岐阜県北部の市。2005年2月旧高山市が久々野(くぐの),国府(こくふ)の2町と朝日(あさひ),上宝(かみたから),清見(きよみ),荘川(しょうかわ),高根(たかね),丹生川(にゆうかわ),宮(みや)の7村を編入して成立した。新しい市の面積2178km2は全国の市町村で第一の広さで,東京都(2187km2)に近い。人口9万2747(2010)。
高山市南東部の旧村,旧大野郡所属。人口2155(2000)。飛驒川上流の益田(ました)川上流域に位置し,村域には乗鞍岳に連なる飛驒山脈の山地が広く分布し,集落と耕地が点在する益田川沿岸でも標高700mの高所にある。高山と木曾福島を結ぶ木曾街道(国道361号線)が益田川に並行して通る。農林業を主とし,傾斜地を利用した畜産が行われる。益田川には朝日ダム,秋神川には秋神ダムがある。北東端の山岳地帯は中部山岳国立公園に属する。秋神温泉,鈴蘭高原スキー場がある。
高山市北東端の旧村。旧吉城(よしき)郡所属。人口4011(2000)。神通川上流の高原川上流域に位置し,奥穂高岳,槍ヶ岳をはじめとする飛驒山脈を境に,北は富山県,東は長野県に接する。村域の大部分が山地帯であるが,高原川沿いには河岸段丘が発達し,段丘上に集落が点在する。本郷台地上には村内唯一の耕地が開ける。農林業を主とするが,中部山岳国立公園の山岳と豊富な温泉に恵まれて観光も重要な産業である。高原川の本支流沿いには栃尾,平湯,一重ヶ根などの温泉が並び奥飛驒温泉郷を形成する。乗鞍登山バスの基地が平湯にある。福地の化石産地は天然記念物に指定されている。
高山市西部の旧村。旧大野郡所属。人口2657(2000)。標高600m以上の飛驒高地にあって山地に囲まれる。宮川の支流川上川,牧谷川などの中小河川が山間を流れ,河川に沿って集落と耕地が点在する。北東部の川上川と牧谷川の合流点付近の三日町が中心集落で,旧高山市に近く交通の便もよい。東海北陸自動車道の飛驒清見インターチェンジがある。農林業を主とするが,近年,肉牛の肥育,高冷地野菜栽培などが伸びている。1945年に5000人以上あった人口は半減し,過疎化が著しい。
高山市南部東寄りの旧町。旧大野郡所属。人口4132(2000)。飛驒川上流の益田川流域に位置し,飛驒山脈に属する山地が広く分布する。益田川と無数河(むすご)川の合流点付近の久々野,無数河が中心集落で,国道41号線とJR高山本線が通じる。農林業を主とし,高冷地野菜と桃の栽培,畜産が行われる。山地はヒノキ,杉,ブナ,カラマツの美林地帯をなし,良材を産する。町の西部は位山舟山県立公園に属し,舟山高原スキー場がある。縄文前・中期の堂之上遺跡がある。
高山市北部の旧町。旧吉城郡所属。人口8101(2000)。宮川流域の古川盆地南部にあり,町域の大半は飛驒高地の山地からなる。古代の飛驒国の国府所在地といわれ,町名もそれにちなむ。中心集落は広瀬町で,国道41号線とJR高山本線が通る。耕地に乏しい飛驒地方の中で,高山盆地とともに古くからの米作地帯をなしている。安国寺,荒城神社,阿多由太神社,熊野神社などの古社寺が多く,1408年(応永15)建造の安国寺経蔵は国宝に指定されている。西部の宇津江川上流には四十八滝があり,一帯は県立自然公園となっている。
高山市西端の旧村。旧大野郡所属。人口1345(2000)。庄川の上流に位置し,村域全体が標高700m以上の飛驒高地にある。北隣の白川村とともに白川郷と呼ばれ,合掌造の民家が今に残る。村域の大部分が山林で農林業を主とするが,1961年の御母衣(みぼろ)ダム建設にともなって海上,中野,赤谷,岩瀬の4地区,耕地では水田の40%,畑の20%が水没した。かつては奥飛驒の秘境といわれたが,現在は国道156号,158号線が整備され,東海北陸自動車道のインターチェンジもあって,ダム湖を中心に観光地化が進んでいる。西部は白山国立公園に属し,スキー場,ゴルフ場などがある。
