デジタル大辞泉
「高家」の意味・読み・例文・類語
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高家【こうけ】
江戸幕府の職名。老中支配下にあり,儀式典礼,特に対朝廷関係のことにあたった。高家は元来名家の意で,室町時代以来の名門,吉良(きら)氏・畠山氏・大沢氏・今川氏・上杉氏などが世襲的に任ぜられた。役高1500石。京都への使者,勅使等公家衆の接待,伊勢・日光代参などが主な任務で,また公家衆饗応役の大名には礼法を指導した。→吉良義央(きらよしなか)/奏者番(そうしゃばん)
→関連項目赤穂浪士
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高家
こうけ
江戸幕府の職名。老中支配に属し、勅使接待、伝奏(てんそう)御用、京都・日光・伊勢(いせ)の各名代など、朝廷・公家(くげ)関係の儀式典礼をつかさどった。畠山(はたけやま)・由良(ゆら)・大友氏など中世以来の名家や日野・中条氏など公家の分家が多く、大名に準じた官位を受けた。慶長(けいちょう)期(1596~1615)に大沢基宿(もといえ)(持明院流)、続いて吉良義弥(きらよしみつ)(足利(あしかが)氏庶流)が伝奏御用を勤めたのが始まりといわれ、以後しだいに増加していった。江戸後期には26家が数えられる。役高1500石、家禄(かろく)は5000石の畠山氏を筆頭に1000石台が多く、品川氏の300石に至る。いずれも世襲で、原則として他の役職につくことは許されなかった。このうち、若年や老年などの理由で非役の家を表高家と称し区別している。高家肝煎(きもいり)は2、3名が選任され、京都名代を勤めたもので、役料800俵が支給された。成立は享保(きょうほう)期(1716~36)ごろと考えられる。
[佐々悦久]
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高家
こうけ
格式の高い名家,あるいは権勢のある家の意。江戸時代には,幕府に仕えて儀式・典礼をつかさどることを世職とした家,および職名。朝廷への使者,勅使・院使の接待,およびその際の饗応にあたる大名の指導,伊勢神宮・日光東照宮などへの代参,年賀賜盃時の大名への給仕などを担当した。1603年(慶長8)徳川家康の将軍宣下の際に,儀礼をつかさどった大沢基宿(もといえ)が起源とされる。その後,吉良・今川・品川・上杉・戸田・畠山・織田など,室町時代以来の名家が取り立てられてしだいに増加し,26家におよんだ。1723年(享保8)制定の役高は1500石。万石以下だったが官位は高く,四位・五位の侍従,または少将にまで昇ることができた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
こうけ【高家】
名家の意。近世においては名家の末流で江戸幕府に仕え,その儀式,典礼(とくに朝廷関係)をつかさどることを世職とした人およびその家。1603年(慶長8)徳川家康の将軍宣下の際,宣旨を入れた覧箱(らんばこ)の受渡しの役を務めた大沢基宿(もといえ)がその起源とされる。59年(万治2)には高家衆として吉良,今川,品川,上杉,大沢,戸田の6人がおり,以後しだいに増加し26家に及んだ。京都への使者,伊勢・日光参詣の名代のほか,江戸に下向する勅使・院使等公家衆の接待にあたり,そのおり饗応役の大名に礼法を指導した。
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高家
こうけ
江戸幕府の職名
幕府の儀式・典礼,朝廷に対する儀式・使者・接待などにあたり,伊勢・日光の代参などをつとめた。高家とは,元来家柄のよい家のことで,1万石以下であるが,官位は大名に準じた。吉良・今川・織田氏など室町時代以来の名門の子孫で,一時は26家にも及んだ。
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高家
こうけ
江戸幕府の職名。幕府の儀式典礼を司り,勅使や公家の接待,京都への使い,伊勢,日光などへの代参をつとめた。老中の支配に属し,役高 1500石,官位は大名に準じた。足利氏以来の名家が世襲し,宮原,武田,畠山,戸田,有馬,吉良など 26家があった。
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