改訂新版 世界大百科事典 「高杯」の意味・わかりやすい解説
高杯/高坏 (たかつき)
皿のように浅い器を脚台上にのせた形状の器。坏(杯)(つき)は縁の器壁が比較的低い器である。平城宮出土の土師器(はじき)の高杯には,〈高坏〉〈高盤(たかさら)〉と墨書したものがある。中国では古く,高杯形の木製品を〈豆(とう)〉,竹製品を〈籩(へん)〉と呼んだ。ただし中国考古学では土器や青銅器の高杯も豆と称する。日本では後・晩期の縄文土器にも散見するが,弥生時代に入ると木器として発達し,中期からは土器としても普及する。《魏志倭人伝》によると倭人は〈食飲するに籩豆を用いて手食す〉とあり,食事の際に高杯をめいめいが用いた可能性もある。古墳時代の須恵器の大型高杯には,その上に坏をいくつも並べ置いた形状のものがあり,やがて食物を盛る容器から膳のように食器の台としての機能をもつようになる。
執筆者:佐原 眞 正倉院にはガラス製の高杯が伝存している。これは納置の小樻附牌により,東大寺大仏開眼会に当たる752年(天平勝宝4)4月9日の奉献品〈白琉璃高坏〉であることがわかる。日本製か否か明らかでないが,小ぶりながら安定した脚台,盤状の坏部など奈良時代の須恵器高杯の特色に類似している。木製漆塗りの高杯が盛行するのは平安時代後半からで,坏部が折敷(おしき)に似た平面方形の板状をとり,細い脚柱をそなえた脚台へと変容する。現在一般に高杯と称されるのはこの形式を踏襲したものである。《信貴山縁起絵巻》《伴大納言絵詞》には中央に高く飯を盛った椀をすえ,周りにおかずを盛った鉢・皿をのせた高杯がみられる。すでにおそくとも12世紀には,高杯が食物そのものを盛ることから,食器をのせる台として使われるようになっていたことが知られる。また《信貴山縁起絵巻》には角形高杯が,《伴大納言絵詞》には円形のものが描かれ,前者は正式な,後者は略式の食事に用いられたと考えられている。室町時代以降はおもに神饌具や仏事の供物台として使用されることになるが,伝世品のほとんどは神仏への供物台とされたこの種の高杯である。遺品のうちには全面朱漆塗りのものも若干みられるが,過半は黒漆を塗ったのち,坏部の上面のみに朱漆の上漆を施したものであり,この形式が慣例であったと考えられる。
→膳
執筆者:河田 貞
高杯 (たかつき)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報