高山市南東端の旧村。旧大野郡所属。人口814(2000)。乗鞍岳南麓,御嶽山北麓を占める山村で,多くの川が村内の山麓を源として流れ出し益田川(飛驒川上流)となる。東はこれら急峻な飛驒山脈を境として長野県に接し,県境には野麦峠がある。村内を高山と木曾福島を結ぶ木曾街道(現,国道361号線)が通り,高山本線開通以前は宿場町として栄えた。主産業は農林業で,益田川流域と日和田高原に集落が点在する。1970年の高根ダムの完成を契機に高原地帯の観光地化が進んでいる。北東部は中部山岳国立公園,野麦峠一帯は県立自然公園に属する。
執筆者:上田 雅子
高山市中央部,高山盆地にある旧市。1936年市制。人口6万6430(2000)。古くは飛驒国府が置かれたといわれるが,金森長近が飛驒全域を支配して城下町を経営して以来,飛驒の政治・経済・交通の中心地となった。その後,幕府直轄地となって陣屋が置かれた。明治以後も高山県庁などが置かれ政治の中心であったが,1934年に高山本線が全通して産業が急速に発展し,周辺山地の森林資源を背景に家具,建具などの木工業が盛んになった。また300年の伝統をもつ春慶塗,飛驒工(ひだのたくみ)の流れをくむという一位細工,酒造業も盛んである。宮川の両岸に発達した市街地には,国の重要伝統建築物保存区域に指定された上二之町,上三之町の町屋など城下町の古い町並みがみられ,国史跡の国分寺塔跡,高山陣屋跡,重要文化財の町家建築日下部(くさかべ)家住宅,吉島家住宅,松本家住宅,また室町時代建造の国分寺本堂,日枝神社,照蓮寺,大雄寺などの古社寺も多い。高山祭は,4月14~15日(日枝神社),10月9~10日(八幡神社)の春秋2回行われ,国の重要民俗文化財に指定された豪華な屋台(山車)が練り歩く。屋台の一部は平常は屋台会館に展示されている。陣屋跡前の広場や宮川沿いで行われる朝市も有名である。平湯トンネル,安房(あぼう)トンネルの開通,国道41号線,158号線など道路網が整備され,乗鞍岳,白川郷,平湯温泉,上高地などの観光基地としても発展している。
執筆者:高橋 百之
飛驒国の城下町,のち幕領代官(飛驒郡代)陣屋所在地として発展した。地名の由来は,永正年間(1504-21)この地の天神山に城を構えた高山外記の姓にちなむものとする説,また天神山の別名多賀山が高山に転じたとする説などがある。1585年(天正13)豊臣秀吉の命により飛驒征服を果たした金森長近が,90年から天神山の城跡に居城を建築し,その北西に新城下町を建設した。以後1692年(元禄5)まで,金森氏6代にわたる高山藩の中心地となる。2代金森可重までの町域は宮川以東・江名子川以南の区域,3代重頼の代には江名子川北岸に左京屋敷,宮川以西に向屋敷が建設され,周辺に町並みが拡大した。このうち侍屋敷は江名子川の川沿いと城の北・西麓に集まり,寺屋敷は北東の町はずれと東山一帯に設定された。また町人屋敷は,まず一番町・二番町・三番町(本町と総称)がつくられ,このほか肴町,安川町や,のちには本町を中心に北側と宮川をこえた西側に新町が形成されていった。
金森氏の出羽上山転封,飛驒一国の幕領化ののち,従来の侍町も町人地となったが,町人屋敷の地子免許は否定され,行政上は一之町村,二之町村,三之町村の三つの村として再編成された。1694年の飛驒総検地によると,各村の規模は,一之町村が面積9町余(他に山林・寺除地・侍屋敷跡地38町余)・村高82石余,二之町村5町余・49石余,三之町村7町余・72石余。95年の高山全体の家数は1259軒,人口3757人であった。その後町域の拡大と人口の流入により,1842年(天保13)には家数1671軒,人口9237人に達し,飛驒全体の約1/10を占めた。各村は6~11の町に区分され,さらに各町が1~9の組に分けられている。町政は,金森氏時代の初期には一番町の矢島氏が町代としてこれに当たり,のち二番町の川上氏と三番町の屋貝氏が町代に加わった。幕領化の後は町年寄と改称されたが,この3家が明治維新までその役職を世襲した。各組ごとに家持の中から選ばれる組頭がこれを補佐し,重要事項は惣町(3ヵ村全体)の町年寄・組頭の合議によって決定した。
