精選版 日本国語大辞典 「高見順」の意味・読み・例文・類語
たかみ‐じゅん【高見順】
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小説家、詩人。明治40年2月18日、福井県三国町(現坂井(さかい)市)生まれ。父阪本釤之助(さんのすけ)(当時福井県知事)、母高間古代(たかまこよ)の間の庶子。本名高間芳雄(たかまよしお)。生後まもなく祖母、母とともに上京。府立一中、旧制一高を経て、東京帝国大学英文科に進む。その間ダダイズムやアナキズムに傾倒し、高洲基らと同人雑誌『廻転(かいてん)時代』(1925創刊)を出す。東大では壺井繁治(つぼいしげじ)らと左翼芸術同盟を結成、『左翼芸術』『大学左派』『十月』『集団』等のプロレタリア文学雑誌に小説、評論などを発表。1930年(昭和5)大学卒業後、研究社を経てコロムビア・レコード社に勤務。1933年組合活動のために検挙され、転向する。同じとき妻に裏切られ精神的苦悩は重なった。同年9月、渋川驍(ぎょう)、新田潤(にったじゅん)らと雑誌『日暦(にちれき)』を創刊し、心の苦しさを吐き出すように、短編『感傷』(1933)や、長編『故旧忘れ得べき』(1935)などを書きつづった。とくに後者は第1回芥川(あくたがわ)賞候補作になり、一躍文壇の注目を浴びることとなった。36年、『日暦』の同人とともに、武田麟太郎(りんたろう)の『人民文庫』に参加して『故旧忘れ得べき』の続編を連載、10月単行本として刊行。この時期に発表された「描写のうしろに寝てゐられない」などの短評も、彼のユニークな文学思想として見逃せない。日中戦争が長期化する情勢のなかで、高見は逃れるように浅草生活に入り、『如何(いか)なる星の下(もと)に』(1939~40)を『文藝』に連載する。この長編は三雲祥之助(みくもしょうのすけ)による挿絵とともに当時の浅草情緒をよく伝えた傑作である。
戦後は『わが胸の底のここには』(1946~47。1957年続編を発表するが未完)、『今ひとたびの』(1946)、『胸より胸に』(1950~51)、『生命の樹(き)』(1956~58)、『いやな感じ』(1960~63)のほか、詩集に『樹木派』(1950)、『死の淵(ふち)より』(1964)、評論には文学的証言として貴重な『昭和文学盛衰史』(1958)、日記には膨大な『高見順日記』(正続16巻)がある。65年(昭和40)8月17日癌(がん)で倒れるまで、日本ペンクラブや日本近代文学館創立に尽力した。
[遠矢龍之介]
『『高見順全集』20巻・別巻1(1970~77・勁草書房)』▽『『高見順日記』正8巻・続8巻(1964~66、1975~77・勁草書房)』▽『石光葆著『高見順』(1969・清水書院)』▽『土橋治重著『永遠の求道者 高見順』(1973・社会思想社)』▽『奥野健男著『高見順』(1973・国文社)』
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…作家高見順の日記。全8巻9冊は1964年から66年にかけて,生前から没後に刊行されたが,内容は敗戦前後を中心とする1941年1月から51年5月までの記録である。…
※「高見順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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