幕末期の幕臣。天保(てんぽう)6年2月17日生まれ。名は政晃、泥舟は号。山岡氏より高橋家の養子となる。山岡鉄舟(てっしゅう)は義弟(妹英子の夫)。1855年(安政2)槍術(そうじゅつ)家の兄山岡静山の没後、その門人を教授し、槍術の名人と称された。翌年22歳で講武所の教授となり、59年従(じゅ)五位下伊勢守(いせのかみ)に叙任。63年(文久3)新徴(しんちょう)組の統率、浪士取扱を命ぜられたが、尊攘(そんじょう)派志士と接触があるとの理由で免職となる。長州征伐のときには征長不可の旨を上書、慶応(けいおう)幕政改革にあたり、66年(慶応2)11月遊撃隊頭取、翌年10月同隊頭取並となる。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦い後は一貫して徳川慶喜(よしのぶ)の恭順謹慎を主張し、68年2月慶喜が江戸城を出、上野寛永寺(かんえいじ)に入ったあと身辺の護衛にあたった。勝海舟(かつかいしゅう)、山岡鉄舟とともに幕末三舟と称せられる。明治36年2月13日没。
[佐々木克]
幕末・維新期の槍術家。名は政晃,字は寛猛,通称は精一。旗本山岡正業の次男。22歳で講武所の教授に出仕,25歳で師範となり,従五位下伊勢守に任官する。1863年(文久3)将軍徳川家茂の上洛に従い,新徴組の取扱をも命ぜられた。将軍慶喜が伏見で敗戦したのちは,官軍への恭順を説いた。泥舟は号で,勝海舟,山岡鉄舟とともに〈幕末の三舟〉とよばれた。
執筆者:吉原 健一郎
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(三井美恵子)
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