近世の高山は,飛驒国内の経済の中心として,また他国との商業活動の拠点としても重要な位置を占めており,他領からの米,塩,肴,木綿などの買入れ,他国への生糸,紬などの販売は,多くは高山商人の手によって行われた。なかでも〈旦那衆〉と呼ばれる豪商たちは富山藩などを相手に多額の大名貸をも行っており,周辺農村に対する高利貸経営によって,幕末期には高山町人全体で約5000石もの土地を集積するに至っている。高山町人の財力を象徴する高山祭の豪華絢爛(けんらん)たる屋台や,精緻な工芸技術の伝承,小京都といわれる町並みの景観は,広域的な商業活動を契機として上方と江戸の文化を摂取し独特な文化活動が展開されたことを物語っている。1875年(明治8)一之町村,二之町村,三之町村が合併して高山町が成立。
執筆者:宮崎 勝美
高山市北東部の旧村。旧大野郡所属。人口4719(2000)。宮川の支流,小八賀(こはちが)川流域にある農山村で,村名は小八賀川の古名〈丹生の川〉に由来するという。西流する川に沿って小盆地が開け,南岸の河岸段丘上に中心集落がある。東の長野県境に高く連なる飛驒山脈の山岳地帯は,中部山岳国立公園に属し,高山植物やライチョウが見られる。小八賀川沿いに国道158号線が通じ,1973年,これから分かれて乗鞍岳山頂付近まで乗鞍スカイライン(現在は一般車両通行禁止)が開通して以来,観光客が著しく増加した。78年には村の東端の平湯峠に平湯トンネルが開通し,国道158号線の交通事情は改善された。重要文化財の荒川家住宅や,天然記念物の千光寺の五本杉がある。
高山市南部西寄りの旧村。旧大野郡所属。人口2659(2000)。飛驒高地の位山(くらいやま)(1529m)山系に属する山地に囲まれた宮川流域の小盆地に集落と耕地がある。東の久々野町との境にある宮峠は太平洋側と日本海側の分水界をなす。宮峠北麓に飛驒一宮の水無(みなし)神社があり,宮の地名はこれに由来する。村内で産出されるヒノキ,イチイを材料とする編笠,イチイ細工が特産で,乗鞍岳,御嶽山,日本ラインなどの観光基地向けに出荷されている。南部一帯は位山舟山県立自然公園に属し,位山国際スキー場がある。大幢寺境内の臥竜(がりゆう)桜は天然記念物に指定されている。水無神社には鳥毛打(闘鶏楽),神代踊,獅子舞などが伝わる。JR高山本線,国道41号線が通じる。
執筆者:上田 雅子
長野県北東部,上高井郡の村。人口7563(2010)。三方を山に囲まれた山村で,千曲川支流の松川が中央を西流し,村を山田・高井両地区に二分する。稲作とリンゴ,ブドウ,ホップ栽培を中心とした農業が主産業であるが,村域の85%は山林・原野で耕地は少ない。長野市の近郊に立地するため最近は農地の宅地への転用,兼業化が急速に進み,ベッドタウン的性格も強まっている。東部は上信越高原国立公園に属し,笠ヶ岳南西麓には山田牧場があり,松川上流には山田,五色,七味などの温泉がある。高井には1619年(元和5)に広島城の修築を幕府からとがめられて当地に蟄居(ちつきよ)させられた福島正則の屋敷跡(県史跡)がある。
