粟郡の主邑となっていたことがうかがわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報