①②の漢字の読みは「こうさつ」か「たかふだ」か確定できない。古辞書類を除いては、中世に「こうさつ」の確例は少なく、「たかふだ」が一般的だったと思われる。
①に関して、「高札」は「たかふだ」とも「こうさつ」とも読めるが、中世では古辞書類を除いては「こうさつ」の確例は少ない。→「こうさつ(高札)」の補注
〈たかふだ〉ともよみ,立札ともいう。江戸時代に行われた法令公示の一方式。ヒノキ,梅などの板札に法令を墨書して高く掲げたもの。禁止,制限を内容とすることが多く,制札の称もある。この種の法令告知方法は,奈良時代末すでに存在したが,鎌倉~室町時代を通して発達し,江戸幕府も治政上大いに活用した。特定の地に特定の目的で立てられるものと,広く一般民衆に基本的な法令を知らせたものとに分けられ,前者の例に堀札,川越場札,関所札,浦高札などがある。後者では,1711年(正徳1)定められた5枚の高札が,幕末まで1世紀半の間維持されて著名である。これらは1682年(天和2)の高札を修正増補したもので,親子兄弟札,毒薬札,駄賃札,切支丹札,火付札からなり,封建倫理の教諭やキリシタン禁制など幕府民政の根幹が示されている。幕府は私領にもその掲示を強制した。ほかに新田高札や徒党札が重要な施策に出るものとして名高い。大名は独自に高札を立てることもあり,これを幕府の公儀高札と区別して,自分高札と呼ぶ。高札は通常,人々の目をひきやすい市街の中心の辻や出入口,橋詰めなどに掲げられ,〈札の辻〉の地名は今日も各地に残っている。江戸では日本橋南詰,常盤橋外,浅草橋内,筋違橋(すじかいばし)内,高輪(たかなわ)大木戸,半蔵門外の6ヵ所が大高札場とされ,さらに35ヵ所の高札場があった。高札場には矢来をめぐらし,あるいは石垣,芝土居を築くなどして,厳重な管理が行われた。高札は為政者の権威を象徴し,それ自体畏敬の対象であったのである。明治新政府も高札の制度を受け継ぎ,1868年(明治1)3月従来からの高札を取り除かせるとともに,永制たる定(さだめ)札として人倫札,徒党札,切支丹札を,暫時掲示すべき覚(おぼえ)札として外国交際札,脱国札を発した。いわゆる〈五榜(ごぼう)の掲示〉である。切支丹札には国外の批判が寄せられ,条約改正の障害とされるにおよんで,73年2月政府は高札法令の周知を理由に,高札一般を撤去した。
→制札
執筆者:加藤 英明
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立札(たてふだ)ともいう。法令伝達の一形式で、法度(はっと)、掟(おきて)、禁制を板面に墨書したもの。庶民に対し法の周知徹底、順法と基本法の強調を意図した。高札は古代から行われたが、とくに江戸時代に発達した。通常、幕府の高札を公儀高札、大名・旗本のものを自分高札という。高札のなかでも忠孝札、火付禁止札、切支丹(きりしたん)札、毒薬札、駄賃定(だちんさだめ)札を五札(ごさつ)または大高札(だいこうさつ)といい高札の中心となった。高札を掲示する所を高札場(ば)といい、都市や町村の要衝に設置した。明治政府も高札制度を踏襲したが、1873年(明治6)太政官(だじょうかん)布告をもって廃止された。
[神﨑彰利]
『三浦周行著『法制史の研究』(1918・岩波書店)』▽『服藤弘司著『幕府法と藩法』(1980・創文社)』
江戸時代,幕府や藩が法度類を民衆に周知させるため,横長の板札に墨書して高く掲示したもの。町の辻や橋のたもとなど人通りの多いところに建てられた。室町時代にも徳政・撰銭(えりぜに)などの札がみられた。江戸幕府の法度は早くから,撰銭令やキリシタンの取締令のほか法令の改正などが頻繁に高札で触れ出された。幕府の建てた高札は大名領内にも建てるよう要求され,その基本的なものが1711年(正徳元)に建てられた親子兄弟札・毒薬札・駄賃札・キリシタン札・火付札の5枚の高札で,これらは修正されることなく幕末期にいたった。このほか諸国浦々に建てられた浦高札や,特定の宿場・渡船場・関所にかぎり建てられた高札がある。1868年(明治元)明治新政府もいわゆる五榜(ごぼう)の掲示を建てたが,73年撤去。
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…この種の法令告知方法は,奈良時代末すでに存在したが,鎌倉~室町時代を通して発達し,江戸幕府も治政上大いに活用した。特定の地に特定の目的で立てられるものと,広く一般民衆に基本的な法令を知らせたものとに分けられ,前者の例に堀札,川越場札,関所札,浦高札などがある。後者では,1711年(正徳1)定められた5枚の高札が,幕末まで1世紀半の間維持されて著名である。…
…狭い範囲の人や役所にあてられたものを,とくに御達(おたつし)という。高札(こうさつ)も御触書の一種と見てよい。御触書は老中,若年寄の合議体である御用部屋で方針を定め,奥右筆組頭が調査,起案し,将軍の裁可によって制定法となる。…
…順法的な訴訟もふえ,代表越訴も少なくならなかったが,18世紀後半以降は激しい全藩的強訴が農民闘争の中心となり,諸藩の政策の変更を迫った。幕府は70年(明和7)4月,全国に高札を立てさせ,そのなかで〈よろしからざる事に百姓大勢申合〉せることを徒党,〈徒党して強いて願い事企〉てることを強訴と規定し,褒賞を約して訴人をすすめた。多数者の行動である強訴では頭取と呼ばれる指導者が活躍し,刑死するとひそかにまつられ,義民となった。…
※「高札」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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