執筆者:柳町 晴美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岐阜県北部、飛騨(ひだ)地方の中心都市。市街地は高山盆地にあって、「小京都」ともよばれ、古くからのおもかげを残している。1936年(昭和11)高山町が大名田(おおなだ)町を合併して市制施行。1943年には上枝(ほずえ)村、1955年大八賀(おおはちが)村を編入。さらに、2005年(平成17)久々野(くぐの)、国府の2町、丹生川(にゅうかわ)、清見(きよみ)、荘川(しょうかわ)、宮、朝日、高根(たかね)、上宝(かみたから)の7村を編入。その結果、面積は2177.61平方キロメートルとなり、それまでの15倍以上に拡大、香川県や大阪府より広い、全国最大の面積をもつ都市となった。
高山には古く国分寺が置かれたが、高山が飛騨の中心となったのは、1585年(天正13)羽柴(豊臣(とよとみ))秀吉の命令によって、越前(えちぜん)大野城主の金森長近(かなもりながちか)が飛騨を平定して入封し、1590年頃いまの城山公園(天神山)で高山城の建設に着手してからである。以後、十数年にわたって、その北麓(ほくろく)の高台などに侍屋敷を設け、東山の山麓に多くの神社・寺院を配置し、宮川の東岸には一之町、二之町、三之町などの町人屋敷をつくり、町の繁栄が図られた。なお、1692年(元禄5)飛騨は幕府の直轄地となり、高山には陣屋が置かれた。こうして江戸時代を通じ、京都・江戸両文化の影響によって、高山町民の生活に独特な伝統文化が形成されてきた。その後の高山の画期的な発展は、1934年(昭和9)秋の高山本線の開通後に目覚ましい。一方、国道も改良整備され、国道41号、156号、158号、257号、361号、471号、472号が通じる。さらに東海北陸自動車道が市域西部を縦断し、市街とは高山清見道路(中部縦貫自動車道の一部)で連絡している。
高山の市街地は、いまでは盆地および周辺の丘陵地などまで拡大発展しているが、三町(さんまち)地区などでは古い町並みの保存が図られ、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
高山では、江戸時代からの春慶塗(しゅんけいぬり)、一位一刀彫(国の伝統的工芸品に指定)、渋草(しぶくさ)焼などの伝統工芸が行われている。また、飛騨のブナ材などの森林資源の利用によって曲木(まげき)家具製造が盛んである。近年は、新しい工業の発展が図られ、電気機械器具の出荷額の伸びが目だつ。一方、農村部では米作をはじめ、高冷地野菜やモモ(飛騨桃)栽培のほか、和牛(飛騨牛)の肥育が盛ん。また森林資源にめぐまれ、製材や木材加工が行われている。伝統の年中行事の一つ高山祭の屋台は国の重要有形民俗文化財に、「高山祭の屋台行事」は同重要無形民俗文化財に指定されており、毎年4月の日枝(ひえ)神社の山王祭、10月の桜山八幡(はちまん)宮の八幡祭には多くの観光客が集まる。両祭の屋台行事は、ユネスコの無形文化遺産にも登録された。ほかに見学の対象として、飛騨国分寺、春慶会館、日下部(くさかべ)民藝館、吉島(よしじま)家住宅、高山祭屋台会館、三町筋、飛騨高山まちの博物館、平田記念館、高山陣屋、城山公園、高山別院照蓮(しょうれん)寺、飛騨民俗村・飛騨の里などがあげられる。そのほか、市の北東部の奥飛騨温泉郷、丹生川地区の五色ヶ原、高根地区の野麦峠、朝日地区の鈴蘭(すずらん)高原と秋神温泉、久々野地区の舟山高原、国府地区の宇津江四十八滝など、各地に自然を生かした観光地があり、スキー場、ゴルフ場なども多く設置されている。人口8万4419(2020)。
[上島正徳]
『『高山市史』全3巻(1981~1983・高山市)』
