精選版 日本国語大辞典 「高麗」の意味・読み・例文・類語
こうらい カウライ【高麗】
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918~1392
朝鮮の王朝。918年王建が建国。都は開城(開京)。新羅,後百済(こうひゃくさい)を併せて936年半島を統一した。国初は新羅の諸制度を受けついだが,やがて唐制にならって,6代成宗(在位981~997)のとき官制,地方行政制度などを改編し,以後12世紀前半までが高麗の全盛期とされる。対外的には中国五代諸王朝および宋と通交し,西北朝鮮に長城を築いて(11世紀前半),契丹(きったん),女真(じょしん)の侵入に備えた。しかし王室に寄生する官僚支配体制は地方分離の傾向を強め,また族党間の争いを起こし,武人が台頭して12世紀末に崔氏(さいし)の武人政権が成立した。1231年モンゴルが侵入し,政府は江華島に拠って抵抗したが,崔氏政権の没落後,降伏して属国となり,元の日本遠征の基地としての重圧を受けた。14世紀に入って倭寇(わこう)の害が激しく,国力がさらに衰えたとき,元が倒れ明が興った。1392年,国際関係の変動のなかで親明派の武将李成桂(りせいけい)が国王を廃し,高麗は34代475年で滅んだ。高麗の文物には唐,宋,元の影響が強い。仏教は国初以来保護を受け,特に禅宗諸派が興隆し,高麗版『大蔵経』(だいぞうきょう)が刊行された。工芸品では高麗青磁が名高い。
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朝鮮半島の王朝(918~1392)。都は開城。新羅(しらぎ)の末期,地方豪族の王建(おうけん)が建国。新羅を併合後,各地の豪族をしだいに統合し,唐・宋の制度をとりいれて集権的官僚国家の建設をめざした。契丹(きったん)・女真(じょしん)・モンゴルのたび重なる侵入をうけ,これらと宋との間に立って外交関係に苦慮するなかで,1170年武人政権が成立。13世紀後半にはモンゴルの支配下に入った。日本とはおもに私的な通交貿易が行われたが,元のフビライの日本遠征ではその基地となり,軍事・経済上の莫大な負担を負った。14世紀以後,倭寇(わこう)や中国からの紅巾(こうきん)の賊の侵入などで疲弊。中国で明が勢力を伸ばすと,高麗では親明・親元の2派が抗争,そのなかから武人李成桂(りせいけい)が,親明派の新興官僚の協力をうけて即位,李氏朝鮮が成立し高麗は滅亡した。仏教が栄え,青磁・大蔵経が著名。
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…前1世紀後半~668年。別名は句麗,高麗,貉,穢貉,貊,狛などと書き,〈こうらい〉〈こま〉ともよぶ。高句麗の建国年次は,《三国史記》によれば前37年のこととし,このころから鴨緑江の支流佟佳江の流域を中心に,小国の連合ないしは統合が行われた。…
…(1)海中の島や岩などの目標物を境として漁場の範囲を示す場合,(2)水面の面積や陸からの距離の計測による場合,(3)いわゆる〈山アテ〉や〈見通し〉のように陸上の目標物によって境界線を定める場合,(4)海路(うなじ)(沖合を通る航路)を境界線とする場合,(5)湖とか湾の真ん中を境とする場合,の五つの基本的な方法によって漁場の境が決められたようである。 以上のようなさまざまな境に対して,日本の国土・領域の境界はどのように意識されていたのかといえば,《妙本寺本曾我物語》などにみられるように,日本国の〈四至〉は,南限は熊野,北限は佐渡嶋,東限はアクル・津軽・蛮(へそ)嶋(夷島(えぞがしま)=北海道),西限は鬼界・高麗・硫黄嶋であると観念されていた。これはもちろん観念上のことであり,鎌倉幕府の軍事・警察権が高麗(朝鮮)にまで及んでいたわけではけっしてない。…
…李朝時代の学者,李瀷(りよく)は朝は東方,鮮は鮮卑族の意と解釈した。英語のKoreaは高麗の発音(Koryŏ)からきたもので,世界にまたがる大帝国を築いた元が伝えたものであろう。なお,朝鮮の異称や雅号として,〈三千里錦繡江山〉(南北が3000朝鮮里に及ぶ),〈槿域〉(ムクゲの花が咲くところ),〈青丘〉,〈鶏林〉(もとは新羅の異称),〈韓〉〈海東〉などがある。…
…その後南北朝の内乱に乗じて宗氏は実質的な支配権を手中にし,末期には守護に昇格した。 この時期は日本・高麗間に国交はなかったが,1019年刀伊の入寇を契機に,九州や壱岐,対馬から貿易船が通うようになった。モンゴル襲来後この貿易は断絶,さらに高麗の弱体化と南北朝内乱などの原因が重なり,1350年(正平5∥観応1)以後,大規模な倭寇が高麗沿岸から中国遼東半島を襲った。…
…9世紀以降,新羅の王権が衰退すると,律令体制もしだいに弱体化した。 高麗時代もまた律令編纂を明示する史料がなく,唐律令の借用説さえある。しかし,《高麗史》刑法志には高麗律(実質は律令)が,約100条も伝えられている。…
…前1世紀後半~668年。別名は句麗,高麗,貉,穢貉,貊,狛などと書き,〈こうらい〉〈こま〉ともよぶ。高句麗の建国年次は,《三国史記》によれば前37年のこととし,このころから鴨緑江の支流佟佳江の流域を中心に,小国の連合ないしは統合が行われた。…
…918‐1392年(図)。かつて日本では高句麗とともに高麗を〈こま〉と呼んだ。英語のKoreaは高麗の朝鮮語音コリョのなまったものである。…
…(1)海中の島や岩などの目標物を境として漁場の範囲を示す場合,(2)水面の面積や陸からの距離の計測による場合,(3)いわゆる〈山アテ〉や〈見通し〉のように陸上の目標物によって境界線を定める場合,(4)海路(うなじ)(沖合を通る航路)を境界線とする場合,(5)湖とか湾の真ん中を境とする場合,の五つの基本的な方法によって漁場の境が決められたようである。 以上のようなさまざまな境に対して,日本の国土・領域の境界はどのように意識されていたのかといえば,《妙本寺本曾我物語》などにみられるように,日本国の〈四至〉は,南限は熊野,北限は佐渡嶋,東限はアクル・津軽・蛮(へそ)嶋(夷島(えぞがしま)=北海道),西限は鬼界・高麗・硫黄嶋であると観念されていた。これはもちろん観念上のことであり,鎌倉幕府の軍事・警察権が高麗(朝鮮)にまで及んでいたわけではけっしてない。…
※「高麗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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