鹿児島県大隅半島(おおすみはんとう)の南部にある肝属郡(きもつきぐん)にあった旧町名(高山町(ちょう))。現在は肝付(きもつき)町の北部を占める。旧高山町は1932年(昭和7)町制施行。2005年(平成17)内之浦(うちのうら)町と合併し肝付町となった。旧町域の南部と東部は山地(肝属山地)、中央部はシラス台地、北部は肝属川の沖積低地の肝属平野で、北に向かって低くなる。国道448号が東部の志布志(しぶし)湾岸を通過する。国鉄大隅線が通じていたが、1987年(昭和62)廃線、バスに転換した。平安時代から島津氏による三州統一(1577)まで、大隅に勢力を張った肝付氏の本拠地。近世は直轄地で地頭が置かれた。低地は水田に、シラス台地は畑作に利用され、山地も林業が盛んである。ポンカンの生産も多い。「大隅そろばん」は有名で、ほかに家具も伝統がある。文化財が多く、塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)、塚崎のクス、肝付氏居住跡の高山城跡は国指定史跡。二棟造の二階堂家住宅(にかいどうけじゅうたく)は国指定重要文化財。四十九所神社の流鏑馬(やぶさめ)も知られる。
[田島康弘]
『『高山郷土誌』(1966・高山町)』
群馬県北部、吾妻郡(あがつまぐん)にある村。子持(こもち)(1296メートル)・小野子(おのこ)両火山の北斜面を含む山村で、斜面には広大な「たかやま高原牧場」があり、4月下旬より11月中旬まで牛、馬の委託放牧を行っている。水田のほか、コンニャクイモ、トウモロコシ、シイタケなどが生産される。中心集落の中山(なかやま)は旧三国(みくに)街道の宿場だった所で、国道145号が通じ、1981年(昭和56)末上越(じょうえつ)新幹線の中山トンネルが地下を貫通した。一人使いの浄瑠璃(じょうるり)人形の尻高人形(しったかにんぎょう)は国の選択無形民俗文化財。1999年(平成11)県立ぐんま天文台が完成した。面積64.18平方キロメートル、人口3511(2020)。
[村木定雄]
『『高山村誌』(1972・高山村)』▽『『高山村百年のあゆみ』(1989・高山村)』
長野県北部、上高井郡の村。1956年(昭和31)高井、山田の2村が合併して成立。村域の西部は千曲(ちくま)川の支流松川の扇状地を占め、畑地が多く、リンゴ、巨峰種のブドウなど果樹園が展開する。東部は笠(かさ)ヶ岳、御飯(おめし)岳など2000メートル級の山々があり、上信越高原国立公園の一部をなす。松川上流に七味(しちみ)、五色(ごしき)、山田の温泉があり、南志賀温泉郷とよばれる。笠ヶ岳山麓(さんろく)の山田牧場はスキー場としても利用される。面積98.56平方キロメートル、人口6617(2020)。
[小林寛義]
日本海に突出した半島部の中央にそびえ、標高五三二・八メートル。山頂からは日本海に浮ぶ大小の島々や、須佐湾、さらにはるか西に六島(現萩市域)や
山名の由来を「注進案」は「出雲の国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…82年最高の礼拝対象として建造中の石造の〈かんろだい〉が警察によって破壊された。みきは権力者を〈高山〉,民衆を〈谷底〉と呼んで,高山の没落と谷底の救済を説き,独自の創造神話《こふき(《泥海古記》)》をまとめた。前後18回にわたって検挙・勾留されたが,信仰は法律にも政治支配にも優越すると教えて,政府に妥協屈従することを許さなかった。…
…一種の豊年踊である。鹿児島県肝属(きもつき)郡高山(こうやま)町の八月踊は,藺笠(いがさ)をかぶった男組とお高祖(こそ)頭巾をつけた女組が,太鼓,三味線,胡弓,拍子木などの囃子で《思案橋》《五尺》《花江まんじょ》などを踊る。奄美大島やその周辺の島々では旧暦8月の新節(あらせつ),柴挿(しばさし),嫩芽(どんが)の祭りや十五夜祭に,老若男女が円陣を組み男女の掛合歌で踊る。…
※「高山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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